08.その夜の意味

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08.その夜の意味

 オデットによる喫煙者探しがあった日の夜、ロカルドは夜の館(メゾンノワール)に姿を現しました。  予約が入っていると聞いた時からそわそわしていましたが、いざ本人を目の前にすると取り乱すわけにはいきません。私はこの部屋の中では絶対的な女王様を演じる必要があります。わずかな時間で、ただでさえ濃い化粧をより濃くして、アイラインもいつもより太くしました。 「久しぶりだな。少し痩せたか?」 「ええ。百グラムほど」  表情を変えずにそう返すと、ロカルドは乾いた声で笑いました。 「最近、忙しくてね。あまり自分の時間が取れない」 「そう?なんだか元気がないわね」 「女王には隠せないな……実は、父の実刑が確定した。ダルトン・ミュンヘンの名前ぐらいは聞いたことがあるだろう?七年前に世間を騒がせた犯罪者だ」  わざわざお金を払って私の時間を買ってまで展開する話なのか、私は不思議に思いました。彼にとっては屈辱的であるこういった話を私に語る理由。それはひとえに、誰かに聞いてほしいからなのでしょう。  黙り込む私を相手に、ロカルドは淡々と実父が犯した罪について、そして罪が明るみになるや否や屋敷を去った彼の三人目の継母のことを話して聞かせました。その様子は、まるで自分自身に語っているようでもありました。  私は、どうしてロカルドが彼一人でこの何もない港町に越してきたのかをようやく理解しました。  父は捕まり、母は去り、使用人たちすらも不信感から彼を見捨てたのだと思います。或いは、公爵から男爵へと格下げになったミュンヘン家に、以前と同じだけの給料を払い続けることが出来なかったか。  七年も掛かってしまった、と諦めたように呟くロカルドの声が空虚な部屋の空気を揺らしました。身体のラインを強調したボディスーツに派手な化粧を施した女相手に語る話にしては、ちょっとシリアスが過ぎます。 「今日はただ、話を聞いてほしかったんだ」 「脱がないの?」 「ああ。そんな気分じゃない。代わりに少しだけ、抱き締めてもらえないか?」  女王の抱擁を求めるとはなんという傲慢。  怪訝そうな私の表情を見て、ロカルドは慌てて口を開きます。 「違う、甘やかされたいわけじゃない。君が俺より優位に立っていることは分かっているよ」 「………それならどうして」 「誕生日だったんだ。先週の水曜日に、二十六になった。おこがましい願いだと理解しているが…祝ってくれなくて良いから、しばらく肩を貸してほしい」  私はハッとしました。  先週の水曜日、それはロカルドが私とオデットを夕食に誘ったあの日だったのです。  もしも私が断っていたら、彼は買って来たケーキを一人で食べることになっていたのでしょうか?一人で寂しく誕生日を祝って、いつも通り孤独な夜に身を沈めていたのでしょうか?  そのような意味のある晩餐会だと知らなかったので、私は自分の手の震えをどう治めるかばかり考えていました。言ってくれれば、祝いの言葉ぐらいは述べたのに。 「いいわ。こちらを向いて」  私はベッドに腰掛けたままのロカルドへと近付きます。  そっと両手を伸ばして艶やかな金色の髪を抱き寄せました。 「お誕生日おめでとう……ロカルド」  何も言葉は返って来ませんでした。  どれぐらいの間そうしていたのか分かりませんが、いつもは物欲しそうに私を見つめる可愛い奴隷は、その夜は何も求めずにただ「ありがとう」と伝えて帰って行きました。
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