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モンテグロット温泉で一泊した後、ネーヴェとカルメラはクラヴィーア伯爵の元へ、シエロは近くの教会の司祭と共に王都に戻ることになった。
夜の間、ネーヴェはずっと考えていた。
自分の中のもやもやした気持ちの正体と、シエロに対する未練について。この国を救いたいのは、ネーヴェだって同じなのに、彼は一人で立ち向かおうとしている。それを放って、自分だけ安全な場所へ、フォレスタの外へ行くのは納得できない。
そう……中途半端に掃除をして、洗い残しがある状態で作業を終わらせるのは、ネーヴェの主義ではない。
「元気でな、ネーヴェ」
別れを告げるシエロを見返し、ネーヴェは言った。
「シエロ様。お願いがあります」
「なんだ?」
綺麗に髭を剃って別人になったシエロを見て、カルメラが驚愕していたが、見慣れてしまえば何の事もないとネーヴェは思っていた。
相変わらず、身だしなみに気を使わない彼の、無造作に伸びた髪をキッと睨む。
「次にお会いした時は、髪を結ばせて頂けますか」
そう聞くと、シエロは目を見開いた。
思いがけないことを聞いたかのようだった。
ネーヴェは密かに「やはり私ともう会うつもりはなかったのだわ」と確信する。
「次……次か」
父親を説得して、ネーヴェも王都に引き返すつもりだった。
ふざけた王子ときっちり縁を切り、アイーダと合流して虫の魔物を駆逐する。他人に運命を任せるつもりはない。この国を救うのは、聖女でも天使でもなく、自分だ。
毅然とした表情で言うネーヴェを見て、シエロは何か悟ったように薄く笑みを浮かべた。
「そうだな。もし次に会うことがあれば、その時は、蝶々結びにでも何にでもすればいい」
「お約束されましたね。けして忘れないで下さい」
「忘れるものか。ネーヴェ、期待しても良いのだな」
くすり、と彼は不敵な笑みを浮かべる。
急に歩みを進め、ネーヴェの前に出ると、身を屈め、顔を寄せてきた。
軽い口付けが頬をかすめる。
「王都で待っている」
低い美声が耳元をくすぐった。
ネーヴェが我に返った時には、彼は素早く身をひるがえし、歩き始めている。
その先では、司祭が馬を用意して待っていた。
彼は軽く手を振り、馬に飛び乗る。
去っていく後ろ姿を、ネーヴェは「蝶々結びになどしません!」とむくれて見送った。
「蝶々結びだなんて、きっと髪の結びかたもご存知ないのね」
「いや。比喩だとは思うけど……姫、あの旦那と結婚したいの?」
カルメラは、男の行動の意味を察していた。
しかし、ネーヴェはきょとんとする。
「結婚? 結婚の話は、当分結構ですわ。それよりも、災厄の原因を突き止めて、プーリアン州からも魔物を駆逐するのです」
シエロのような美形の男が頬にキスしてきたら、普通の女性はそれだけで動悸が止まらなくなることだろう。カルメラは平然とするネーヴェを見て「さすが姫」と感心するのだった。
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