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「お前を追っていた王子の顛末は聞いたか?」
シエロは、話題を変えた。
家の話には触れられたくないのかもしれないと、ネーヴェは話を合わせることにした。
「ええ。びっくりしましたわ。まさか王位継承権を剥奪されたなど。天使様は、次の王をどうされるつもりなのでしょうか」
「お前がなってみるか、次の王に」
「ご冗談を。だいたい、侯爵家の後ろ楯が無ければ、天使様に会えませんのに」
真面目な話ではなく、軽い会話だと思っての返しだった。
ネーヴェの言葉に、シエロは片眉を上げる。
「……まだ俺の正体に気付いていないか」
「何ですの?」
「いや。実際どうなんだ? 機会があれば、王位に興味があるか?」
やけに食い下がるシエロに、ネーヴェは困惑する。
「全く、ございませんわ。自分の分は弁えておりますもの」
「好きなだけオリーブ畑が作れると言っても?」
少し、心が揺れた。
少しだけだ。
「オリーブ畑は、王でなくても作れますわ」
「石鹸を国民に普及させたくないか」
「……高価なので、庶民は買えませんわ」
「それをどうにかするのが、権力者の腕の見せどころだろう」
確かに、とネーヴェは考え込みかけ、はたと気付く。
「いったい何ですの、この誘導尋問は」
「気にするな。単なる俺の願望だ。俺は他人の願いを叶えられるが、自分の願いは叶えられないからな」
シエロはしれっと意味深なことを言う。
「お前に王になって欲しい訳ではないが、そうでなければ」
「?」
「……止めておこう。ここに招いたのは、俺のミスだったな。先ほどから、失言ばかりだ。忘れてくれ」
彼はそう言って、ちらと枯れた葡萄の木を見た。その深海色の眼差しに、かすかな痛みがよぎる。悔恨? それとも悲哀の念か。
しかし、ほんの数秒でその気配は霧散し、彼はネーヴェに向き直る。
「外まで送ろう。次は、別の場所が良さそうだ。ここは辛気臭いだろう」
ネーヴェは何か釈然としない。
二人は部屋を出て歩き始める。
先ほどから何だろうか。知って欲しいのに、知ってほしくないような、微妙なシエロの匂わせは。ネーヴェは、うじうじ曖昧な態度は好きではない。これが他の男相手なら切って捨てていたが、シエロ相手には単純にそうするつもりになれなかった。しかし、流されるのも納得が行かない。
「……掃除が先ですわ」
「何?」
ネーヴェは立ち止まり、シエロを睨み付けた。
「天使様がいらっしゃるかもしれない場所を、あんな寂れた状態にして放置するなど、もってのほかですわ! 私に掃除させて下さいませ!」
シエロは目を丸くした後、くすりと笑った。
「分かった。お前の好きにするといい」
その声は、思いの外、嬉しそうだった。
反対されると思っていなかったが、少し不安だったネーヴェは、その優しい眼差しにほっとした。そして、ほっとしている自分に気付いて驚愕した。男の言葉にいちいち振り回されるなど、自分らしくない。それとも、シエロが特別なのだろうか。
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