葡萄畑を耕していた理由

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 床下から現れた葡萄酒の瓶に、三人は少しの間、呆然とした。  世間一般では、聖職者は酒を飲まないということになっている。しかし厳密には、聖職者は飲酒禁止と言う規則はない。ただ、酔っぱらって騒ぐのは恥ずべきことだと言われており、世間体もあるので飲まないだけである。  それにしても、聖地に酒瓶が隠されているというのは、風聞がよろしくない。  司祭トマスも戸惑っているようだ。 「シエロ様、いったい誰が、このような悪戯(いたずら)を」 「お前たちの罪ではない。これは、昔の友人がしたことだ」 「! 友人、と仰ると、これは初代の」    シエロの返事にトマスは仰天し、今度は逆に「なんと有難い酒でしょう」と伏拝み始めた。  会話を聞いていて、さすがにネーヴェも察するものがある。シエロの物言いは明らかにトマスよりも上位であり、その友人も悪戯が帳消しになるほど非常に位の高い人物だ。そもそも聖堂付き司祭が、ここまで気を遣う相手は、聖堂の主しかないではないか。  葡萄の栽培を促進したのは、初代国王だ。  パズルのピースを埋めるように、カチリカチリと、謎のすべてが解けていく。  ネーヴェは動揺を顔に出さないように、必死でこらえた。  最初は驚いていたシエロだったが、今は冷静さを取り戻したようで、平然と酒瓶を持ち上げている。 「せっかく見付けたんだ。蓋を開けて飲むか」 「シエロ様?!」  トマス司祭が仰天している。  無理もない。聖職者が昼間から酒を飲むと公言しているのだ。それにネーヴェの推測が正しければ、これは初代国王の作った葡萄酒だ。百年以上の年代物であり、その価値は計り知れない。飲んでしまっても良いのかという問題もある。  しかし、シエロは平然と言う。 「たまには良いだろう。今日はこの場にいる者で味見をして、美味(うま)ければ聖堂勤務している奴らに配れば良い」 「そんな貴重なものを」 「いつまでも放置すれば飲めなくなって、これを作った者も喜ばない。酒は飲んでこそ酒だ」    シエロが断言したので、トマスは「シエロ様がそう仰るなら」と同意した。  ちょっと待て。それは、ここでネーヴェも飲酒に参加するということだろうか。ただでさえ女人禁制といわれている場所にいるのに、酒を飲むのは気が引ける。 「私は飲酒は遠慮しますわ。シエロ様、鍋と肉はございますか。葡萄酒で煮込み料理を作りたく存じます」 「おお! それは良い案ですな! 牛肉を持って参ります!」    ネーヴェの提案に、トマスは喜んで、聖堂の厨房に走っていった。 「ふっ。うまいこと言ったものだな」    シエロが背後で含み笑いをする。 「酔いつぶして、ここに泊まらせるという手もあったのだが。残念だ」  あからさまに下心を匂わせた台詞に、ネーヴェはかっと頬を紅潮させた。 「なんて破廉恥な! あなた、それでも天」    それでも天使様ですか、と言いかけて、口をつぐむ。  彼の正体を口にすれば、その瞬間から、この中途半端で心地よい関係は終わってしまう。知っていれば、彼に無礼な態度は取れない。身分や立場の絶対的な違いが、明らかになってしまう。  知らないままなら、知らなかったと言い訳できる。  そう、知らない方が良いことも、世の中にはあるのだ。 「ん?」 「……何でもありませんわ」    シエロは続きを促したが、ネーヴェはその先を口にしなかった。  男の美しい顔を見つめ、慎重に返答する。  今はまだ、知らないままでいたい。
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