男爵家当主の手記3◆ロカルド視点

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男爵家当主の手記3◆ロカルド視点

「………アンナ・オースティンです。明日からよろしくお願いいたします…旦那様」  追加で雇われたというその女を見たとき、なぜか既視感を覚えた。  会ったことなどあるはずもないのに、どういうわけか良く知っている気がしたのだ。勘違いだと頭に言い聞かせながら屋敷の中を歩いて説明する間も、悶々と脳は唸っていた。  知らないけれど、知っている。  そんな矛盾をアンナに対して抱いた。  そして、その疑惑に対する回答は意図しない形で提示された。いつものように夜の館(メゾンノワール)に出向いたところ、怪我をしていた女王を気遣ったのがきっかけだった。今思えば、勝手に手袋を剥ぎ取るなんて、奴隷と呼ばれる自分としては出過ぎた真似だろう。  もしかすると、内心疑っていたのかもしれない。  あの純朴なメイドが抱えていた秘密を。  正体がバレて去ろうとしたアンナを、必死の思いで繋ぎ止めた。自分が誰かに、それも屋敷で働く雇用人に頭を下げるなんて有り得ない話。そこまでして手放したくないのは、単なる癒しなのか、それとも彼女自身なのか。  しかしながら残念なことに、互いの距離を縮めようと足掻く中で、自分が懐柔したいメイドがとんでもない鈍さを伴っていることを知った。  服をプレゼントしたり、誕生日を祝ったり、出来ることは一通りしてきたつもりだ。アンナの方から口付けてくれることもあったので、てっきり彼女も好意のようなものを抱いてくれているのかと思っていた。  勘違いするには十分、近くに居たはずなのに。 「すみません、よく覚えていないのですが…私はこういったことはよくあるのです。寂しくなれば誰にでも擦り寄ってしまう癖がありまして、」  初めて抱いた翌朝に、アンナはとんでもないことを言って来た。  誰でも、とは本当に誰でもなのだろうか。  それは恋や愛なんかとは関係ないと?  頭の痛い言葉だったが、いつまでも打ちひしがれているわけにもいかない。前のめり気味な気持ちはもう引き下がることも出来ないので、彼女のすっとぼけた事情に乗るフリをして、その後も何回か相手を頼んだ。  身体はいつも正直で、重なるたびに溺れそうになった。  アンナがどう思っていたのか分からないけれど。  そして紆余曲折を経て、ようやく思いを伝えられたとき。  彼女はどういうわけか条件を提示して来た。 「貴方の愛を試させてください。七日間だけ」  最初に真っ向から拒否された後だったので、どんな条件でも受けて立とうと覚悟を決めることが出来た。けれども、いったいどういった試練を与えるというのか。ゴミクズのような人生を歩んで来た自分からすれば、試されるのは仕方がないことなのだが。  部屋から走り去るアンナの後ろ姿を見つめる。  最後に触れた唇の熱がまだ残っていた。
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