0人が本棚に入れています
本棚に追加
右手で抱える紙袋の中には、腹持ちのいいパンと食欲を掻き立てるハムと色とりどりの果物。それから左手のビニール袋には洗剤とタオルと歯ブラシ。両手いっぱいに買い物袋を持っても重さは感じない。
紙袋からはみ出すオレンジが溢れ落ちそうになって蹌踉ける。手慣れた様子で買い物をする姿は主婦さながら。誰が俺を殺し屋だと思うだろうか。
必要な物は買い終わり貧民街へ向かって歩いていると、一つ前の曲がり角から見覚えのある横顔が見えた。その姿に嬉しくなり、大股で歩いて側に寄ると、つい声をかけてしまう。
「よう。昼に会うなんて珍しいな。」
少年は怪訝そうな顔をした。どうしたのかと思ったが、すぐにその理由に気が付いた。俺と少年が会うのはいつも夜で、少年は俺の仕事用の格好しか見たことがない。俺の素は知らないのだ。よく考えてみれば分かることだったのに、油断していた。
もう手遅れな気しかしないが、少年が気づく前に逃げるのが得策だと思った。踵を返し、走り出そうとした時、少年が俺の服の裾を掴んだ。
「もしかして、ルーザー?」
「…そうだ。」
相変わらず眉を顰めたまま、首を傾げて尋ねる少年。それに対し、壊れた人形みたいに振り返って、バツの悪そうに返事をする俺。少年は目を丸くさせて驚いている。その視線は俺の頭上に向かっていた。
「その髪イメチェン?」
「あー、実はなこっちが地毛なんだ。」
「え?」
俺はお粗末に切り揃えられた自分の髪の端っこを見つめた。陽の光を浴びて金色に輝いている。
少年がいつも見ていたのは、宵闇を彷徨う烏のように黒い髪。その下に、夜よりも深い海底さえ照らしてしまうような美しい金髪が隠れていたなんて想像もつかなっただろう。少年が戸惑うのも無理はない。
「仕事の時はウィッグを付けるようにしてんだ。殺し屋がこの髪だと目立って仕方ねぇからな。」
誰もが羨むような美しい金髪だが、俺には必要ないものだった。夜に活動する殺し屋が頭を輝かせていたら、暗殺も何もあったもんじゃない。自ら存在を教えてしまう。その上覚えられてはいけないのに、珍しい金髪が依頼主や同業者に強く印象を残してしまう。そういう訳で、初任務の時にマスターが黒髪のウィッグをくれたのだ。今では黒いマスクと共に俺の仕事の相棒となっている。
少年は納得したように頷いた。だがまだ釈然としないのか、眉間に皺が寄ったままだ。少し俯いて考えると、また首を傾げてこちらを見上げた。
「でも、池に落ちた時もなんともなかったよね。普通ウィッグ取れちゃわない?」
成程、少年の疑問は最もだ。先日池に落ちた時でさえ、ウィッグは外れるどころか微動だにしなかった。比較対象がないから何とも言えないが、こんなに優秀なウィッグは滅多にないと思う。時々付けているのを忘れてしまいそうになる程だ。
「あのウィッグはちょっと特殊なんだ。仕組みはよく知らねぇけど、簡単には外れないようになってる。」
「殺し屋御用達だもんね。」
腑に落ちたようで、少年は冗談を言うと笑った。その瞳に疑念も恐怖の色もない。殺し屋を、俺を、受け入れてくれている。
今度は視線を下に落とし、俺の持っている物を指差して笑った。
「今更だけど、それ似合わないね。殺し屋が普通の人みたいに買い物してるってなんだか可笑しい。」
「うっせぇ。俺にも生活があるに決まってんだろ。」
俺は不服そうに言葉を吐いた。図らずも少年と目が合うと、二人で同時に笑い出した。
いつも通りの休日に珍しい巡り合わせだ。こんなところで偶然会うなんて、今日はついている。
最初のコメントを投稿しよう!