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木々も眠りについた夜半。深い森の奥、湖の辺りで俺は仕事をしていた。仕事といっても、決して胸を張れるものではない。こんな時間に森の奥でする仕事とは一体何なのか。木樵?猟師?土木作業員?どれも違う。俺は殺し屋、つまり人を殺すことが仕事だ。
今回の依頼も大したことはなかった。丸腰の冴えない中年男を、綺麗さっぱり掃除するだけ。何の問題もなく、予定通りに事は済んだ。逆に予想外のことが何も起こらず、退屈すら感じる。
依頼主は襤褸を纏って極力顔を隠す、如何にも怪しげな男だった。僅かに見える素肌や髪の質、話す言葉の節々に感じられる上品さからして、裕福な家の者だろう。元より殺し屋の依頼料はそこら辺の連中が払える額ではない。依頼主の殆どは金持ちか同じく夜の世界に生きる者だ。稀に憎悪の念を抱く相手を殺すためだけに、一心不乱に金を集めて依頼をする一般人もいる。驚くべき執念だ。それだけの熱量があるのなら、もう自分で殺せばいいのにと思う。
今回の任務で一つだけ厄介な点を挙げるとするならば、それは雨が降っていないことだ。雨が降っていると、様々な面で都合がいい。叫び声や汚い雑音は雨音が掻き消してくれるし、血痕を残しても雨が流してくれる。だからなるべく雨が降っているときに片付けたいと言ったのだが、今日この時間でなければ駄目だと依頼主からの要望があり、今夜決行することとなった。
依頼主が男をこの森へ誘き出し、俺が襲う。こんな時間にこんな森の奥までどうやって誘き出したのかは知らないが、俺にとってはありがたい話だった。一人佇む男の背後を取ると、男は為す術なく、生殺与奪の権を俺に握らせた。ナイフを首に突き付けると徐々に呼吸を荒げ、みっともなく命乞いをした。残念だが、俺は聞く耳も慈悲深い心も持ち合わせていない。俺は人を殺す前に、必ず最期の言葉を聞くようにしている。今回も男に尋ねたが、変わらず命乞いをするばかりで話にならなかった。面倒臭くなったので男の首に手刀を落とし、気絶したのを確認してから息の根を止めた。
そして今、俺の足元に転がっているこの石みたいなやつがその男だ。既に息はしておらず、肌は冷たくなっている。
俺はこの男がどんな罪を犯したのか、そもそも罪を犯したのかすら知らない。あまり興味が湧かないため、依頼主が寄越す情報はいつもざっと目を通すだけだ。誤って他の者を殺してしまうなど絶対にあってはいけないので、年齢や身長、身体的な特徴などは正確に把握しているが、その他のことはほぼ知らない。だが誰かに死んで欲しいと願われ、実際に依頼までされていたわけだから、それなりに悪いことをしたのではないかと思う。俺が殺した人がどんな人だろうと関係ない。俺はただ、依頼があった人間を殺すだけだ。
重たくなった男を担ぎ、湖のすぐ側まで歩く。ずっしりとした重みに、亀のような歩みになってしまうのが情けない。贅沢な暮らしをしていたのか、服の裾から見えるやけに肉付きのいい図体に腹が立った。蹴飛ばしてやりたいところだが、血が辺りに飛んで余計に掃除が面倒臭くなるだけなので、大人しく運ぶ。
天よ、雨を降らせてくれと願うも、天は俺の言うことを無視するばかりだ。この頃旱が続いており、しばらく雨は降っていない。6月の初旬、もうじき梅雨に入ってもおかしくないというのに。きっと天に見放されたのだ。元より好かれてなどいなかったけれど。
そんなことを考えていると、頓に冷たい水が頬を伝った。俺は慌てて目に手を当てる。やはり俺の涙ではなかった。無意識に泣いているのだとしたらかなりきてるなと思っていたので安堵した。では、それは一体何だったというのか。
天からもう一度冷たい水が落ちてきて、ようやく雨が降っていることに気が付いた。どうしてそんな簡単なことすら分からなかったのか。それは、俺が今日雨は降らないと確信していたからだ。にも関わらず雨が降っている。不可解な現象だが、天のご慈悲だと適当に解釈した。
湖畔に着くと、縛り上げた男に錘をつけて沈めた。静寂な森にとぷんという音が響く。これで今日の仕事は終わりだ。無事任務を遂行できたことを報告しなければならないため、これから拠点へ向かう。
────とその前に、俺は先刻の違和感について調べることにした。
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