座敷童死様

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1990年代後半、東京都板橋区高島平。 そこにある高島第七小学校に通っていた一部の生徒の間には、こんな噂があった。 それは 【座敷童死(ざしきわらし)様の写真を撮って、その写真に写った座敷童死様に深夜の4時44分にお願いをすると嫌いな相手をお願いしたのと同じ目に遭わせてくれる】 というものだ。 当時、小学6年生だった私――矢島(やじま) 美佳(みか)の親友であった飯嶋(いいじま) (まい)は、シングルマザーである母親の酷いネグレクトに悩まされていた。 それ故、同じ小学校に通う2歳年下の自身の妹から、この座敷童死様の噂を聞いた彼女は――その噂の儀式を実行する為、翌日、早速私に「カメラを貸して欲しい」と言ってきたのである。 座敷童死様にお願いするのに絶対必要になる写真。 それは、必ず自分の手で撮影しなければいけないらしい。 ちなみに、座敷童死様にお願いをする儀式の手順はこうだ。 先ず、土曜日の深夜の4時44分――嫌いな相手の寝顔を気づかれずに撮影する。 その時、シャッターを押しながら、こう唱えなければいけないらしい。 「座敷童死様、座敷童死様、この者の血を捧げます。どうか、お受け取りください。そして、私の願いを叶えてください」 そして、撮影した写真をその日の内に現像に出す。 この時、座敷童死様が願いを聞き届けてくれるなら、写真に――どの様にかは分からないが、座敷童死様が写り込んでいるらしいのだ。 が、日頃使用する文房具すらまともに買って貰えていない舞は、カメラなんて持っていない。 なので、当然――彼女には、使い捨ての物ですら買うお小遣いもない。 だから、友人である私を頼って、カメラを貸して欲しいと言ってきた訳だ。 勿論、日頃から舞の母親の虐待を良く思っていなかった私は、二つ返事でカメラを彼女に貸し出す。 こうして、その週の土曜日には親の寝顔を撮影した舞。 その2日後の月曜日――登校したばかりの私に、彼女が興奮気味に見せてくれた写真には、【真っ赤な着物を着た長い黒髪の女の子】に【頭を潰されてどす黒い血の涙を流す母親】の顔がしっかりと写っていた。 私は、その写真を見た時……何か言い様のない悪寒と嫌な予感が全身を駆け巡っていったのをよく覚えている。 (……もしかして、私は何かとんでもなく恐ろしい事の手伝いをしてしまったのではなかろうか……?) それから3日後、舞の母親が勤め先の工場でプレス機に頭を粉砕されて死亡する。 遺体を引き取った舞によると、母親の遺体は、まるであの写真をそのまま再現したかの様に――そっくりだったらしい。 その話を聞いて、私は直感した。 (きっと、舞の座敷童死様へのお願いが叶ったのだ) しかし、同時に私は、こうも思う。 (人を呪わば穴二つ、と言うけれど……。母親を呪ってしまった舞には、何も返しはないのだろうか。写真を撮るだけで、こんなに簡単に人を呪い殺せるなんて……そんな都合の良い話、本当にあるのかな) その数日後の放課後のこと。 一緒に遊んでいた私と彼女の妹の目の前で、今度は舞自身が――公園にあった大きなジャングルジムから真っ逆さまに落下してしまう。 「舞?!」 慌てて舞に駆け寄る私。 地面に頭から叩き付けられた彼女の頭部は、まるで柘榴の様に綺麗にぱっかりと割れ、赤い中身がどろりと流れ出していた。 (ああ……彼女は、もう駄目だ……) そんな舞の姿を見て、幼心に、そう理解してしまう私。 と、息を引き取る間際、彼女は一緒に遊んでいた私にこう言った。 「……私も……座敷童死様に………」 そう言って、ふるえる指で自分の妹を指差し――直後に事切れる舞。 姉の無惨な最期を、舞の妹は不気味な程に静かな笑顔で見つめていた。 その顔……それに、シャツからのぞいた肩や腕には、昨日今日つけられた様な真新しい痣が複数出来ていて――。 (もしかしたら、母親と同じように、舞はこの妹を……?) 嫌な予想が私の頭をよぎったが、私はそれを飲み込み――舞の妹に決して尋ねることはなかった。 それから1週間後、舞の妹は施設に引き取られていった。 挨拶の際に見せた彼女の表情は、今まで見たことがない程、晴れやかな笑顔だった。
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