2071人が本棚に入れています
本棚に追加
シエロと別れたネーヴェは、予定通りクラヴィーアの父親の元へ向かった。山道を登り標高が高くなると、空気が冷たくなる。クラヴィーア伯爵領は、フォレスタで最も早く冬が訪れる地方だ。
北方砦クラヴィーア。
山あいの谷に設けられた石の砦と、その砦に守られるよう位置する山腹の街や村の一帯が、クラヴィーア伯爵の直轄領である。
秋は、収穫物を求めて蛮族が攻めてくる季節でもあるため、クラヴィーアには屈強な傭兵や騎士がたむろしていた。
「おかえりネーヴェ! しばらく見ないうちに、すっかり大きくなって……」
「お父様も、ご健康そうで何よりです」
娘の帰還を知ったクラヴィーア伯爵ノルドは、街の入り口まで迎えに来ていた。ノルドは小柄で、おとなしい小栗鼠のような雰囲気の男だ。栗色の髪と瞳で、あまりネーヴェと似ていない。ネーヴェは母親似らしい。
今はいない母親は、遠い北の異国の姫だったという。気の強い彼女は、父ノルドを尻に敷いていたそうだ。
「早速で申し訳ありませんが、お父様、私はフォレスタの外へは行きませんわ。北方領主クラヴィーアの娘として、この国に広がる暗雲を晴らす手伝いをしたいと考えています」
「え?! やっぱりそうなるの?!!」
父ノルドは驚愕し「母親に似て気が強すぎる」と頭を抱えた。
「大丈夫かい? 王子との婚約は破棄されたし、もう民を救うとか気張らなくて良いのだよ。こうなったら国外でも、君を大切にしてくれる嫁ぎ先を見つければいい。探せばきっと見つかる」
「確かにお父様のおっしゃる通りですわ。ですが私、中途半端なままで引き下がりたくありませんの」
にっこり微笑んで答えると、ノルドは溜息を吐いた。
「頼むから、身の安全だけは確保して欲しい。私はもう心配で、心配で……そうだ、ちょうど君に会いたいと、当家に押しかけてきた客人がいるんだ。先のことを決めるのは、彼らに会ってからでも構わないだろう」
父親は引き伸ばし作戦に出た。
追撃するのは簡単だが、自分の意見にこだわるのは子供っぽく思われる。ネーヴェは「客人?」と聞きながら、父親と共に街の中を歩き出した。
領主の館は斜面に立っており、高台から砦が一望できる位置にある。
坂道に次ぐ坂道を登り切った後、懐かしい家が見えてくる。
灰色の石造りの無骨な建物だが、ここがネーヴェの育った場所だ。なぜか、シエロを連れて来たかったという考えが頭をよぎった。
「お、姫さん! やっと帰ってきた!」
鉄格子の門を開けると、中庭にいた男が振り返った。
日焼けした陽気な面差しの男は、商人のアントニオだった。
「アントニオさん! どうしたのですか、こんな僻地に」
「いや、姫さんに会いたいという女の子を保護したから、連れてきたのさ」
アントニオの後ろから、痩せた黒髪の女性が顔を出す。
元から華奢な女性だったが、今は青ざめており、触れれば折れそうな儚さだった。
「ネーヴェさん……」
「あなたは」
聖女ミヤビ。
驚いたネーヴェがその名前を呼ぶ前に、彼女は「やっと会えた」と呟き、その場に崩れ落ちる。いきなり気を失った彼女に、皆騒然となった。
最初のコメントを投稿しよう!