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私は階段をおそるおそる上っていく。前を行く王様の足取りはゆっくりだけれども、私の方を振り返りもせず、淡々と進んでいく。もう三つくらいフロアを過ぎたけれども、まだ足を止めなかった。
「あのお、私達はどこに向かっているんですか」
そう声をかけると、王様は足を止めずに、「一番上だ」と投げ捨てるように答える。
「行けば分かる」
行けば分かる。いったい何が分かるのだろう。その疑問を口にはしなかった。
階段を上り切り、広い部屋にたどり着いた。その部屋の奥には、螺旋階段があった。王様は変わらず黙ったまま、その階段を上っていく。
目が回りそうになりながら、螺旋を三周くらいしたところで、扉が現れた。王様がその扉を開くと、中の様子が見えた。目の前の景色に私の体は硬直する。
「この部屋が凍りついたのは、つい先日だ」
王様は目を細めて、部屋を見ていた。丸いその部屋は、床も壁も天井も、氷に覆われていた。奥にはバルコニーのようなものがあったが、その手すりも凍りついていた。
「このお城が全て氷漬けになるのも近いかもしれない」
下を向いたその顔は、暗く沈んでいた。
体がぶるっと震える。それはきっと、この部屋から漂ってくる冷気のせいだけではないだろう。自分の町がどんどん氷に覆われていく、この町の人たちはその恐怖に怯えながら日々を過ごしている。それはきっと、私が想像もできないくらい、怖くて辛いことだろう。
『黒き髪の少女が笛を奏でし時、再び春が訪れるだろう』
おじいさんの言葉が頭をよぎる。私は息を吸い、フルートに口をつける。
フィロロ……。
フルートの優しい音色が部屋に響く。私を目を閉じて、演奏に集中した。指は意識せずとも自然に動き、心地よい音色に体が溶け込んでいきそうだった。
「おい。見てみろ」
背後から、兵士の声が聞こえる。私は演奏を続けながら、目を開く。目の前の部屋が、無数の光で輝いていた。しばらくして、光が消えていった。さっきまで部屋中を覆っていたはずの氷は、なくなっていた。天使の絵が描かれた天井も、巨大なシャンデリアも、天蓋付きの豪華なベットも、あらわになった。私は演奏を続けた。いや、止めようとしても、手が勝手に動いていた。
「すごい。すごいぞ」
王様の表情は、先ほどと打って変わって、明るくなっていた。二人の兵士達も、手を取り合って喜んでいる。
「おお、まさに、氷が溶けて春が訪れる、予言通りだ」
「はあ、良かった」
一気に演奏して、私は呼吸が荒くなっていた。しかし、胸には晴れやかな気持ちが広がっていた。
「すごい。すごいぞ。言い伝えは本当だった」
王様が私の手を取り、力強く握る。
「は、はい」
王様のあまりの喜びように、私は恥ずかしくなる。
「見てください。王様」
バルコニーの近くにいた兵士が大声を出す。
「町の氷が、溶けています」
私はバルコニーから町を見下ろす。さっきはあっちにもこっちにも凍った家があったのに、今なはい。そして、いたるところで、人々が飛び上がり、喜びの声をあげていた。
「おお。町の氷まで溶けてるぞ。間違いない。君が予言の少女だ。この世界は、救われる」
「やったああ。ありがとう」
王様と兵士の喜びように、どぎまぎしてしまう。ただフルートを吹いただけなのに、予言の少女とか、世界を救うとか、あまりに話が大きくなっているように思ってしまう。
「痛い!」
急に、私の足に、刺すような痛みが走った。右のふくらはぎに、何かが嚙みついていた。それは、トカゲだった。
「いけない。毒トカゲだ」
兵士は腰の剣を抜き、剣先をトカゲに突き刺す。
「ビャアアアア」
奇声をあげたと思うと、トカゲは煙と共に姿を消した。
「ううっ」
私はその場にうずくまる。噛まれた箇所は、歯形が残り、赤くはれていた。まだ、じんじんと痛みが波のように襲ってくる。
「大変だ。せっかくの予言の少女なのに。早く、医者を、毒が回る前に」
王様が青ざめた顔で、右往左往していた。
「王よ。安心するがよい」
声が聞こえ、扉の方を見ると、おじいさん、賢者ウラナリがいた。
「その子にはすでに、カレンデュラのスープを飲ませている。毒が回る心配はないぞ」
「そうなのか。さすがウラナリだ。それより……」
王様の目が、ウラナリの隣の人物に向く。全身を鎧で覆っている男、しかし、隣にいる兵士達より二回りくらい体は大きい。
「フランツにはもう事情は話している。さあ、珠樹よ。聖なる山、マウントローズへと、旅立ってほしい」
「えっ、旅立つ?」
ウラナリは、「そうじゃ」と大きくうなずく。
「先ほどの笛の音色、そして、氷が解けるさまは見せてもらった。今こそ、予言通り、マウントローズの炎を復活させ、この世界の春を取り戻すのじゃ」
世界の春を取り戻す。あまりに大きなことに、私は何も言えずにいた。王様や、兵士たちの目がこちらを見ている。私がどう答えるか、待っているのだ。
さっきのさっき、この世界にやってきて、予言の少女だと言われて、そして、これから山へと旅立つなんて、展開が早すぎる。頭は混乱していた。
「チュウチュウ」
肩に乗ったティンクが、鼻をヒクヒクさせて鳴いている。その姿を見て、私はまた笑ってしまう。
どうせ、受験も終わって、退屈していたところだ。暇つぶしに、この世界を救うのも悪くないかもしれない。
「分かったわ」
部屋にいる誰もが、じっと私の方を見ていた。つばを飲み込む音まで聞こえてきそうだ。
「じゃあ、そのマウントローズに行くわ。私が、この世界の冬を終わらせるわ」
部屋に歓声があがった。興奮のためか、体の内側から熱が込み上がってくる。
「珠樹様、ありがとうございます。よろしくお願いします。私、フランツが、どんなことがあっても珠樹様をお守りします」
ウラナリの隣にいた兵士、フランツが、いつの間にか目の前にいた。近くで見ると、その大きさが際立つ。
「ほっほっほ。フランツは、この国で一番の騎士じゃ。安心するがよい」
ウラナリが、優しい笑みを交えて言った。
「それでは、彼女らの旅立ちを、盛大に祝福しようじゃないか」
王様が、高らかに声をあげ、部屋に拍手の音が響く。
こうして、この世界を救う私の旅は始まった。
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