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⒋ 「お父さん、水樫神社ってどんなとこ?」  夢の中で雛子は小さな子供だった。車の後部座席で脚をぷらぷらさせながら、隣に座る、黒い袴姿の男を見ていた。 「白視の神社だ。本殿が白いんだよ」 「白視しかいないの?」 「黒視が生まれるのは稀らしい」  父と呼ばれる人は四十くらいで、厳格そうな目をするが、雛子には優しそうに頬を緩ませている。 「じゃ、気持ち悪いね」 「なぜだい? 雛子」 「だって白視しかいないんじゃ、郁人お義兄さまみたいな白蛇をいつも手に持っている人ばかりなんでしょう?」  ぷっと吹き出した人がいた。  助手席から振り返る人は、まだ二十くらいのおしゃれに髪を茶色に染め、アイドルのような柔らかな雰囲気の人だ。この人もひとえも袴も黒だ。神主のような服装といったらいいのか。それが上下黒で統一されている。 「ウケる。雛子は面白すぎだ。帰ったら郁人兄貴に教えてやろう」 「こら、崇道」 「だって本当だもん」  雛子は頬を膨らます。お父さんと雛子が呼んだ人物はわざとらしい怒った顔を作った。 「あの白蛇は、雛子が黒い蛇を白くして郁人にプレゼントしたんだろう?」 「そうだけど……」 「郁人は大切にしているんだ。雛子だってミケランジェロを大事にしているじゃないか」 「ミケランジェロは可愛いもん。崇道お兄さまが猫の姿に変えてくれたし。雛子はずっと猫を飼いたかったの」 「そうか、そうか」  父と呼ばれる人は豪快に笑い、車は白い鳥居の前で止まった。すでに出迎えの人が十人ばかり出ており、皆、そろって白いひとえに白い袴の神主姿だ。その中の一人、自分と同じくらいの年頃の少年に雛子は目が離せなかった。 「あの人、怖い」  雛子は崇道の背に隠れる。姿形は七歳やそこらなのに、「ようこそお越しくださいました」と受け答えも大人顔負けで、賢そうな額をし、得意げな顎をしている子だった。 「あれが聖という子だよ。あたらしい家族になることが決まっている。雛子の弟になる」 「雛子の弟?」 「楽しみだね」  崇道はそう言葉で言ったが、嬉しそうにはとても見えなかった。 「うん……」  でも、雛子は頷き、境内を眺める。石畳の参道があり、狛犬が左右にいる。拝殿は赤く、どこにでもある神社のようだが、拝殿の奥にある本殿が白鷺城のように白かった。 「大祇司さま、どうぞ中へお入りください」  聖という少年が雛子の「父」を中へ案内する。彼女は崇道の袴を引っ張っていやいやと首を横に振る。 「雛子、外で遊んでたい」  大人の集まりなど興味がない。崇道に訴えると、彼もほっとした顔をする。どうやら中に入りたくなかったようだ。雛子はそれで気づくと、人々を見回した。ここの皆は白い着物を着ているが、崇道は黒い着物を着ている。仲間ではないのだ。 「お父さん、雛子を遊ばせています」 「そうか」  それ以上、父は言わず、促されるままに建物の中に消えて行った。雛子は自分が上が白のひとえ、下が黒の袴を着ているのに気づくと崇道の手を取って訊ねる。 「ね、雛子はどっちなの?」 「うん?」 「黒視? それとも白視?」 「雛子は両方だよ」 「みんなどっちか一つだよ?」 「北門家の娘は両方持っている特別なんだ」 「ふうん」  崇道は片膝をついて、雛子の目線に自分の目を合わせる。 「雛子は特別なんだ。それは覚えておくんだよ」 「うん」  元気よく答えた自分。崇道が大好きだった。そして彼を抱きしめて抱っこしてもらうと雲を掴もうと手を伸ばす。 「あそぼ」  そこに黒い衣を来た五、六歳の子供が現れた。手招きし、拝殿の右脇にお出でお出でと呼ぶ。 「あの子と遊んでくる」  雛子は地面に下ろしてもらうと、少年を追いかけて走り出した。子供たちの顔は青白く、やけに細い体をしていたけれど、にこにことしていて楽しそうな独楽を持っていた。 「あの子ってだれだ?」  崇道が首を傾げたが、かまわず雛子は子供たちと石畳を一つ飛ばして走った。 「遊ぼ」 「遊ぼ」 「遊ぼ」  そこにはさらに四人の子供がいた。皆、一様に黒い装束だった。 「いいよ! 遊ぼ! 雛子もいっしょに遊びたい!」  雛子と子供たちは、丸を作って地面に的を書き、石を投げて点を競う遊びを始めた。しかし、背後に現れた崇道が雛子の肩を叩く。 「向こうに行こう」 「ううん。遊ぶ。雛子遊びたい」 「ダメだよ。その子たちは生きていない」 「え?」  雛子が立ち上がると子供たちが叫んだ。 「大人だ!」  彼らは一斉にジメジメした青い苔の生う小さな祠の方へと逃げて行く。あっけにとられる雛子は問う目を兄に向けた。 「なんでダメなの?」 「あの子たちは生きていない。あの祠に祀られているんだよ」  雛子は祠を見た。  子供たちは祠の影から顔を出し、北を指さした。 「いじめられているよ」 「いじめられているんだ」 「いじめないで」 「助けて」  口々に言う。  雛子は不思議に思って肯くと、指さされた小道の坂を下り始める。