62.本気

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62.本気

「ダメです、旦那様はベッドでお眠りください」 「君は本当に頑固だな。俺がいくら君の雇用主だとしても、君をソファに放り出して俺だけベッドで眠れるか」  そう言ってロカルドは枕を一つ掴んでツカツカとソファへ向かいます。確かに私の部屋のベッドよりは遥かに眠り心地の良さそうなソファですが、長身のロカルドが横になるとなんだか窮屈そうに見えます。  我が主人の言い分では、急な予約を入れようとしたところ、あいにくダブルベッドの部屋しか空いていなかったそうなのです。何度も言いますが、そもそもこうなったのは全て私のせいなので何も文句は言えません。  とにかく明日の朝の便でヴィラモンテへ帰るために、早く睡眠を取ろうと言うロカルドの提案で、私たちは適当にホテルのルームサービスで食事を取り、各々順番でシャワーを済ませました。  そして、どちらがベッドで眠るか問題について議論しているのですが。 「旦那様……お願いします、ベッドで寝てください」 「しつこい。明日も早いからもう電気を消してくれ」 「でも、もし風邪でも引いてしまったら───」 「そうしたら、また君が看病してくれるんだろう?」  毛布から顔だけ出して冗談っぽく笑う主人を見て、私は意図せず心臓がひっくり返りそうになります。  まだミュンヘン邸に勤めて間もない頃、風邪を引いて寝込んだロカルドの看病を買って出ましたが、朝になったら病人はそっちのけで私が大の字でベッドで眠っていたことを思い出します。あれを繰り返すわけにはいきません。 「では、一緒に眠りましょう。前に住んでいた私の部屋でも一度だけ眠ったことがあるではありませんか。旦那様がどうしてもと仰るなら私は、」 「アンナ、君は俺を今も試しているんだろう?」 「え?」 「俺だって聖人君子じゃない。目の前に葡萄がぶら下がってたら食べたいと思うし、兎が跳ねていたら迷わず捕まえる」 「兎ですか……?」 「例えの話だ。とにかく、君が安易にそういった提案をするべきではないと言いたいんだ」  私は彼が言わんとしていることを察したので、思わず赤面して黙り込みました。そこまで言われてしまえば、もう強く言うべきではないでしょう。  すごすごと壁に向かい、電気を消してベッドに潜り込みました。  静寂の中で目を閉じてみます。  我が主人と同じ部屋の中で夜を明かすのはこれで二度目ですが、以前にも増して緊張するのです。私たちは今までもそういった行為をプレイの一環として行うことはありましたが、私はあくまでも使用人としての意識を強く持っていたので、行為のあとに同衾はしたことがありません。  一度だけアルコールが私の頭をおかしくした夜に、目覚めたらベッドの上だったことがありますが、あの時も私はミュンヘンの屋敷で貸し与えられた自室に居たので、同じ寝具で眠ってはいないと思います。おそらく。  広いベッドの上でシーツに足を滑らせます。  そっぽを向いて丸まった背中を見ながら、心臓がギュッとなりました。 (………不静脈かしら?)  ロカルドは六時間も私を待っていたそうです。  私はいったい彼の何を試しているのでしょうか?  主人であるロカルド・ミュンヘンの告白を退けて、愛を試すなんて言って。この一週間の間に私が見てきた彼は十分に誠実であったと思うのです。私が己の鈍感さに甘えて気付かないフリを続けている間も、彼はずっと。  私はぱちっと両目を開きます。  そっとベッドを降りて、ソファのそばまで歩いて行きました。物音を発しない大きな動物の隣で座り込みます。まだ、間に合えば良いと思いながら口を開きました。 「旦那様……やっぱり一緒に寝てください」 「君は俺を勘違いさせたいのか?」  返ってきたのは、少し不機嫌な声音でした。  私は両手を伸ばしてその背中に触れてみます。 「そうですね。勘違いしてほしいみたいです」 「揶揄うのもいい加減に、」  振り返った主人の顔を包んで短く口付けました。 「………ごめんなさい、本気です」  薄暗い部屋の中でロカルドが息を呑むのが見えました。
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