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47.主人の過去
「ねぇ、ヴィラモンテってなんにも無いところなのね。夜通し空いているバーとか知らない?」
「……すみません。夜は出歩かないので」
私は机の上にドシンと胸を乗せて口を尖らせるメリッサを見て答えました。
あれから毎日のように、メリッサはミュンヘン邸に顔を出しています。ロカルド曰く、彼女の父であるグスコ侯爵が来るまではメリッサは近くにあるホテルに宿泊することになったそうです。
私は冷たい水で雑巾を搾り上げながら、この令嬢はどうして私の近くに居るのだろうと考えました。厨房ではオデットが夕食の準備をしていて、イザベラとアドルフは庭の掃除をしています。私のそばに居ても、何も面白い話など出来ません。
「貴女、歳はいくつなの?」
「二十四です」
「恋人は?あの使用人の男なんかのことが気になったりしないの?年齢も近いでしょう?」
「私たちは…ただの同僚なので」
「じゃあ、ロカルドのことは?」
私は床を拭く手を止めて、メリッサの目を見据えました。
ルビーのように赤い瞳が挑戦的に細められます。
「自分が仕える旦那様のことをそんな風に思ったことはありません。私だって身の程を弁えて働いています」
「………そう?なら、良いんだけど」
満足したように笑ってメリッサは「実はね」と話し始めました。またもや始まるであろう彼女の雑談に、いったいどれだけ付き合えば良いのか少し憂鬱になりながら、私は再び視線を床へと落とします。
ミュンヘン邸は古いだけあって落ちない汚れもあるのです。
拭いても拭いても、染み込んで取れない汚れが。
「私たち、昔付き合っていたのよ」
メリッサの口から続いた言葉が私の息を止めました。
「ロカルドと私は恋人同士だったの。まぁ、彼には婚約者が居たんだけどね。すっごく地味な女で、どうして婚約してるのかみんな不思議がってたわ」
「………婚約者が居るのに、恋人だったのですか?」
「あ、そこ?今はあんなんだけど、ロカルドって元々はとんでもないクズよ。知らなかった?」
私は俯いたままで首を横に振ります。
メリッサの高い笑い声が部屋に響きました。
「地味な女をそばに置いて、派手な女で遊ぶのが彼のやり方なのよね。だから私、貴女のこと心配になっちゃって。何もされたりしてない?変に期待しない方が良いわよ」
「はい……大丈夫です」
「よかった!ロカルドは遊び相手としては最高なのよねぇ。あの通り顔は良いし、昔は家柄も良かったし、アッチの方もすっごく相性が良かったの」
そのあたりから私の耳は遠くなって、音は拾っているのに内容を理解出来なくなりました。
おそらくメリッサは、自分とロカルドがどれだけ仲が良かったかや、昔の彼がどんな人間だったかについて私に語って聞かせてくれたんだと思います。
私は頭の中で、ロカルドが今までしてくれたことを思い出していました。火傷したとき、彼を看病して寝落ちしたとき、ルーベンに襲われたとき、涙を流してしまったとき。ロカルドは、雇用主の範疇を超えて私に接してくれました。
それは本当にあたたかな優しさだったのです。
だけれど彼にとっては、私はただの地味で都合の良い女だったのでしょうか?風俗で働いているから夜の対応も頼みやすく、愚かで愛に飢えているから少し丁寧に扱うだけで勘違いする。私は、そんな女だと思われていたのでしょうか?
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