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第17章 始動
無職無収入の兄がこの町で疎外されないように、僕は兄に1人で役場へ行くように指示した。そして弟が資金を出し、兄が前職のノウハウを活かしてコンサルに就くことを説明して来るように言った。ところが兄の帰宅が随分遅かったので、話が流れてどこかでヤケ酒でも飲んでいるのかと心配したが、帰宅後話を聞くと、村長室でたいそう話が盛り上がり、村としても十分なバックアップをしてくれることになったというのだ。
(これで時間が稼げる)
僕はそう思った。未だにどんな事業を始めるか、全く目星がついていなかったし、兄のやる気が微塵も感じられなかったからだ。僕は、ただ柊さんとその事を相談する為に会う口実を持てることだけが、この計画の存在意味に思えていた。
しかし数日もすると状況が違って来た。兄は村長から大きな期待を受けているので、是非それに応えたいと言い出し、足繁く役場に通うようになった。なんだかんだ言っても、兄は社長だった人である。やる気を出せば、多いに期待出来るのではないかと思った。
「今日も遅くなる」
それが兄の家を出る時の口癖になった。
その日、僕も役場へ立ち寄る用事があった。固定資産税の納付期限だったからだ。納付は口座振替にはしないで、その都度役場の窓口でしていた。受付の河合さんに挨拶をして、納税課に行って税金を支払い、それから一階の喫茶室で昼食を済ますと、秘書課に顔を出して柊さんに声を掛けるのがお決まりのコースだった。
「今日はお約束がありましたか?」
彼女は必ず第一声をそう発した。
「いいえ。今日は固定資産税の支払だったので、その後に寄ってみただけです」
それで僕がそう答えると彼女はそうだったんですね、と笑顔になった。それだけで帰路についてもいいのだが、そういえばあの件はどうなりましたか、と必ず彼女から話が始まった。それで再び1階の喫茶室へ向かうことになるのが常だったのだ。
しかしその日は違った。彼女は不在だった。村長に伴って出掛けたのかと思ったが、村長は村長室に在室していた。まさか柊さんはどちらですか、と尋ねるわけにはいかず、そそくさ立ち去ろうとしたところ、兄の存在を突然思い出した。
(もしかして兄貴が柊さんと一緒?)
すると、柊さんはどこかの会議室で兄と打合せ中なのかと思った。そこで秘書課の他の職員に兄の所在を尋ねてみることにした。しかし今日兄はここには来なかったという。ただ秘書課には来なくとも別の課に顔を出しているかもしれない。しかし、この課で兄がどこに尋ねて来たのかを知っているはずはないだろう。庁内を歩き回って兄を捜すのもおかしな話だし、今日はおとなしく帰ることにした。
その夜、兄は遅く帰宅した。何でも法人会会長と駅前の居酒屋で話し込んでいたらしい。
「意外に話が進んでいるんだね」
「意外とは心外だな」
僕が期待を込めてそう言うと、兄も上機嫌でそう応えた。
「お前は今日何をしていたんだ?」
「別に何も」
「ぶらぶら遊んでいても、しょうがないぞ」
「そんなんじゃないよ」
「どんなんだよ」
「役場に行って固定資産税を払って来た」
「そうか」
そこで僕は柊さんのことが口から出かかったが、話をするのをやめた。てっきり兄貴は柊さんと一緒だと思った、と言いそうになったが、既にそうではないことを兄から聞いていたし、納税にかこつけて柊さんに会いに行っていると指摘されたくなかった。
「実はな、今日の法人会会長の話なんだけどな。次の村長選挙のことだったんだよ」
「村長選挙?」
「ああ」
「それがなんで兄貴に?」
僕は兄に村長選挙に出てくれという話なのかと思った。
「俺が立候補をするんじゃないよ。現村長の応援をして欲しいというんだよ」
「え?」
「二人が握手をした写真を撮ってポスターにしたり、応援演説をお願いしたいというんだ」
僕は水面下でそんな話が進んでいたことに驚いた。そして僕にはそんな話が一切来ていないことに少し落胆した。
「俺はね、俺より先にお前だろうと言ったんだよ」
やっぱり兄も同じことを考えていたんだと思った。
「すると後援会長はこう言うんだよ。あ、後援会長って、法人会会長なんだけどね。確かにこの村はお前には世話になっているし、お前が初めてこの村に来た時は、領主様のご帰還だって盛り上がったけど、俺の会社の支社の件でケチがついただろ? それでお前が村長を推していると言っても、どんなんだろうって言うんだよ」
「どんなんだろうって?」
「本来なら支社の件は俺が責められるべき話だけど、俺がこの村に顔を出したのはその話が立ち消えた後だ。つまり俺は知らない顔なんだよ。それに対してお前は村に大きな期待を持たせておいて、それを裏切った張本人になっている。いや、張本人じゃないんだけど、お前の顔は村民に知れ渡っていて、失望とその顔がリンクしちゃっている。それでその傷を引き摺りたくないと言うんだよ」
それは僕も理解出来た。
「それに村は今、二人の領主様が現れたと困惑しているというんだ」
