赤と黒、そして緑

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第7章 社長  社長の仕事は日々の接待に尽きた。全くの門外漢だったM&Aなど、俺が関われるはずはなかった。自分の会社の事業だからと、難しい専門書を購入して読み始めてみたが、前書きで断念した。接待以外にも法人会や同業種、異業種のパーティーに参加することがあって、華々しい毎日が続いた。社内では冷ややかな秘書がいつもべったり張り付いていたが、パーティーには一人で出席することもあり、出席者の中に若くて綺麗な女性を見つけると、シャンパングラスを片手に話し掛ける様も次第に形になって行った。 「社長、中田様からお電話が入っております」  日中は特にやることも無く、社長室に籠っていることが殆どだった。そんな俺に珍しく外線が入った。営業の電話は一切取り次がないことになっていたので、掛かって来る電話は、ほぼ皆無だった。社長に就任する前の知り合いかと思ったが、その名字には覚えがなかった。 「中田さん?」 「はい」 「先日の法人会で名刺を交換されたとおっしゃっています」 「ああ」  それで思い出した。それは先週の木曜日だった。税務署の職員を招いた区の法人会主催のパーティーで知り合った30歳前後の女性だった。まだ起業したばかりで右も左もわからないからと、色々とアドバイスをお願いしたいと言われていたのだ。普通それは社交辞令である。それが本当に電話を掛けて来るとは思わなかった。ただ俺も暇だったし、その女性は上品で見た目が良かったので、これからランチでも一緒にどうですかと誘ってみた。すると彼女は宜しくお願いしますと即答した。俺は初めて会う人とはいつも六本木にある蔵造り蕎麦屋に決めていたので、待ち合わせをそこに指定した。 第8章 自治会  自治会館に予定の30分前に着くと、門燈は消えたままで自分が一番乗りだった。入口がガラス戸だったので中を覗いてみたが、中は暗く人影はなかった。勿論入口の戸には鍵が掛かっていた。仕方なくスマートフォンを眺めながら、暗闇の中で待つことにした。すると約束の時間の十分前になって、突然こちらに向かって来る足音がしたと思うと、その人は僕には気づかずに戸の鍵を開けて会館の中へと消えて行った。僕も一緒に中へ入ろうと思ったが、暗い中で見知らぬ男が突然目の前に現れたら大騒ぎになると思い、そのまま外で待つことにした。その人は40位の女性だった。自治会の役員でここの鍵を預かっているのだろう。  やがて中が明るくなった。途端に大勢の足音がして、現れた中の1人に見覚えがあった。自治会長だった。会長は僕の姿に気が付くと、深々と頭を下げて中へ招いた。会館の中は広い和室だった。50畳はあるだろうか。既に座布団がびっしりと敷かれていた。そして正面奥の壁を背にした、いわゆる上座には、間隔を開けて座布団が3つ並べられていた。そこは会長等の重鎮の席だろう。しかし今日の客人は僕のようだった。会長は僕をその真ん中に案内すると、僕の左に腰を下ろした。正面に見える入口からは次々と村民が入って来ていた。全世帯から少なくとも1人はここに集まって来るのだろう。 「遅れました」  突然右側から声がしたかと思うと、そこには初老の男性が立っていた。 「都築様、副会長の佐久間です。宜しくお願い致します」 「都築です」  自己紹介を終えると、副会長は僕の右隣に座った。特にやることが無く、何気なく腕時計を見ると8時を少し回っていた。このような集りにしては時間が守られていると思った。 「それでは皆さん、臨時総会を始めたいと思います」  入口の戸が閉められると会長が立ち上がり大声を出した。良く通る声だったが、マイクを使った方が苦労しないと思った。すると誰かがどこからかマイクを持って来て、それを会長に手渡した。 「本日は先日この土手村に転入された都築様のお披露目を行います。都築様、ようこそ土手村においで下さいました。土手村を代表してお礼を申し上げます」  僕は照れ臭くなった。このような土地はよっぽど過疎化で苦しんでいるのだろう。たった1人の転入でこんな会を設けてくれるのだ。僕はその場で会釈した。 