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途中でヴィスが裏切ることも想像していたが、特にトラブルもなく、裏口に到着してしまった。
「お姉さま、こちらですわ」
「迎えに来てくれてありがとう、アイーダ」
親しい友人でもあるサボル侯爵の娘アイーダが、裏口の前に止まっている馬車の中から手招きする。
ネーヴェが乗り込むと、馬車は静かに夜の道を進み始めた。
隣に座るアイーダは、ネーヴェが落ち着いたのを見計らって声を掛けてくる。
「災難でしたわね。天使様は、守って下さらなかったのですか」
「シエロ様は、アウラ側の天使と話を付けると言って出て行きましたわ。事前に警告をくれていたのに、うっかり真正面から魔物と会話した私の手落ちです」
シエロが出ていく直前、魔物と直接会わなかったのも、今思えば彼なりの対処だったのだと思う。直接会って、正体を見破られた魔物が反撃したら、事態はもっと混乱していた。
反省していると、アイーダは目を丸くする。
「お姉さまは、天使様のせいになさらないのですね」
「? どう考えても彼のせいではないでしょう」
「そう考えない人間も多いですわ。何か災いが起これば、天使様の加護が無くなってしまったのかと、焦り不安になるものです」
「ああ……」
アイーダの言わんとするところが分かり、ネーヴェは嘆息する。
天使様が守って下さると、民は無意識に信じている。
ネーヴェのような考え方をする者は珍しいだろう。
もしシエロが間違っていたとしても、ネーヴェは彼を見放すつもりはない。一緒に畑を耕すと約束したのだ。
だから、彼抜きで解決する方法を探す。
「私達は、二つの対処を同時並行で進める必要があります。一つは魔物を倒す方法を確認すること、二つめは本物の王子を探すことです」
ネーヴェが理路整然と話すと、アイーダは漆黒の扇をバサッと広げた。
「さすがお姉さま。その方針に賛成ですわ。そして両方の対処とも、私が助言できると思います」
「魔物を倒す方法も、本物の王子を探す方法も?」
「はい。もちろん天使様であれば全てご存知でしょう。けれど、お姉さまは、天使様に頼りきりは好まれない」
シエロに願えば全て解決するだろう。
しかし、それはシエロを天使として扱うのと同義で、彼を対等な人間とみなしたいネーヴェは気が進まない。それにおそらくシエロの方も、人々が自分の足で立って歩くことを求めている気がするのだ。
「魔物は、王子の姿で現れた。それだけ人間に化けるのに自信があるのでしょう。正体は変身や演技に長けた魔物か、あるいは……ドッペルゲンガー」
「ドッペルゲンガー?」
「古い鏡の中から生まれる影の魔物で、人間の姿を映し取るそうですわ。弱点は、鏡です。鏡に姿を映すことはできないので、正体を現して消滅するそうですわ」
博識なアイーダは、魔物の正体について心当たりがあるようだった。
ネーヴェは無意識に自分の唇を触りながら「もう一つの対処は?」と聞いた。
「私の屋敷に着いたら、王子の居場所について占ってみましょう。遠いか近いかでも明らかになれば、これからの行動の指針になるはずですわ」
アイーダの声を聞きながら、ネーヴェは馬車のクッションに身をうずめて深呼吸する。宴から立てこもりまで予想外の連続だったので、少々疲れた。
親友の隣で気を張っているのも限界だ。
目を閉じると睡魔が襲ってくる。
『……女王様、おねむ?』
『しーっ、静かにするのじゃ。あの天使がいない今、わしらが見守ってやらないと』
誰かが、遠くで会話している。敵意のない、好奇心だけが感じられる小さな声で。
ほぅー……ほぅー…と、梟の鳴き声が森の奥から響いてくる。
森に棲む生き物たちの息遣いを、すぐ近くに感じた。
「誰……?」
「お姉さま、誰の声を聞いているのです?」
アイーダに聞かれたが、ネーヴェは答えず、眠気に負けて眠ってしまった。
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