61.ルームキー

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61.ルームキー

 結局、私がバスターミナルへ辿り着いたのは夜も深まった十時前でした。  とぼとぼとバスを降りて歩きながら、これからどうしようかと考えます。もうヴィラモンテ行きのバスはありませんし、どこかで寝床を見つける他ないでしょう。ターミナル周辺は静まり返っていますから、宿が見つかるか心配です。  所在なくキョロキョロしていると、四つ並んだベンチの一つにうずくまった人間が居るのを発見しました。近付いてみると、なんとその顔は我が主人ではありませんか。 「旦那様……!」  私の声に反応して閉ざされていた瞼がパチッと開きます。  私は驚きと情けなさで言葉を失いました。 「アンナ、君はやっぱり愚鈍だ」  ロカルドは私を見上げて言います。 「すみません……」 「バスに間に合わなかったのは良いんだ。問題は君が何処へ行ってしまったのかまったく分からなかったこと。屋敷に電話してオデットに息子の仕事先を聞いたが、そこへ掛けても彼は君はもう出て行ったと言う」 「ごめんなさい、バスを…乗り間違えまして……」 「そんなことだろうと思ったよ。ターミナルに来るか分からなかったが、どのみちいずれかのバスでヴィラモンテへ戻ると考えたから、とりあえず此処で待っていた」 「ど…どれぐらいの間此処に…?」  ロカルドはふっと白い息を吐いて時計を見ました。 「六時間は経っているだろうな。それはもういい。屋敷へ戻ることは出来ないから王都で泊まろう」 「では私が探して参りますので…!」  せめてもの挽回にと提案したが、私を一瞥した主人は「宿はもう見つかった」と答えて歩き出します。私は置いて行かれないようにその後を追いながら、やはり罪の意識に苛まれたままでした。  六時間です。そんな長時間、私は彼を待たせていたのです。  てっきり、ひと足先に帰っているだろうと踏んでいただけあって未だに驚きの気持ちでいっぱいです。春に近付いているとは言え、まだ夜は寒さが残るので、私はロカルドの体調が非常に心配になりました。  はたして何処に向かうのかしら、と思っていると、ロカルドはタクシーを拾って私に乗るように言います。静かに走り出した車内から外の景色に目を走らせていると、車は意外な場所で停止しました。 「………旦那様、此処って…」 「ルシファーくんの働くロスパレのホテルだ。君を探す途中で電話を掛けた際に予約は入れておいた」 「え……!」  慌てふためく私の手から荷物を奪ってロカルドは歩き出します。  自分のせいでこのような状況を招いてしまった手前、何も意見する権利はないのですが、実は私はこんな立派なホテルの宿泊費を払うほどの余裕はないのです。分割払いは可能なのかとドキドキしながらフロントへ向かう主人の後ろを付いて歩きました。  昼間に私を送り出したルシファーが、同じ笑顔で私たちを迎えてくれます。ロカルドが「予約を頼んだミュンヘンだ」と申し出ると、すぐにルームキーを差し出しました。 (あら………?)  私はロカルドの手に渡った鍵を見て不思議に思います。  私の見間違いでなければ、その鍵は一本だったような気がするのです。我が主人が使用人である私と同室で眠るとは考え難いので、私はもしかして廊下で眠ることになるのでしょうか?  疑問を呈することなく、再びエレベーターに向かって歩き出すロカルドの後を追います。  エレベーターは私が上ったことのない階数で停止しました。今もしもこのホテルが爆破されたら、私たちは間違いなく即死です。こんな上階から飛び降りてもトマトのように弾けて死んでしまうでしょうから。 「あの……旦那様?」  部屋の前で鍵を解錠しようとする主人に、私は慎重な面持ちで声を掛けました。ここはハッキリ聞いておくべきかもしれません。 「もしかして、同室ではないですよね…?」  ロカルドは不思議そうに首を傾げて口を開きました。 「どうして同室ではないと思ったんだ?」  大きなフライパンで頭を殴られたような衝撃。  急に発生するにはあまりに悩ましいイベントです。
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