赤と黒、そして緑

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第19章 ミイラ  村長の動向を探る為、父親である議長から使わされた柊さんは、村長のパートナーになった兄といい仲になってしまった。そうなると柊さんは敵の手中に落ちたと考えていいだろう。逆にこちらの情報が相手に筒抜けになっていたということだ。僕は議長がどのような選挙運動を展開していたのか詳しくは聞いていなかった。誰を味方に引き入れて、どうやって票を稼ごうとしていたのかなど、関心がなかったからだ。ただ、柊さんの父親であるということから議長に肩入れすれば、彼女にも間接的に力を貸すことになるのだろうと思っていたのだ。しかし、当の本人は敵のパートナー、つまりそれは僕の兄であるが、その兄と恋仲になってしまったのだ。僕はこれ以上積極的に議長に協力する気になれなくなった。そして選挙そのものに関心がなくなってしまった。いや、関心が失せたというより、嫌悪感を抱いてしまったのである。 この村に来て領主様と言われて悪い気はしなかった。寧ろ、のぼせあがっていたのかもしれない。しかし、それが今では惨めな思いしかなかった。出来るならこの村を出て行きたい気分だった。しかしそれは無理だろう。その理由の1つは、帰る場所がなかった。そしてもう一つは乗り掛かった船から今は降りることが出来なかったからだ。乗り掛かった船、それは議長の選挙運動の協力者であるということ。少なくとも半数近い村民から領主として期待されているということ。そして柊さんのことがあったからだ。 「隣町に千年を超す樹齢の桜の木があるんです。そこには祠があって男女が並んでお参りをすると、必ず結ばれるという言い伝えがあるんです。そこにお兄様と議長の娘さんが居たんです」  二人を見たという村民は最後にそう言った。兄はそのような言い伝えなど露も知らないだろう。反対に柊さんはそのことを当然ご存知のはずだ。そうだとすれば、そこに誘ったのは柊さんだということになる。積極的に関係を求めたのは彼女の方なのだ。そのことを悟ると僕は断崖から突き落とされた気分になった。 第20章 兄弟 「元気か?」  選挙が始まると、兄は突然僕の家から出て行った。元々荷物らしいものも持たず、ふらっと来たような状態だったので、居を移すといっても気軽だった。どうやら村営住宅の空き家に越したようだった。村長の協力者なら、手続きも容易かっただろう。柊さんとのことを知ると、柊さんとそこで同居するかもしれないと思ったが、それは考え過ぎだった。父親である議長の口から、娘は毎夜必ず帰宅するということを聞いたからだ。もしかしたら、娘は二人の関係がばれていないと思っているからかもしれない。議長はそう言った。 「敵情視察かい?」  兄は会いに来たわけではなく、電話を掛けて来たのだが、僕はそんな言葉しか返せなかった。 「手厳しいな」 「それはそうさ。お互い敵同士の協力者なんだから」 「そうだな」  僕は何を聞かれても何もしゃべらないぞ、と決めていた。しかし逆に柊さんと兄とのことは、喉から手が出るくらい知りたかった。自分の要求だけ通すことは出来まい。しかしそれを知りたいが為に、こちらの手の内を白状することはプライドが許さなかった。 「真田信之、幸村兄弟の話を知っているか?」  いきなり何の話だと思った。 「真田幸村は知っているけど、そのどんな話のことを言ってるんだい?」 「やっぱりいい」  言い掛けて止められると気になる。 「もし」 「もし?」 「うん。もし、村長が勝ったらどうする?」  真田幸村と村長の勝利と何か関係があるのだろうか。徳川が負けて真田、つまり豊臣方が勝っていたら歴史はどう変わっていたのか、という話を兄はしたかったのか。 「変わらないさ」 「変わらない?」 「うん。だって今の村長がそのまま村長になるんだからね」 「ああ、そうだな」  しかしそうなると村長が仲人になって、柊さんと兄は目出度く結婚するかもしれない。それは大きな変化だと思った。そしてそうなると僕はこの村には居られなくなるかもしれない。 