グリマー

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「今回はどうかな」 「んー。なんていうかさ、どんな物語にもアップダウンがあるからこそ主人公に感情移入しやすいし、読み終えたときにスカッとするじゃん。槙人(まきと)の作品には、まだそれが足りないんだよ」  相変わらず手厳しい講評だ。だが僕だって、誰彼構わず同じように感想を求めているわけじゃない。その相手が千種葵(ちぐさあおい)だとわかっているからこそ、こうして酷評されていても、席を蹴立てて声を荒らげないでいられる。  電話越しに流れてくる葵の口調は、税務署の窓口の女みたいに落ち着いていて淀みなく、なおかつ容赦もない。 「もちろん、槙人が好きな作品がこういう『日本太郎の素朴な一日』って感じの作品だってことも知ってる。でもそれは『そうなんだ』と知ってるあたしだから普通に読めるだけであって、あんたを何も知らない人間がこれを読んだときに『じゃ、さっそく書籍化に向けて――』とはならない。普通の人間が普通に生活して普通に死ぬだけの物語なんて、小説を読まなくても自分で体感できるじゃん」  まああたし編集者じゃないからわかんないけど、と葵は付け加えた。  よく知らない、というのはこちらも承知の上だ。むしろそういう人間が読んだ時にどう感じるのかを知りたかったから、それでいい。つまり僕の紡ぐ物語は未だ「山が緑で空は青」程度の当たり前なありふれた情景しか描けていないらしい。  どれだけ自分が何も知らず、何も学ばずに生きてきたのかを思い知らされる。  男の子にしては爪がきれいだね、と言われた自分の手を見つめた。
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