33.解約と新居

1/1
前へ
/73ページ
次へ

33.解約と新居

 けたたましく鳴り響くベルの音で目が覚めました。  視線を上げるとそこには我が主人の無駄に美しい顔があります。昨日の出来事を頭の中で追いつつ玄関へ向かって、覗き穴から外を窺いました。あんなことがあった後なので、警戒したのです。  外には茶色いニット帽を被った年老いたオーナーの女性が立っていました。ピンと張った指がまたベルを押そうとしたので、私は慌ててドアノブを回します。 「オースティンさん!家賃の支払いは出来そう?」 「あ、はい……問題なく」 「更新も近いからね、こんなこと言いたくないけれど貴方って資金繰りに困ってる印象を受けるから。とにかく次に入金が滞ったら、」 「解約しても良いか?」  いきなり背後から聞こえた声に私はビクッとしました。  後ろを振り返ると寝癖の付いたロカルドが部屋から顔を覗かせています。突然かつ意味の分からない提案に、私は戸惑いながら、とりあえずこの場はオーナーの詮索を避けるべきと慌てて言葉を繰り出します。 「すみません、あの、彼は友人なんです。いつも泊まっているわけではなくて…えっと……」  しかし、女の目は私を通り越してロカルドを見ていました。 「解約するですって?」 「ああ。彼女は明日から住み込みで俺の屋敷に来る手筈になっているから、もうこの部屋は解約したい」 「それじゃあ後で書類を郵便受けに入れておくわ。長く住んでくれたから残念だけど、良い恋人を見つけたのね」  そう言って眼鏡の奥でウィンクをすると、小さな背中を丸めてその女は去って行きました。  恋人。今たしかにオーナーはそう言いました。  どうしてかと頭を捻りましたが、早朝に使用人の家に泊まりに来る主人など居ません。もしかすると、流行りの格差婚を描いた小説の読み過ぎで、彼女はあらぬ誤解を抱いたのかもしれません。 「て、訂正してきます!私たちはそんな関係では、」 「じゃあ…どんな関係なんだ?」  ロカルドに抱き締められると私はもう何も言えません。  言葉に迷って無言を貫いた挙句、首を振りました。 「分かりません。貴方が好きに名付けてください」 「………そうか。考えておこう」  オデットが出勤してくるからそろそろ行こうか、と大きく伸びをしたロカルドが私を振り返ります。「私もですか?」と聞くと、不思議そうな顔で彼は頷きました。  私は急いで必要なもの、制服や化粧ポーチなんかを鞄に突っ込んで準備を整えました。 「旦那様、シャワーをお借りしたいのですが」 「着いたら使ってくれ。オデットが来る前に出てくれると助かるが、難しければ俺が足止めする」 「あの、ルーベンは……」 「すぐに警察に被害届を出す。心配だから、しばらくは屋敷に住んでくれないか?君の身に何かあったら俺が困る」  提案のように見えますが、彼はその口で自らオーナーに解約を申し出たのです。今更住む場所もない私に拒否権はありません。  雨風が凌げるならどこでも良いです、と答えるとロカルドは少し笑いました。
/73ページ

最初のコメントを投稿しよう!

135人が本棚に入れています
本棚に追加