「じゃあ議長が勝ったら?」 「議長が勝ったら?」 「ああ、どうなると思う?」  そうなったら僕はどうなるんだと思った。兄はこの家に戻って来るだろうか。議長が村長になり、僕は助役にでもなってくれと言われるのだろうか。しかし領主の子孫がナンバー2とは頂けない話である。すると仮にそういう依頼があっても僕は断ることになるだろう。柊さんはどうなるのだろう。父親の秘書になるのだろうか。しかし敵対していた前村長の秘書がそのままのポジションに収まるはずがない。閑職とまでは行かなくても主流のポジションからは外されるだろう。もしかしたらそれを機に退職するかもしれない。前村長の協力者と内通していたわけだから、それもあり得る話だ。退職してどうなるのだろう。まさかその場合も兄と結婚だろか。 (あ)  いずれにしても柊さんは兄と結ばれるように思えた。ならば、選挙が終わったら、僕はここを出て行こうと決心した。再び東京に戻るのかはわからないが、父の遺産があるのだから、どこででも暮らしていける。それに、そもそもこの土地には何の未練もなかった。だからここを離れることは難しくはなかった。  それから投票日はあっという間だった。即日開票が行われ、当選者が決まった。結果は議長の勝利。村民は大改革を望んでいなかったのだ。いや、大改革が出来るとか、出来ないとかいうことではなく、過疎化、少子化、財政難というマイナスの原因が、時代の流れではなく、多少なりとも現村長にあると思っていたからだろう。 当選した議長、つまり新しい村長からは僕に何かしらの役職に就いて欲しいと言われた。しかし僕はそれを固辞した。そして寧ろこの村を出て行きたいと言った。 「どうしてですか?」 「領主のポジションは兄に譲ります。僕はここでなくても生きて行けますから」  現村長の落選で兄に未来はなくなった。今の棲家も追い出されるだろう。出来れば新村長に援助の手を差し伸べて欲しいと言いたかったが、それは無理な話だ。しかし娘の婿となれば話は別だ。仕方なく兄を右腕にするかもしれない。或いは柊さんは役場を退職せず、その給料で兄を養って行くかもしれない。いずれにしても僕とは無縁な話だ。 「私はあなたこそ、この土地の領主様だと思っています。そして実際お力をお借りして村長に当選することが出来ました。ですからこの土地に是非残っていただきたいのです。それが何故ここを離れると言われるのですか?」 「兄がいるではありませんか。兄も領主の子孫ですし、しかも長男です」 「ですが私とは敵対関係にあったお方です」 「それに」 「それに?」 「娘さんと結婚するのではないですか?」 「誰が、ですか?」 「兄です」 「え? まさか」  僕は議長が驚いたことに驚いた。 「娘さんと兄との関係は、村内では公然の事実だったと思いますが」 「娘はわたしの秘書を命じます」 「え?」 「それに娘がお兄様と結婚するなんてあり得ない話です」 「どうしてそう言い切れるんですか?」 「娘が好いているのは領主様だからです」 「それは兄のことですよね?」 「いいえ。領主様はあなた様だけです」  僕は何が何だかわからなくなった。 「だって、二人が桜の前で逢引きをしていたところを目撃されているではありませんか」 「確かにあの千年を超す桜はどんな願いも叶えるという言い伝えがあります。しかし、唯一、願ってはいけないことがあるんです。それは男女の恋の成就です。そのことを娘が知らないはずがありません」 「でも、そのことを伝えた村民は、必ず結ばれる御利益があるとか言っていたように記憶します」 「そうですが、それは正確ではありません。千年の時を超えて、やっと結ばれるという言い伝えなんです。ですから千年もの間、つかず離れずの愛憎の揺らめきに苦しむことになるのです」  すると、柊さんは、そのような相手に兄を選んだというのか。何故? 何故、兄なのだろう? 否、もし、そのような関係に僕を選んだとしたら、どうだろうか。つかず離れず、僕達は永遠の時を過ごすことになる。それはまさに罰以外の何ものでもないだろう。すると、それだからこそ、彼女は僕を選ばなかったのだ。