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布団のなかでちいさく丸まって、おにいちゃんごめんなさいと、わたしはなんども、なんども、ざんげした。
次の日の朝、おにいちゃんはかるく左足を引きずっていた。黒くて重い学校のかばんを持つときには顔がくしゃりとゆがんだ。
「わたし、かばん持つ!」
朝の集合場所まで送ってもらうとちゅう、わたしはおにちゃんのかばんに手をかけた。
「だいじょうぶ。自分で持てるよ」
「でも、おにいちゃん痛いでしょ?」
「どこも痛くないよ」
おにいちゃんはうそつきだ。それもすごくへたっぴな。わたしは泣きたくなる。でも、泣かない。泣いたらおにいちゃんもきっと悲しくなっちゃうから。
「ごめんね。おにいちゃん。ごめんね」
「日捺子はなんにも悪くないんだから、あやまらなくていいんだよ」
わたしの頭に手をおいて、おにいちゃんは続ける。
「日捺子はいつも笑顔でいて。僕はそれが一番うれしい」
わたしだっておなじことを、おにいちゃんに思ってる。
だから、わたしは心に決めた。またあのおじさんがきたら、今度はもっとじょうずな笑顔でお膝に乗ろうって。
そんなわたしの決意をよそに、あのおじさんの“また”はすぐにはやってこなかった。
次に来たのは白いスニーカーのおじさんだった。そのおじさんとは挨拶をするだけで終わった。その次のおじさんとは会うことがなくて、その次のおじさんとはたまに一緒におやつを食べた。そのあともいろんな靴を見たけれど、あのおじさんみたいな人はひとりもいなくて、季節はめぐって、わたしはあのおじさんのことを、忘れた。
五年生の夏休み。
おにいちゃんはずっとお勉強している。中学生は宿題がいっぱいでたいへんだ。それにくわえて、来年の受験の準備も始めてるから、たいへんが倍になってるみたい。
学歴は、この先、僕を守ってくれるものになるはずだから。
そう、おにいちゃんは言っていた。ずっと先のことまで考えてるおにいちゃんはすごい。わたしは目の前の宿題ですら、まだ3分の1もおわってないのに。
おじさんは夏休みになってから一度も来ていない。
そのかわりママがいない日がたびたびあって、そんな日は朝起きると冷めたトーストと一緒にお昼と夜のご飯のお金がテーブルに置いてあった。
ママのいない日はわたしがおうちのこと――お掃除とお洗濯をする当番だった。高学年になってすぐママにしっかり教えてもらったから、お掃除もお洗濯も、なれたものだ。
洗濯機はタオルと白いものと色柄ものに分けてから、回す。洗い終わりのぴーぴーが聞こえるまでの間に前の日から残ってる食器を洗ったり、すこしだけ宿題をしたり、出しっぱなしになってるこまごましたものを片付けたり、ぴーぴーが鳴ったら次のを入れて回して、洗い終わったのはしわをしっかり伸ばして干す。一回目と二回目はお庭の物干竿に。三回目は南向きのわたしの部屋のベランダに。
三階にもベランダはあるけれど、使っちゃいけない。
正確には、まだ、三階には行ってはいけない。
今でも、ママにそう言いつけられている。
空になったランドリーボックスを持って、わたしは三階へを続く階段を見上げる。ちいちゃいころすごく興味があったのに、今となっては三階に行く日なんて来ない方がいいのかもしれないと思ってる。
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