「当村は平成の大合併でも近隣の自治体には編入、合併をしませんでした。それは既存の村として独立した権限を保持したかったからです。しかし明治維新から150年が経ち、過疎化や少子化の波が当村にも押し寄せました。村民の一致団結する気力が揺らぎ始めていることも事実です。そのような中、都築様が土手村に戻られ、再びこの村にかつての活力が蘇ったように思います」  僕は段々恐縮して来た。しかし会長が言った、戻られ、という表現に引っ掛かった。 「皆さん!」  ここで会長は視線を僕から再び正面の村民に向けた。 「もうお察しの方もいると思いますが、この都築様はかつてこの土地を治めていた都築家の御子息です」  そこで集まった人達が大きく頷いた。僕はその時あの丘の頂上にあった墓の意味を知った。 「このことは村長を初め、村会議員の皆さんも、お殿様がご帰還されたとたいへん喜んでおります」  僕は顔から火が出そうだった。 「明日、都築様を村長と会う為に役場にご案内致します。村長の話だと、村としてもご帰還の式典を開くとのことです」 (え!)  僕は随分大袈裟な話だと思った。そこまでは必要ないし、辞退出来るなら辞退したいと思った。 「そこまではちょっと……」  しかし僕の声はマイクを通した会長の声にかき消された。 「これは単なる親睦会ではなく、村の式典です。皆さんには万障繰り合わせの上、参加をお願いします」  どうやら何者も参加しないわけにはいかないようだった。総会は会長の話だけで終了した。僕も何か一言くらい挨拶をしなければいけないと思い、あれこれ思考を巡らせていたが、話をする機会はなかった。そして集まった全員がその場に留まっている中、会長に導かれて退席した。そして会館の玄関で靴を履き終えると、会長はここでお見送りしますと言った。 「明日は村長に会いに役場にご案内します。午前9時にお迎えに参りますので、よろしくお願い致します」  会長はそう言って深々と頭を下げると、反転して会館の中に戻って行った。 第9章 村長室  翌日は約束通り9時ちょうどに会長と副会長が自宅に現れた。役場まで距離があったのでどうするのかと思っていたが、我が家の門を出た所に車が止まっていた。その車に乗り込むと運転席に人が座っていて、それは副会長の息子だと紹介された。車は10分くらい走り、役場の正面入り口に横付けすると、そこで3人は降りた。すると僕達の到着を待ち構えていたように、職員と思われる年配の男性と若い女性の二人が走り寄って来た。 「秘書課長の沢村と秘書課職員の柊です」  そして男性の方がそう名乗ったので、僕も自己紹介をした。 「都築です」  すると秘書課長は安心したように笑顔になった。緊張していたようだ。それから僕達3人は、職員二人に連れられて役場に入った。その途端、入口の少し奥に設けられた受付カウンターの女性職員が立ち上がり、深々と頭を下げた。秘書課長は挨拶は不要だと言わんばかりに彼女を振り切ると、人目につかないように速足でエレベーターの前まで突き進んだ。村長室は四階にあった。エレベーターに乗り込み、エレベーターのドアが開くと、目の前に「村長室」というプレートが目に入った。その時、まるで小学生の時に校長室に抱いたような緊張感が蘇った。秘書課長がそのドアをノックしてドアを開き、中に向かって一礼すると僕にお入りくださいと言った。 僕も同じように一礼してドアの中に入ると、部屋の奥に座っていた男性がいきなり立ち上がった。そして両手を僕の方に広げて、ようこそお越しくださいましたと言った。そして入り口付近で止まっていた僕に速足で歩み寄り、握手を求めた。大きくて柔らかな手だった。それから部屋の奥に促され、ソファを勧められた。僕がそこに座るとそれまではその存在に気が付かなかった職員が僕の写真を撮り始めた。 「広報は毎月1日と15日に発刊されて、公的施設や駅などに置かれます。インターネットで閲覧することも可能です」  写真を撮る職員を意識しながら村長の方を向くと、村長が僕に話を始めた。 「村長、見出しはどうしますか?」  するとカメラマンがそう尋ねた。 「領主様、ご帰還される、なんて如何でしょうか?」 