葡萄畑を耕していた理由

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 帰ってきたラニエリは、他人の家で自宅のようにくつろいでいるネーヴェに仰天した。 「お帰りなさいませ」 「……」    にっこり微笑んで言ってやれば、無言でこちらを(にら)み返してくる。相変わらず目の下の(くま)が酷い。  どうやら論破した一件で、すっかり嫌われたようだ。 「殿下を追い落としたついでに、私の顔を見に来たのですか。殿下の言った性悪女というのも、嘘ではないようだ」 「その追い落とした、と言うのは何ですの? 殿下が王位継承権を剥奪された話を聞いて、びっくりしましたのよ」    ラニエリは苛立っていたが、ネーヴェと話す気があるようだ。対面する椅子に腰掛けた。 「あなたの策略、という訳ではないようですね。ですが確かに、王位に関する権限は、天使にしかない。考え過ぎでしたか」 「……もしかして、天使様が?」 「そうです。天使は、次代の王を選び直すと宣言しました。高位貴族は大混乱の真っ最中です。あわよくば、王位を手に入れられるかもしれない。そう考える者も多い」    状況は分かった。  たまたまエミリオの王位継承権剥奪と、ネーヴェの王都帰還のタイミングが重なったらしい。……本当に偶然だろうか。 「さっさと王都に帰ってきて良かった。殿下の凋落(ちょうらく)に巻き込まれては困りますからね」 「あら。ラニエリ様は、殿下を支持しているのかと思っていましたわ」 「都合が良かったから、持ち上げていただけですよ。愚かでも良かったが、さすがに殿下は愚か過ぎた」    しれっと言うラニエリに、ネーヴェは「臣下として道を正すのも役割なのでは」と思った。しかし、彼らの関係をよく知らないのに、余計なお世話だろう。  気を取り直して本題に入った。 「私はクラヴィーアの代表として、陛下に謁見するつもりなのですが、謁見が叶うまでの間、クラヴィーアの兵士たちを養わなければなりません。ラニエリ様に支援をお願いしたく」 「なぜ私が」 「リグリス州を救った方法を、教えて差し上げたでしょう」    既に情報を渡してしまった後なので、交渉のカードとして弱い。  しかし、ラニエリは乗ってくる可能性があると、ネーヴェは踏んでいた。仕事優先の薄情な男だが、成果を上げることに熱心という点においては、エミリオより評価できる。 「それに、私が調べている、魔物の虫の発生した地域や被害状況などの情報、そこから導き出された根本原因の推測なども、整理でき次第お送りしましょう。いかがですか」 「……」    ラニエリは無言で眉間にシワを寄せ、考えていたようだが、少しして溜め息を吐き、腕を上げて執事を呼んだ。  執事に「クラヴィーアの兵士が泊まれるところを用意してやれ」と言い付ける。  ネーヴェは、ほっと安堵した。 「感謝いたしますわ」 「ふん。クラヴィーアの兵士の面倒に掛ける費用を、あなたの持ってくる情報の価値から引き算して、利益が出ると分かっただけです。それに、あなたに味方すれば殿下の風評に巻き込まれないでしょう」  今や罪人のように扱われているエミリオを支持するよりも、ネーヴェの弁護をした方が、世間的な評価を落とさずに済む。実に狡猾な方針転換だった。  ラニエリは「用件が終わりなら、さっさと帰って下さい」と言う。  そして、愚痴を漏らした。 「私は忙しいのに、どいつもこいつも……天使様が二十代以下の若者の中から、次代の王を選ぶと言っているせいで、父が私に天使様の顔を見に行けとうるさい。私は数字だけを見ていたいのに」  天使ということは、聖堂に行くのだろうか。  もしかすると、シエロがそこにいるかもしれないと、ネーヴェは思った。聖堂は基本的に関係者以外立ち入り禁止で、今の立場が曖昧なネーヴェでは、入ることができない場所だ。 「ラニエリ様、私もご一緒してよろしいですか」 「は?」 「大丈夫です。荷物持ちの侍女に(ふん)して参りますので」    ラニエリは「何言ってるんだこの女」という驚愕の表情になっているが、ネーヴェは気にしない。  ばれてもさほど問題になると思えないし、困るのはラニエリだけで、ネーヴェは全く困らないからだ。
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