05.五人の母

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05.五人の母

 ミュンヘン男爵家は、私が今までに勤めてきたどのお屋敷よりも質素な印象を受けました。  貴族らしい無駄な装飾品は少なく、絵画や銅像といった金目のものはあまりありません。ロカルドが語ったことが真実であれば、きっと彼の父が犯した犯罪の代償として、いくらかの支払いを命じられたのでしょう。  それにも関わらず、私たち使用人に支払う給料が平均より高額なのは、ひとえに彼自身の無知故か、もしくは下女に少しでも楽をさせたいという優しさなのかもしれません。  しかし、彼が雇ったもう一人の下女はやや失敗と言わざるを得ません。 「アンナ、次は外の掃き掃除だよ。明日から雨が降るんだ。今のうちに庭の落ち葉を集めて捨てておきな」 「………分かりました」  老婆はフンッと鼻を鳴らして机を拭き始めます。  私は彼女が一時間前からずっと同じ場所を拭いていることを知っていました。つまり、サボっているのです。  オデットという名前の彼女は、五人の子供を育て上げた優秀な母らしく、下女として働いているのは金のためではなくあくまでも暇潰しであると私に言って聞かせました。べつに私は彼女の事情には興味がないのですが、腰が痛いので座らないと仕事ができないという説明には思わず首を傾げました。 (旦那様はそんなこと言ってなかったけれど…)  同じ給料で同じ時間働いているはずなのに、オデットだけ座りっぱなしはなんだか狡い気がします。けれども、私は「使えない若い女」という彼女が私に貼った汚名を返上するためにせっせと落ち葉を集めることにしました。  越してきたばかりのロカルド・ミュンヘンは、いつも忙しそうに出掛けています。  おそらく、ヴィラモンテの役所で移動の手続きをしたり、使用人の募集を掛けたりしていたのでしょう。本来ならば、彼に仕える他の人間がするべき仕事を彼は自らこなしていたのです。私は、ミュンヘン男爵家の資産がそれほど枯渇しているのかと少し心配になりました。  正直言うと、忙しいロカルドに感謝している節もあります。  彼が走り回っていれば、私はその顔を見る必要はないからです。主人であるロカルドが食事を終えて、片付けを済ませたら私たちは帰宅を許されます。朝九時から夜の六時まで、この九時間が私がミュンヘン男爵家で仕える時間でした。 「え、夕食をご一緒に…ですか?」  突然のことに私は驚きの声を上げました。  夕方頃帰宅したロカルドは「今日の夕食を一緒にどうか?」と私とオデットに聞いて来たのです。心の準備をしていなかった私が狼狽(うろた)える横で、オデットは孫の迎えがあるから食事だけ包んで持って帰りたいと申し出ました。なんとも度胸のある女です。こうした一定の図々しさは、世間の荒波を生きる上で必要なのかもしれません。 「アンナ、君は?」 「あ……私は、予定もないので……」 「良かった。君たちに作らせたものを一緒に食べようと誘うのは変な話だが、デザートは買って来たんだ。口に合うか分からないけれど」  そう言ってロカルドは手に持った白い箱を掲げました。  こうして私は、自分の雇い主と奇妙な晩餐会を開催する流れとなったのです。
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