崇道が心配そうに彼女の小さな手を握った。 「卑しき、黒き霊よ、祓えたたまえ、消えたまえ!」  水の音とともに、なにかを激しく叩く音がした。滝があり、そこで修行が行われているようだ。しかし、その姿を見て絶句する。雛子と同じくらい――七、八歳くらいの男の子が木の棒で叩かれながら滝に打たれていたのだ。 「なんてことだ……」  崇道が絶句し、雛子は訊ねる。 「あの子は生きている?」 「ああ……今のところはな……」  崇道は、走って滝のある池の中にずぶずぶ入り、少年を叩いていた白視の神職の襟首を掴んで突き飛ばすと、少年の腕を掴んだ。しかし、血だらけの体は力を失って立ち上がれない。雛子は両手で口を覆い、驚きの声を押さえ込んだ。 「だれだ。修行の邪魔をするな!」  倒れていた太った男が立ち上がり、崇道にくってかかる。彼は心底腹を立てていた。普段、温厚でほとんど人と争わない人が、男を蹴って水の中に放り込んだ。 「なにが修行だ。これはただの虐待じゃないか!」 「このガキには悪霊が憑いている。それを祓っているだけだ」 「なんだって? 悪霊? そんなものは僕の目には一つも見えないぞ。これはただの黒視の子供じゃないか!」 「黒視など汚らわしいだけだ。修行すれば悪霊を追い出し、ただ人にしてやれるのだ」 「そんな話を聞いたこともない!」  崇道は怒っていた。黒視の少年が虐待を受けていたのが、黒視ゆえだと知って、同じ黒視である崇道の怒りをさらに駆り立てたのだ。雛子も少なからずショックを受けた。そんな彼女に崇道が言った。 「雛子。車から僕のジャケットを持ってきてくれ。トランクに入っている」  洋服を持っていると知った雛子は全速力で駐車上にある車に戻り、運転手を急かしてトランクから崇道のジャケットを掴んだ。参道を走っている途中、父たちにぶつかって、「雛子」と声をかけられてもそのまま通りすぎる。  崇道のところに行くと、彼は膝に少年の頭を乗せていた。 「まずい、かなり熱が出ている。すぐに医者のところに連れて行かないと!」  崇道は少年を抱きかかえ、水から上がった。雛子はそっとその震える体にジャケットを重ねる。少年は息も絶え絶えで、雛子は怖くなった。なにかここが普通でないことを子供ながらに悟ったからだ。 「これは一体どうしたことだ」  低い声がした。父の声だ。高齢の白視の老人が皺だらけの顔を低くして問いに答えた。 「お、大祇司さま……これは、その……悪霊祓いでして……」 「悪霊祓い? 黒視に悪霊が憑いていることなど普通のことだ。わしも悪霊祓いをしないといけないのか」 「そ、そんなことはございません」 「うむ……」  父は少し考えた。雛子は父の袖に取りすがる。 「お父さま、お願い。この子を連れて帰ろ。ね? 可哀想だよ」 「うむ……」  少年がうっすらと目を上げた。  崇道がそっと彼が着ていたひとえをめくると、青たんだらけだ。昨日今日できたものではない。日常的に虐げられていたようだ。それだけではない。ろくに食べさせてももらえないらしくあばら骨も見えている。  大人たちがバツが悪そうに顔を伏せた時、凜とした声がした。 「その子は不浄なので清めていただけです」  聖だった。幼いながら、全く今と変わらない瞳をしている。父が眉を片方上げた。 「不浄?」 「供え物を盗んで食べ、目上の者に石を投げました。当然の報いです」  少年を虐げることに対する一点の疑問も聖の目には浮かんでいなかった。崇道が怒鳴った。 「馬鹿を言え! これでは死んでしまうぞ! あそこの塚はなんだ! この神社には白視しか生まれない⁈ 嘘を吐くな! みんな殺しているからいないだけじゃないか!」  聖は少し口の端を上げる。  冷酷で子供らしさのかけらもない顔だった。 「大祇司さま。この人はどうやら冷静さに欠けているようです」 「黙れ!」  崇道が怒鳴った。 「これが噂の北門崇道とは残念です。次の大祇司だと聞いているのに、こんなつまらない人間だったとは。きっと俺の方がずっと上手く娘婿になれますよ」 「…………」  まっすぐに父を見上げる聖。それを見下ろす父の顔は無表情であったけれど、いつも一緒にいる雛子には、強い怒りが垣間見られて怖かった。崇道の手をぎゅっと握る。父が言う。 「ひとまず、この子は大社で預かろう」 「しかしながら、大祇司さま……今日は孫の聖の件でお出でくださったのであって――」  ぼそぼそと老人が不満を口にしていたが、父は聞いていなかった。目を開けた少年の側にしゃがみ、柔和な表情を向ける。 「わしと大社に行くか」  少年はコクリと頷いた。雛子はその横に立って訊ねる。 「名前は?」 「碧樹」 「苗字は?」 「ないよ。ただの碧樹」  雛子がにこりと言った。 「じゃ、今日から北門碧樹だね。わたしは雛子。北門雛子だよ」  滝の音が聞こえる社の日差しは暗い影を作っていた。それは十年前の初夏のこと。  はっと十七歳の雛子が目覚めた――。
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