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理由なんて、ない。
ただ、なぜだかわかんないけど、この先にはとてもよくないものがある気がして、むねのおくがざわざわ落ち着かない。
「へんなの」
わたしはひとりつぶやいて、階段の先のくらやみから目をはがす。廊下の出窓から外を見ると、蝉が一匹、太陽に向かって勢いよく飛んでいた。
夏休みもあと残り半分くらいのその日は、とてもとても暑かった。
蝉がみんみんじーじー鳴いていた。
ママはお出かけしないでおうちにいた。エアコンできんきんに冷えたリビングで、あったかいお茶を飲みながらスマホをずっと触っていた。
「日捺子と図書館行くから」
「あ、そう」
おにいちゃんが声をかけると、ママは首すらもこっちに向けずに手招きだけをした。
「日捺子、ちょっとこっち」
呼ばれ、わたしはすぐにママにかけ寄った。
「日焼け止め、塗らなきゃね」
ママはテーブルの上に散らばったお化粧品たちから、白いチューブを選んで、ぬるりとした少しピンクがかった液体を自分の手の甲に出した。わたしはぎゅっと目を閉じた。ママはクリームをちょんちょんとわたしの顔に点置きしてから塗り広げていく。顔が終わったら首――そこでわたしは目を開けた――腕、手と続けて、ちゃんと足の甲にも。最後に目の粗いくしでわたしの髪をするすると、といた。
「うん。これでよし。日捺子は今日もかわいい。ちゃんと帽子かぶっていくのよ。おそとは暑いから」
「はい、ママ」
「お水は……飲み物は持った?」
「うん、持った」
ママがわたしのからだをくるりと回転させ、軽く、ぽんと、わたしの背を押した。
「はい。じゃあ、いってらっしゃい」
「いってきます」
わたしは玄関で、後ろに大きなピンクのリボンがついたお気に入りのストローハットをかぶる。それから、肩くらいの高さのシューズラックの上にうんと手をのばして、指先にひっかけて黒のキャップを取った。
「おにいちゃん、はい、帽子」
おにいちゃんもちゃんと暑さから守ってあげなきゃ。
「ありがとう」
おにいちゃんが玄関を開ける。と、すぐに、むわりとした夏の空気と、元気すぎる蝉の鳴き声がまとわりついてくる。
「おそと、暑いね」
「暑いよ。手、つなぐのやめとく?」
「やだ。つなぐ」
わたしはおにいちゃんの手をむんずとつかんだ。おにいちゃんが、そんなにひっしににぎらなくても僕はここにいるよ、って言って笑った。
「あ、日捺子ちゃんだ」
図書館の入口ですみれちゃんとすみれちゃんのお姉さんに会った。こんにちは、とおにいちゃんと一緒に挨拶をすると、お姉さんもこんにちはとわたしとおにいちゃんに挨拶を返してくれた。
「日捺子ちゃん読書感想文の本決まってる?」
「ううん。まだ」
「じゃあいっしょに探そう」
すみれちゃんに言われて、わたしはおにいちゃんを見た。
「行っておいで。帰るときは声かけるから」
「はーい」
わたしは自習室に行くおにいちゃんと別れて、すみれちゃんたちと一緒に小学生向けの本のコーナーに向かった。手をつなぐ相手がおにいちゃんからすみれちゃんに変わる。すみれちゃんの手は熱くて小さい。
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