グリマー

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 葵だったらきっと、これを読んだらこう言ってくるだろう。  そして心がこんなふうに動くだろう。  結果、読後はこういう気持ちで満たされるだろう。  読み手任せではなく、書き手である僕が意図した通り、揺れ動く自らの感情の振動を味わってもらおう……と考えながら書き上げた。  仕方ないのだ。そうでなくてはならないと僕に教えたのは、他ならぬ葵だ。そして今、僕は自らが考えたとおりに事が運んだ結果を目の当たりにして、言いようのない達成感、全能感を噛み締めている。  大丈夫。僕にだってできる。  人の心を揺さぶるものを創り上げることが。  願いを叶えるために、行動を起こすことが。  わざとらしく、少し沈黙をはさんだあと、僕は普段と逆のパワーバランスに若干の優越感をおぼえながら言った。 「それ、告白だよな?」 「うるさい。……ばか」  僕がまだ知らない葵の姿が、その拗ねた猫のような声色だけで脳裏に浮かびあがってくる。これからまだ何度も、そんな姿を目にすることができるはずだ。胸が躍る。ずっと傍にいたからこそ僕が知らなかった新たな一面を、彼女はこの先いくつ見せてくれるだろうか。 「そんなこと言わなくていいじゃないか」 「うるさい。ばか槙人。だまれ」 「安心して。葵の言った通りだ」 「なにがよ」 「僕は言われたことを、そのまま、素直に信じられる人間なんだよ」  もっとも、それは僕の心のセキュリティチェックを通った人物に限った話であって。数少ないそんな人物の中で、いち早く通過していったのが葵で。願わくは、葵の中の僕も、そうであればいいなと思っていた。  無事にゲートを通り抜けたことを確信した今、僕は胸をなでおろして、いつも言われっぱなしの葵に一矢報いることができた。  ああ、いい気持ちだ。面白い作品を書けそうな予感がする。そうだな、ずっとファンタジーばかり書いてきたけれど、これからは青春小説に――。 「……ふーん。そういえば、そうだよねえ?」  妄想を膨らませていたら、葵の声色が変わったことに気づく。好都合な綻びを目ざとく見つけたような、勝利を確信した声。  しまった。 「だったら、もっとはっきり言ってあげる」  僕は葵のことをよく識っている。そしてそれは、逆も同じ。  僕は葵に識られてしまっていた。  強みはもちろん、弱点も。  静かな水面に向かって、大きな隕石がスローモーションで落ちてくるのを見ているような感覚が襲ってくる。 「えっと。……あたしと、付き合って、ください」  電話の向こうから流れてきた、どこかあらたまりきっていない、緊張と決意を混ぜた声で発せられた葵の言葉。  僕はこういう、直接的な感情表現にめっぽう弱いのだった。  勝負は最後まで、気を抜いてはいけない。  そんな教訓を胸に刻みつつ、この先どうやって葵を赤面させてやろうか……と、僕は巨大な白波が全身を包み込んでゆく中で考えていた。 /*end*/
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