41.言い訳

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41.言い訳

 鳥の鳴き声を聞いて、ゆっくりと目を閉じました。  昨日の記憶を辿ってみます。  妄想と現実の区別が付かなかくなるようでは、私の今後も思いやられます。どうやら記憶の中の私はロカルドと身体を重ねたと主張しています。  まさかまさかの話です。  私はそこまで阿呆ではありません。  ふぅっと息を吐いて上体を起こし、ベッドから降りました。その瞬間、無様にべしゃっと床に倒れ込みます。どういうことでしょうか?私の愚鈍さもここまで来れば病的です。  と、己を情けなく思っていたところで、自分がやけにダボついたシャツを羽織っていることに気付きました。この白いシャツには見覚えがあります。 (…………嘘でしょう?)  数歩前へ進んで、違和感を感じました。  身体がやけに重いのです。  のろのろと鏡台の前まで行き、なんとか椅子に座り込んで鏡の中の自分を観察します。茶色い瞳にくるくるカールしたダークブラウンの髪。  そして、白い首元に散る赤い痕。 「目が覚めたか?」  突然背後から聞こえた声に飛び上がりました。  振り向くと、部屋の入り口にロカルドが立っています。 「体調は?」  迷いなく近付いて来るので、私は思うように目を合わすことが出来ずオロオロしてしまいました。この記憶が夢でないとしたら、なぜ彼はこうも平然と話し掛けられるのでしょう?  私はもしかしなくても、主人と一夜を共にしたのです。  なんということ、世間知らずも良いところ。  これからどうやって屋敷で働けば良いのでしょうか。ミュンヘン邸における仕事は勤務内容のわりに給料が良いので、何としても職を失ってはいけません。 「体調…は大丈夫です。あの、旦那様……」 「どうした?」  ロカルドの指が私の髪を滑って毛先を弄びます。  頭から火が出るのではないかと思いました。 「すみません、よく覚えていないのですが…私はこういったことはよくあるのです。寂しくなれば誰にでも擦り寄ってしまう癖がありまして、」 「………誰にでも?」 「ええ、はい……なので、どうか気にしないでくださいませ。車に追突されたとでも思って。特に旦那様のお顔は私の好みですから、たぶん酔って調子に乗ったのかと…」  私の髪を梳いていたロカルドの手が止まりました。  はて、と見上げた先で彼は妙な顔をしていました。「そうかそうか」と明るく笑い飛ばしてくれると思っていた私は、予想外の反応が返ってきたので内心驚きます。  結婚を控えるロカルドのことなので、私がうっかり口を滑らせて他言することを恐れているのかもしれません。その心配はないと伝える必要がありそうです。 「えっと……人に話したりはしませんから、ご安心ください。それに、昨日のようなことはもう起こりません。言いそびれたのですが、家を見つけたので」 「……なるほど。良かったな」 「今まで通り働かせていただけると助かります。旦那様が知っての通り、私は下働きの下女として生きるしか能がありません。どうか…お願いいたします」 「心配は要らない。仕事は続けてくれ」  ロカルドはそう言うと、私の言葉も待たずに部屋を出て行きました。  私は一人残された部屋で、シャツからふんわりと香る主人の匂いに頭がクラクラしてしまいます。あんな言い訳で良かったのでしょうか?正解は分かりません。  詳しい記憶はありませんが、身体に残ったどんよりとした痛みは私たちの夜が真実であることを教えていました。
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