僕のことを好いていてくれるから、彼女は僕をその桜には誘わなかったのだ。ただ、どうして彼女は敢えて兄を選んだのか。それがわからなかった。 第21章 選挙の翌日  選挙の翌日、僕は役場に出掛けた。そして今しか話す機会はないと思い、柊さんを一階の喫茶室に呼び出したのだった。そこで僕は彼女に付き合って欲しいと告げた。しかし、彼女の返答は意外だった。 「私達は終わったんです」 「終わった?」 「はい」 「始まってもいないのに?」 「いいえ。私達は始まって、そして終わりました」  僕は柊さんが何を言っているのかわからなかった。 「始まったって、いつ?」  そして彼女がいつ、僕の思いに気が付いて、そして僕に心を傾けてくれたのだろうと思った。もし、そうだとしたら、そんな柊さんに終わったと言わしめるようなことを僕がしたことになる。そんなはずはない。しかし、今の状況を思うと、そういう扱いをしたのだ。だから彼女は僕を諦めて、兄に近づいたのかもしれないと思った。 「終わったって、僕は終わったつもりはありません。今だって……」 「今だって?」 「今だって、気持ちに変わりはありません」  すると彼女は困ったような顔をした。 「それは未練だということですか?」 「未練? ああ、そういうことかもしれません」 「では、あなたは全う出来なかったのですね?」 「え?」 「それで私はここに呼び出されたのですね」  彼女は僕が未練から告白をする為に彼女をここに呼び出したのだと思ったのだろうか。確かに今僕は彼女に告白をしている。しかし、それを目的として呼び出したわけではない。だから敢えてそう言われると、それは不本意だった。 僕が柊さんを呼び出したわけは、こうである。父親の命により、スパイとして送り込まれた彼女は、僕の兄と懇意になり、父親を裏切ることになった。村長が選挙に勝てば良かっただろう。しかし、村長は負けて彼女の父親が勝ったのだ。そうなると村長の秘書だった柊さんは居場所を失う。そして裏切った父親の秘書をすることも出来ない。彼女の父親は彼女に秘書をさせると言っていたが、彼女がそれを受け入れるわけがないのだ。彼女はそういう人だ。役場を辞め、敵側についた兄と一緒になって隠遁生活をするのなら、それもいいかもしれないが、兄に生活力はない。それに彼女の父親の話では、彼女が好きだったのは僕であるという。そうであれば、僕が彼女に救いの手を差し伸べるべきなのだ。いや、そうしなくてはいけない。こうなったのは僕にも責任があるからだ。僕が彼女の父親の応援をしなければ、恐らく彼女の父親は落選していただろう。つまり、僕が彼女の職を奪い、立場を危うくしたのだ。勿論、僕は彼女のことが好きだ。しかし、それに先立って、彼女をこのような事態に貶めた責任が僕にはあるのだから、彼女を救うのは僕の義務であると考えたのだ。 「あなたへの未練を告げる為に呼び出したわけではありません」 「でも、そういう思いが心の中にあったから、結果、私が呼び出されたのでしょう?」 「結果はそうですが」 「困りました」 「・・・…」 「何があなたに未練を残させたのでしょう」  僕は彼女が手厳しい人だと思った。そんなことは口に出さなくても理解出来るはずである。 「それは、その、今だってあなたのことを好きだから・・・…」 「そう言うことを申し上げているのではありません」 「では、どういう意味ですか?」 「私はあなたとの人生を、身も心も全てを捧げて全うしました。けれど、あなたは満足されていなかったのですね」 「え?」  僕は彼女の言っていることが理解出来なかった。 「あ」  その時、昼の休憩時間の終了を知らせるベルが庁内に鳴り響いた。柊さんは途端、席から立ち上がり、一礼すると職場に戻って行った。僕は彼女の後姿を目で追いかけながら、全てが終わったと思った。そして、同時にこの村に留まる最後の意味を失ったことを悟った。それでその翌日だった。誰にも告げず、家も家具も全てをそのままにして、まるで夜逃げをするように、その土地を去った。
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