葡萄畑を耕していた理由

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 あの後ラニエリは約束を守り、マントヴァ公の権力で用意した空き家をクラヴィーアの兵士たちの宿舎として提供してくれた。ネーヴェ自身は、彼らに近い場所に宿を取り滞在することにした。  国王から謁見の許可は、まだ降りていない。  シエロの件は、時間をつぶすのにもってこいだ。ネーヴェは掃除用具を持参して、聖堂へ向かった。  入り口でシエロの名前を伝えると、前回も案内してくれた、初老の司祭が現れた。 「お待ちしていました。私はトマスと申します。聖堂付き司祭の一人で、裏庭の管理をしております」    シエロ本人は受付に出て来ない。彼は聖堂勤務の司祭の中でも、高位なのだろうか。  案内の司祭トマスを追って歩きながら、ネーヴェは話しかけた。 「女人禁制と仰っていましたが、私を通して大丈夫なのですか」    あの時は初回だったから、そこまで気にしなかった。  しかし、本当に女人禁制なら何回も訪れるのは、まずいだろうと思う。  ネーヴェの懸念を聞いたトマスは「構いませんよ」と穏やかに返した。 「その規則を作ったのは、先代の司教なのです。天使様ではありません。この聖堂の主は、天使様です。人間が勝手に作った規則は、あってなきようなもの」 「でも、理由もなく規則は出来ないものでしょう。いったい、何故、女性の立ち入りを禁じたのでしょうか」    司祭は大丈夫と言っていても、ネーヴェは本当に問題にならないか、気になっていた。念のため、規則が作られた背景を聞こうとする。  すると、トマスは深い溜め息を吐いた。 「天使様の恵みは、万人に平等に与えられるもの。天使様の愛も、同様であるべきだと、先代の司教は考えたのです」 「というと……?」 「簡単に言えば、天使様がただ一人を愛することが無いようにしたかったのです。女にうつつを抜かすような事があってはならぬと……本当にお恥ずかしい話です。凡庸な人間ならともかく、あの高潔な天使様が道を誤る(はず)がないのに。しかし、気持ちは分かります」    戸惑っているネーヴェに、トマスは分かりやすく、シンプルな答えをくれた。 「私たちは、天使様を一人占めしたかったのかもしれません」    伝説の天使様にお仕えできる名誉を、少人数で独占したいと考えた、ということなのだろう。  トマスは、さらに続ける。 「天使様は、我々の想いを理解した上で、規則についても、何も仰らなかった。しかし、あの方は鳥かごの鳥ではない。居心地が悪くなったのか、この十数年、聖堂に戻って来られることが少なくなりました」    だから、天使が聖堂にいないのかと、ネーヴェは()に落ちる。人の気配がまるでない理由がようやく理解できた。  司祭でもないネーヴェが、聖堂の裏を歩き回っても、何も言われないのは、主不在だからかもしれない。 「本来なら、我ら司祭がきちんと清掃し、居心地よくなるよう整えるべきだったのです。氷薔薇姫様にそれを行っていただくのに、感謝こそすれ、反対するなど、とんでもない」 「私の行為が聖堂の規律を乱すのではと懸念しましたが、そうではないと知り、安心いたしました」    先日訪れた、聖堂の裏庭にある屋敷に近付くと、シエロが出迎えに立っているのが見えた。  その姿を見て、トマスが慌てる。 「シエロ様、何も御自らいらっしゃらなくても」 「俺も掃除を手伝う。お前一人では、この広大な屋敷の掃除は時間が掛かるだろう、ネーヴェ」  台詞の後半は、ネーヴェに向けたものだった。  帝国への旅やリグリス州での宿屋経営でも、シエロは当然のように掃除を手伝ってくれていた。よく考えてみれば、尊い身分で掃除に忌避感が無いのは珍しい。 「そうですね。それでは、お願いします」 「氷薔薇姫様?!」    二人の間で、何故かトマス司祭が、おろおろした。  一体何が問題なのだろうか。
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