50.さようなら

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50.さようなら

 夕刻になり、用意された部屋に案内されてきたロカルドは、テーブルの上に並ぶ通常時より華やかな食事を見て目を丸くしました。 「これは…いったい、」 「お別れ会よ!私が今日の夜の便で王都へ帰るでしょう?使用人のみんなが別れを惜しんで、こういう会を催してくれたみたいなの。素晴らしいわよね」  同意を求めて顔を近付けるメリッサに、ロカルドは押され気味に「そうなのか」と答えて着席しました。  メリッサの要望で今日に関しては私たち使用人も席に座って共に食事をいただくことになっています。オデットはその点に関してはご機嫌なようで、私は彼女が用意した容器に時々食べ物を入れ込むのを見て少し呆れました。やはり、この老婆は只者ではありません。  カチャカチャとカトラリーが触れ合う音が響く中、シャンパンのグラスを持ったメリッサが思い出したように口を開きました。 「そうだ、使用人のことなんだけど」 「………?」 「私が本格的にこの家に嫁いで来たら、オデットとアンナはクビにしようと思うの。オデットは愛想が悪いし、アンナは私の話し相手にならないから」  つまらないわ、と言い添えて明るく笑います。 「イザベラとアドルフは合格よ。二人とも話しやすいもの。屋敷の雰囲気を悪くする使用人は雇わない方が良いでしょう?そう思わない、ロカルド?」  呆然とする私たちの視線の先で我が主人は顔を上げます。  先ほどまで肉を切り分けていたアドルフも、ただならぬ雰囲気に手を止めて成り行きを見守っていました。 「いい加減にしてくれないか……?」  声の大きさのわりに強い口調でした。  メリッサは「何が?」と首を傾げて見せます。  立ち上がったロカルドの手に、結婚相手のメリッサとお揃いの指輪はありませんでした。私は不思議に思いながら急に機嫌を損ねた主人を見つめます。こんなに不機嫌なロカルドを見たのは初めてでした。 「君はいったい何故、自分が当然のようにミュンヘンに入ることを前提に話を進めているんだ?」 「え?だって、私たちは結婚を……」 「何度も断った。グスコ侯爵にも手紙を送ったし、直接会って話もした。君だけが受け入れていないんだろう…!」 「なにを言っているの…?ねぇ、ロカルド、落ち着いてよ。私は貴方のことを理解しているわ。昔の貴方も知っている上で受け入れたいの。それに、ほら…私たちは恋人だったでしょう?」 「メリッサ、俺はもう父の名を借りて威張る馬鹿じゃない。ミュンヘンの家柄に価値などないんだ」  私はメリッサの手がブルブル震えているのを見ました。  机の上に下ろされたグラスからシャンパンが溢れます。  誰も何も喋らず、動きませんでした。食卓はまるで一枚の絵画のように静止して、ただ気まずさと重たい沈黙が載っているだけです。 「私と結婚することで再建を図れるわ…!父も貴方との結婚を望んでいる!出資すると言っているの!」 「要らないよ。誰かの手を借りて立ち上がっても、またどうせ同じヘマをする。俺は自分の力でやり直したい」 「ロカルド……!」 「買ってくれた指輪も返す。君はプレゼントだなんて言ってくれたけれど、これは受け取れない」  そう言ってロカルドは、まだリボンが解かれていない四角い白い箱を机に置きました。  オデットが凄い形相でその箱を見ているのに気付き、メリッサは焦ったように箱を奪い取ります。「どうして、どうして」とうなされたように何度も繰り返した後、メリッサはロカルドを睨み付けました。 「まさかとは思うけど……女でも居るの?この田舎町で、誰か相手を見つけたってこと…!?」  ロカルドはメリッサの怒りを孕んだ視線を受け止めて曖昧に微笑むと、その隣に座る私を一瞬だけ見ました。 「………そうだな。恋人になれればと思っている女性は居る。鈍い彼女が受け入れてくれるか分からないけど」 「嘘でしょう……!?」  そのまま耳を塞ぎたくなるような暴言をいくつか吐いて、メリッサは部屋を出て行きました。  使用人として追い掛けるべきか、どうするべきか、と困惑していると、ロカルドが手を叩いて皆の注意を引いたので、私たちは主人の方へ向き直ります。 「すまなかったな。食事を続けようか?」  オデットが頷いて「やっと落ち着いて食べられる」と言いました。イザベラとアドルフは顔を見合わせて困った顔をしています。私は、ロカルドを見ていました。 「アンナ、ここ数日の業務報告を後でまとめて聞けるか?」 「………はい。承知いたしました」 「ありがとう」  我が主人は薄く笑ってグラスを掲げました。
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