25.最後のバス

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25.最後のバス

 穏やかだった私の心はあの日を境に一瞬にして曇り、私の頭はネジが外れたように狂いました。具体的に言うと、やたらと物忘れが増えてしまったり、思考がとっ散らかってしまうのです。  使用人の下女不勢が、落ち込んでいるのでしょうか?  みっともないことです。  私はどこまでいっても下働きのメイドであり、夜になってロカルドの身体を好きに出来るのは彼がそうすることを求めているからです。あの特殊な性癖を満足させることが出来るのなら、相手は誰だって構いません。  女王は替えの効く仕事です。  私は、彼にとって唯一ではないのですから。  それを言うならば、私は誰にとっても特別ではないのかもしれません。今こうして私の下で首を絞められている小太りの男も、先ほど涙を流して礼を述べて帰って行った奴隷も、皆自分を蔑む女王を求めているだけです。  彼らが求めているのは強く気高い“女王”という存在。 「……っおぉ!女王様、お手を緩めてください…!」 「ダメよ。このまま出すんでしょう?」 「んんっ……ッ!」  情けなく果てた男の顔にティッシュの箱を投げ付けます。  いそいそと処理をする男の後ろでタバコに火を点けました。  心がどんどん鉛のように重くなるのを感じます。  いくらシナモンの香りがする煙を吸い込んでも、まったく気持ちが晴れません。私はやはり心の病気に罹ってしまったのでしょうか。こうした二重生活がもたらす弊害かもしれません。  ありがとうありがとう、と何度も礼の言葉を述べる男に適当に返事をして、私は受付へと戻りました。もうこれ以上自分の客が来ないならば、帰ろうと思ったからです。  見た目だけは善良そうな受付の男は、私の姿を見て「そういえば」と口を開きました。もう誰の相手もしたくないので、思わず身構えてしまいます。 「さっき、君が働いてるか確認が入ったよ」 「………え?」 「帽子を被ってたから顔まで分からなかったけれど、アンナは居るかって聞かれたんだ」 「なんて答えたの?」 「もちろん、居ないって答えたさ。君が名前を客に知らせてないってことは知ってるし、自分を名指しで訪ねてくる客なんて気味が悪いだろう?」 「ええ。まぁ…そうね」  思い当たる節がまったくないので、私は特に気に留めることもなく、帰宅の許可だけ得て店を後にしました。  まだバスが走っている時間だったので、最終のバスに間に合うようにバス停へと走ります。金髪のカツラを脱げば、誰も私が女王であることなど気付きません。  運良く間に合った最終便に飛び乗って、一番後ろの席に座り込みました。今日はあたたかいお湯にゆっくりと浸かりたい気分です。ちびちびと減らしていた果実酒を一杯、寝る前に飲んでみるのも良いでしょう。  とにかく、何か、気分が紛れることを。  私の心から主人の存在を忘れさせてくれる何かを。
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