1. 哀憐の慈雨

4/4

0人が本棚に入れています
本棚に追加
/14ページ
「それに、僕は男だ。」  復復(またまた)驚かされた。俺の先刻の発言を裏返すと「男だったら殺してた。」と捉えられる。だのに自ら男であると明かした。黙っていれば俺は気付かなかったのに。  俺は怒りも忘れ、だんだん可笑しくなってきた。殺されかけたにも関わらず俺を挑発する奴も自爆しにいく奴も初めて見た。皆俺を恐れるばかりなのに。一周回って友達みたいな会話だと思うと、嬉しいような気さえしてくる。俺は笑いを堪えることができなくなった。 「ふはっ、そうかそうか。間違えて悪かったな少年。」  俺が笑っているのが気に食わないのか、少女──もとい、少年が眉間の皺を深くした。 「殺すなら殺せ。女に間違われて同情されるなんて不快だ。」  そんな端正な顔立ちで凄まれても、赤子すら怖がらないだろう。()してや、殺し屋の俺には子供が不貞腐れているようにしか見えない。この様子だと、今まで幾度となく女に間違われてきたのだろう。その度にこうやって反抗しているのか。それでは命がいくらあっても足りない。 「やめとけよ少年。命は無駄にするもんじゃあないぜ。」  俺からこんな台詞が出てくるなんて驚いた。俺は今まで命の大切さが理解できなかった。自分の命も、他人の命も、全部どうでもいいものとしか思えなかった。幼い頃から劣悪な環境で育ってきた俺は、愛してくれる人もいなければ大切にしたい人もいない。身近には、同じく命の大切さを知らない無法者が溢れていた。誰かに死んでほしくないと願うこと、それは俺にとって大きな変化だった。 「黙れ人殺し。僕は死んだって構わない。」  去勢を張っているのが見え見えだ。大方、つまらない人生なら死んでもいいと思っていたが実際に死を目前にすると怖くなった、ってところだろう。全く、生温いことだ。平和な世界しか知らず、のうのうと生きてきた坊ちゃん嬢ちゃんが、恵まれた命を軽々しく考えるなんて。俺だって、家族から愛情を注がれ、金や食べ物に困ることなく、友達と遊び、学校で学び、平凡な暮らしをしていたなら、命の大切さを理解できたはずなのに。  俺は殺し屋で、命を無駄にしている人の代表格みたいなものだけど、死と隣り合わせで生きているからこそ、命の重みも人間の弱さも十分に理解しているつもりだ。だからって尊いものだとは思えなかったけれど。  ま、色々説教したって余計睨まれるだけだ。俺は冗談っぽく死に急ぐ少年を宥める。 「嘘つけ、ずっと震えっぱなしのくせに。」  結局また睨みつけられた。弱っちいくせに根性だけは一丁前だ。俺の言い方が悪かっただけなのだが。殺し屋が優しい言葉をかけられると思うか?そういうことだ。だが、今まで散々怖がらせてきたんだから、最後くらい優しく接するよう努めてみてもいい。 「お前は生きろ。俺はお前を殺すつもりだったのに、何故だか生きてほしいと思っちまった。だからまあ、ちゃんと生きろよな。」 「何それ、君のために生きるみたいでやだよ。」  少年の頭をくしゃっと撫でた。私情でしかなくて、自分でも何が言いたいのかよくわからない。少年は相変わらず不機嫌そうな顔をしているが、少し表情が和らいだような気がした。一瞬、少年が俺と同じ側の人間であるように見えた。 「そんじゃ、二度と夜に出歩くんじゃねぇぞ。」  片手をひらひらと掲げて立ち去る。少年が今どんな表情をしているのかわからない。たった数分言葉を交わしただけの少年が、何故か俺の心に深く残った。まあいい。もう二度と会うこともないだろう。これっきり忘れてしまうのが一番だ。今度こそ拠点へ向かう。  いつの間にか雨は止んでいた。
/14ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加