「それは君に任せるよ」  彼らは村長と僕との話を最後まで記録するのかと思ったが、村長のその言葉をもらうと退席した。 「東京からいらしたと伺っていますが、お仕事はどのようなことされていたのですか?」  カメラマンが消えると、村長の質問が始まった。 「商社で経理をしていました」 「今もそちらにお勤めですか?」 「いいえ。退職しました」 「すると」 「無職です。親の遺産で生活しています」 「ああ、都築家ですからね」  村長がそう言って笑った。 「しかし無職という肩書もなんだからと、兄からは兄の会社の社員になったらどうかと言われているんです」 「お兄様がいらっしゃるのですか?」 「はい」 「ご兄弟は何人ですか?」 「兄と僕の二人です」  何となく身上調査のように思えた。それで苦笑いをした。 「お兄様が会社を経営されているのですか?」 「元は父が社長だったようです。それを兄が引き継ぎました」 「そうだったんですね」 「プライベートなこともお尋ねになるんですね?」  村長からは僕の歓迎式典の内話をされるのかと思っていた。しかし、地方はどこもそうかもしれないが、よそ者のチェックには厳しいのだろうと思った。 「申し訳ございません」  するとどこで待機していたのか秘書課長が突然間に割り込んで来た。僕が自分でも気づかずにむっとした顔をしたのだろう。 「都築様は平成の大合併をご存知でしょうか? 周囲の自治体は補助金欲しさに国のその政策にこぞって身を投じました。しかし、当村は栄光ある独立を選び、国の誘惑には乗らなかったのです」 「その話は自治会長から伺いました」 「そうなると国の言いなりになる見返りとしての補助金はゼロです。そしてそれに追い打ちを掛けるように少子化、過疎化の波がこの村にも訪れました」 「その話と僕のプライベートがどのように関係するんですか?」  僕は秘書課長の話の先が見えなくて、そう質した。 「それは」  するとそれまで課長の後ろに控えていた柊さんが一歩前に進み出て、続きをしゃべり始めた。 「もし都築様が財政的に困っていらっしゃる方なら、村として受入れるのはリスクがあるからです」 「え?」 「つまり生活保護を受給されていらしたら、一般的に収入に掛かる住民税が入るどころか、様々な公的給付が必要になります。すると村の財政がもっと厳しくなります」  僕はそういうことかと思った。 「それは心配いりません。先程お話したように父の財産を相続して、この若さですが、悠々自適に暮らしています」 「それを聞いて安心しました」  するとそこで今まで黙っていた村長が再び口を開いた。 「でも、予算がないというのでしたら、式典を中止されてはどうですか?」  それで僕はそう提案した。 「領主様がご帰還されたのに、式典をやらないなんて出来ません」  するとそこに柊さんが再び口を挟んだ。その途端、一同黙ってしまった。室内は静まり返った。 「村長、ちょっと宜しいでしょうか?」  すると、老齢の職員が村長室のドアを半分だけ開けて顔を覗かせた。その時まで廊下で待機していたのだろうか、部屋の中が静かになったので会議が終わったと思ったのだろう。 「何だね。箭内室長、今はお客様がお見えだ」 「はい。そのお客様に御用がありまして」 「ん?」 「はい。そちらにいらっしゃる領主様に少々お話があります」  その箭内さんの視線を浴びて、僕は緊張した。 「何だね?」  しかし村長は変わらず迷惑そうに対応している。 「領主様に村史をお渡ししようと思いました。この村のことや、領主様のご先祖様のことをよく知っていただければと思いまして」 「箭内君、村史なんてお荷物だろ。後日、君が直接領主様のご自宅へお届けし給え」 「はい。そう致します」  今でなくても、村史を渡せると思って満足したのだろうか。箭内さんはあっさりと引き下がった。 「領主様、申し訳ありません。今のは箭内といいまして、村史編さん室の室長をしております。後日村史をお届けに伺うかもしれませんが、その時はどうか対応してやってください」  村長は苦笑いをしてそう言った。僕は愛想笑いをして頷いた。
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