51.メロドラマ風

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51.メロドラマ風

 どれぐらい時間が経ったでしょうか。  業務報告をするために部屋を訪れた私をずっとソファの上で待たせて、ロカルドは熱心に机に向かっているのです。私だって暇ではありません。時間泥棒と罵ってやろうかと顔を上げたとき、ようやく主人は立ち上がりました。 「すまない。急ぎで書いておきたいものがあって」 「………構いませんけど」  どういうわけか、ロカルドは定位置である反対側ではなく、私の隣に腰掛けました。重みで少しだけソファが軋みます。  私はこの数日間に自分たちが行った作業について、掻い摘んで報告しました。手癖の悪いオデットがパンを二つ盗んだことについては黙っておきましたが、たぶん彼も気付いていると思うのです。喋り終わった私の方は見ずに、俯いたままでロカルドは口を開きました。 「アンナ、これは仮説なんだが…」 「なんでしょう?」 「もしも君が誰かと良い関係になったとして、夜の仕事を続けたいと思うか?」 「良い関係……?」 「たとえば恋人であったり…結婚したり…」  何故かしどろもどろに言葉を選ぶような素振りを見せる主人を観察します。昼間の会話を思い出して、私はハッと閃きました。 「旦那様は風俗嬢に恋されているのですか?」  質問が直球過ぎたのか、ロカルドの肩がビクッと震えます。  もしかすると、彼はどこかの店で働く娼婦に夢中になっているのかもしれません。恋人の影が見えないことを不思議に思っていましたが、それならば納得がいきます。  同じように特殊な仕事をする私の意見を仰ぐことで、参考にしたいのでしょう。それならば、私は自分の意見を正直に述べておこうと、意を決してロカルドの双眼を見据えました。 「私の場合は…恋人が心配するならば仕事を続けようとは思いません。何よりも優先すべきは相手の気持ちですから」 「………そうなのか」 「はい。もしも旦那様が悩まれているようでしたら、正直に伝えてみればどうでしょうか?私は恋愛には疎いですが、メロドラマが好きなイザベラ曰く、女は抱き締められて愛を囁かれたら断れな───っえ!?」  気付けば目前に白いシャツが迫っています。  どういうことか、と見上げる私の耳元に熱い唇が押し付けられました。何事でしょうか。これはいったい。 「聞こえるか?」 「き…聞こえます、十分です」 「君はメイドとしては完璧だ。真面目だし、細やかな気遣いも出来る。正義感も強い。だが……同時に、人として愚鈍だ」 「愚鈍………」 「ああ。とにかく鈍すぎる。心配になるぐらい鈍い」 「そんなに…?そこまでの状態ですか?」 「手の付けようがない。俺が、誰でも食事に誘うと思うか?使用人の家にいちいち出向いて頭を下げると?誕生日を祝って、屋敷に住ませると本気で思ってるのか…?」  メリッサさんも屋敷に泊まっていました、と言うと「あれは仕方がなかった」とロカルドは目を逸らします。部屋を貸さないと屋敷の前で裸で寝ると脅された、と説明されれば、主人から愚鈍と評される私は黙って頷くしかありません。  ロカルドの手が私の手を取りました。  そのまま口元に持っていき、口付けが落とされます。 「アンナ、君が好きだ」 「………っ!」 「俺の恋人になってくれないか?」  私を見上げる青い瞳は揺れています。  息を吸い込み、しばし止めて、その双眼を見据えました。 「旦那様、お断りします」 「え?」 「先ずは貴方の愛を試させてください。七日間だけ」  絶句するロカルドに微笑んで、柔らかな頬に触れてみます。  久しぶりに重ねた唇はデザートのケーキの味がしました。
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