「困惑?」
「ああ。二人のどちらが本当の領主様かということらしんだ」
「何それ?」
「くどいようだけど、お前は先にこの村に来て、村民にも顔が知られている。しかし同時にケチをつけた人物でもある。一方俺は後から来た者だし、村民には殆ど顔が知られていない。しかしここが重要なのだが、俺は長男だ。跡目を継ぐのは次男ではなく、長男の俺だから俺が領主様だというのが後援会長の言い分なんだ」
「領主は、どちらか1人だということなんだね?」
「ああ」
しかし現段階で、この村に利益をもたらしているのは僕であって兄ではない。兄は全くの無収入で、僕や村におんぶに抱っこ状態なのだ。その兄が領主様だと言われても果たしてどうなんだろうと思った。
「現村長には強力な対抗馬がいることは知っているか?」
「村議会議長かい?」
「ああ。その議長はお前に協力をお願いしようとしているらしいぞ」
議長は、即ち柊さんの父親だ。こうなったら議長を全面的に応援して、柊さんから厚い信頼を勝ち取るのも悪くないと思った。
「お前はどうするんだ?」
「え?」
「議長の側につくのか?」
柊さんの父親だからね、と言いそうになってやめた。
「兄さんは?」
「乗り掛かった船だからな。それにこの町で役に立てるのなら、それもありかなと思った」
「じゃあ村長につくんだね?」
「ああ」
「じゃあ僕は議長につく」
こうして領主の子孫である兄と僕を巻き込んで、村は大きく二分した。
第18章 村長選挙
村長選挙が公示されると、土手村は選挙一色になった。村長は緑の旗に領主様の帰還という言葉を大きく掲げた。一方、議長の方は赤い旗に改革という言葉を表題にした。確かに兄は長男だし、この土地の領主の家系であるのだから、領主様の帰還という言葉が最も的確な人物だろう。そして兄がコンサルとして主導している事業も村民に大きな恩恵をもたらすものとして、領主としての威厳に適合している。
一方、議長の方は、これまでの村長の政治にダメ出しをした上で、改革を提示していた。村の人口、若者の人数、財政状態、それらが右下がりで常態化していることを改善しようとしているのだ。それには新しい試み、新しい人材の導入ということで、僕が応援を依頼されたのだ。すると寧ろ本来の当主ではない、という立場がぴったりだというのだ。と言うのも、長男ならどんな素材でも跡目に就けるというのではなく、長男ではなくとも、領主の素養のある人物を領主に就かせるべきだということなのである。それが既存の枠から離脱した、新しい改革を目指そうというスローガンに適合するというのだ。村の中が緑と赤のポスターで二分された。
両候補の具体的な争点はこうである。先ず村長は大規模な事業所を建てて村民を雇用し、外部の人間を転入させることで過疎化、少子化に対抗し、村と村民の所得を倍増させるということである。その協力者が兄である。その兄は領主だと自らを名乗っていた。そして財源はいつの間にか僕の財布から村長の方に変わっていた。僕は用無しということのようだ。勿論、議長側についている僕がその財源になることなど出来るはずがない。
一方、議長の方は飽くまで改革である。何を改革するのか。それは村長の独断的な政治の采配を阻止して、村民一人一人の総意に基づいた町づくりを始めるということだった。そこで村民一人一人に無利息無担保で資金を貸し出し、新たな事業を進めてもらうという政策だった。その資金は村の信用金庫が全面的にバックアップすることになった。信用金庫のトップだか大口預金者が、議長だか、その一族だという話をしていた。そしてその信用金庫には僕も口座を開設していて、大口預金者の1人だった。
つまり両候補者の違いは、村に大きな事業所を建てるか、村民が始める事業に資金援助をするのか、ということである。一見すると村長の方が改革に思えるが、スローガンは違った。改革と叫んでいたのは議長の方である。つまり脱村長が改革なのである。 二つの波は、それぞれ勢いを持って村中を駆け回った。ぶつかり合うこともあったが、決して混じり合うことはなかった。それぞれに特色があり、村が綺麗に分かれた。そして兄や僕は勿論のこと、両候補や村民でさえ、どちらが有利かなど、わからなかったのである。
しかし、その均衡が崩れた。それは村長のスパイとしてずっと以前から送り込まれていた柊さんが兄と懇意になってしまったからだ。ミイラ取りがミイラになったということだろうか。ある村民がその二人が一緒のところを見掛けて、まるで恋人同士のようだったと触れ回ったのだ。それでその噂を聞きつけた議長がその村民を呼んで詳しい話を問い質したのだ。
「だって」
「だって?」
その村民が言葉を詰まらせると議長は最後まで話すように促した。
「だってそれは好き合った者同士しかしないことを」
「え?」
「ぴったり寄り添って」
「・・・…」
「く・ち・づ」
僕はそこまで聞くと、意識を他へ飛ばせた。
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