53.デート:一日目 中編

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53.デート:一日目 中編

 ロカルドがデートという名目で連れて来てくれたのは、港の近くのカフェでした。海に面した大きな窓からは暗い闇にポツポツと浮かぶ船の灯りが見えます。  運ばれてきたココアに口を付けながら、目の前に座る主人を観察しました。  今日のロカルドは彼らしくなく、やけに無口です。もしかすると疲れが溜まっているのではと心配になりました。ここ最近はただのメイドと主人という関係性でしかなかったため、以前にも増してロカルド・ミュンヘンのことが分かりません。 「お疲れですか……?」  私の声に主人は静かに首を振りました。 「いいや。すまない、何を話せば良いか分からなくて」 「どういうことでしょう?」 「君は俺を試しているんだろう?下手なことは口に出来ないから、話題を探していたんだ」 「あ……それは、」  言い淀む私の前でロカルドはふっと息を吐きます。  私は自分が気軽に設けた条件が、意外にも主人を困らせていることに驚きました。そんなこと気にせず彼のペースでことを運ぶと考えていたので、予想外でした。 「じゃあ、私から質問してもよろしいですか?」  ロカルドは少しだけ目を丸くして頷きます。  私は息を吸って窓の外を眺めました。鮮明には見えませんが、海の上を進んでいく船の灯りは動く宝石のようです。努めて明るく、気にしていない声音を出せるよう願って口を開きました。 「旦那様には……他に女性がいらっしゃいますよね?」 「………?」 「以前、旦那様のシャツに赤い紅が付いていました。私がお酒に誘った夜のことです。誤魔化さなくても良いので」 「アンナ、違うんだ。あれは───」 「それに…ごめんなさい、実は旦那様のお部屋で縁談を受け入れると書かれた手紙を目にしました。メリッサ様ではないなら、どなたなのですか?」  ロカルドは暫し目を閉じて、大きく息を吐きました。  考え事をするように眉間に手を当てています。  どんな答えが来ても大丈夫なように、私は心の中で相槌のバリエーションを用意しておくことにしました。「そうですか」だと素っ気ないので、もう二パターンぐらいあると良さそうです。 「分かっていましたよ」と気取って言うのも憧れますが、何も分かっていない私が使うにはリスクが高いでしょう。「なるほどね」というのも違う気がします。「べつに良いですけど」が結構無難かもしれません。  よし、これでいきましょう。 「口紅はバスに乗った際に老婦人と接触して付いたものだ。彼女が落とした財布を拾い上げて、」 「べつに良いですけど」 「え?」 「……あ、そういう理由なら仕方ないですから。それでお手紙の方はどうなのですか?」  食い気味に返してしまいました。  バスの中で老婦人を助けただなんて、ただの美談ではありませんか。そういえばたしかに、あの色合いはオデットが付けているような年配者に好まれる朱色でした。  やっぱり私はどこまでも愚鈍です。  会ったこともない老婦人に謝罪したくなりました。 「縁談の相手は君も知っての通り、メリッサだよ。グスコ侯爵に出そうとしていた返事を読んだんだろう?あの手紙は出していない。出せなかったんだ…俺は、君が好きだから」 「べつに良いですけど」 「良いのか?」  間違えました。 「あ、じゃなくて…分かっていました。ん?これも違いますね。えっと……えっと……」  プシューっと頭から煙を上げそうになる私を少し眺めたあと、ロカルドは何か思い立ったように席を立って、私に店を出ようと伝えました。  私はまだカップの中に半分ほど残ったココアを名残惜しく見つめながら、足早に歩いて行くロカルドを追います。
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