さよなら

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「前に一度、タイガさんの運転手をやった事があるんッスよ。 そん時、あのアパート前まで送った俺に、タイガさんが言ったんッス──『本命の女が住んでるアパートだ』って。 でも俺、その人に会った事も見た事もなかったッスから。……まさか、前のアパートで姫が倒れた時、世話になった岩瀬さんの連れの女性が、タイガさんの女だったなんて……思いもよらなかったッスよ」 「……」 ……僕だって。 竜一が言ってた兄貴が、アゲハを苦しめてた大翔(あの男)だったなんて、思いもしなかった。 「姫がアパートに入ったのを見届けて、暫く外で待機してからリュウさんに一報入れようとしたんッスが。……そん時、巡回中の警官に職質かけられちゃって……」 「……」 「で。よく見たら、岩瀬さんだったんスよ。直ぐに向こうも俺に気付いてくれたんッスけど。 ……俺、迷子になってると勘違いされちゃって」 後頭部に手をやり、はははっ…と照れたようにモルが笑う。 「……」 その表裏のない、夏の太陽を思わせる笑顔に……いつも救われてる気がする。 「岩瀨さんに案内されて、アパートの階段を上りながら……姫にどんな言い訳をしようかって。これでも、凄く悩んだんッスからね」 「……」 「で。考えながら歩いてたら、素っ裸の姫が突然飛び出してきて。マジでビビったッス……」 「……」 瞬きをしながら視線を外し、モルから自身の足先辺りへと移す。 寒さで震える身体。合わせた春コートの前を片手で内側から握り締め、自身を抱くようにしてその二の腕を反対側の手で掴む。 「………でも、良かったッス。姫が無事で……」 そう言ったモルの声が、ふわりと柔らかく聞こえて。不思議と僕の心を温め、そっと寄り添ってくれる。 コツ、コツ、…… 俯く僕の視界に入ってくる、男物の靴。 見上げれば、そこいたのは岩瀬巡査── 「……あ、えっと。俺ちょっと、リュウさんに連絡してくるッス」 場を察してか。慌てた様子で立ち上がったモルが、サッと捌けていく。 「……」 空席になった(そこ)に、岩瀨が静かに腰を下ろす。チラッと覗き見れば、何やら複雑な表情を浮かべていた。
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