第一話『台風コロッケ』

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すでに数人乗っている中では小さな声で話している彼女。「ジムに行ってみようかな」と呟いたのが耳に入る、一緒に行こうか、と誘おうとした時、もう一度チーンと音が鳴った。 ボタンのところに立っていた私は『開くボタン』を押し、先に出るように安藤さんを誘導。誰もいなくなったことを確認し、外へと出た。 「あ、ジム行きたいなら一緒に行かない? よく行っているところがあるんだけどさ」 「え、いいんですか! 長瀬さんと同じところに行きたいです!」 「良かった。じゃあ、詳しい日程はご飯食べながらでも……って、何あの人だかり」 昨日も似たような光景を見た気がする。案内所のところに数人の女性が集まっているようで、「誰だろー?」とか「背、高くない?」などと聞こえてくる。何、イケメン営業マンでも来たの?  私が勤めている会社はそこそこ大きいので、よく営業マンが飛び込みで来ている。アポもないのでなかなか上手くはいかないらしいのだが、顔が良いと社内で噂になっているとか。全部安藤さん情報だから本当かどうかは分からないけどさ。 「女子社員しかいないじゃないですか! 絶対イケメンですよ! 長瀬さん、見に行きましょ!」 「いや、私はいいよ。別に興味ないし」 「あ、そうですよね。長瀬さんは彼氏さん一筋ですもんね!」 「彼氏はいないってあれほど……え、明楽?」 グイグイ引っ張ってくる彼女に抵抗していると、ちらっと人集りの間から見えてしまった。見間違いだろうか。いや、見間違いであってほしい。何でここに明楽がいるの? 今日は学校のはずでは?  頭の中で疑問が湧いては消えてを繰り返し、体がピタッと止まってしまった。横では「知り合いですか!」と興奮気味に聞いてくる安藤さん。まぁ、うん、確かに知り合いだけれども。固まった体はなかなか動かず、逃げようかと考えた時。 「あ、キョウちゃーん!」 受付のお姉さんと話していたはずの彼は、私を見つけてしまったらしい。ブンブンと大きく手を振る姿は、まるで大型犬のよう。あの身長に炊飯器の異形頭はかなり目立つ。私の名前を叫んだ彼は小走りでこちらに近づいてきた。 「え、あ、何で」 「えー? キョウちゃん、お弁当忘れたから届けに来たんだよ!」 ほら、と私の目の前に直方体の塊を出してきた明楽。何を言っているのだろうか。今日はお弁当作らないって言っていたよね。 ぐるぐると巡る思考は止まることなく、もうそろそろオーバーヒートしそうだ。何も言えずに口を中途半端に開けている私。すると、すかさず安藤さんが声をかけた。 「あの、長瀬さんの彼氏さんですか?」 「いえ、同居人の明楽って言います。彼氏ではないですよ」 「なーんだ、そうなんですね。でも、毎日お弁当作っているのは明楽さんですよね?」 「えぇ。僕、高校で家庭科の先生をしているので。料理とか、家事全般は得意なんです」 「すごーい! 長瀬さん、超優良物件ですよ! こんな人、そうそういませんって!」 隣でコツコツと突かれている私は、「あぁ、うん」とか「そうだね」としか反応できずにいた。というか、何で私の会社に来たのだろうか。私が「ねぇ、何でここに」と言うと「あぁ!」と嬉しそうに話し始めた。 「ほら、今日のお弁当を渡し忘れたって思って!」 「え、でも学校は」 「今日は創立記念日でお休みだよ。あと、いつも後輩ちゃんと食べてるって聞いたから少し多めに作ったんだ。良ければ一緒にどうぞ」 いいんですか、と目をキラキラさせている安藤さん。彼女、いい子なんだけどね。なんていうか、素直すぎるんだよね。私は目の前で過ぎていく光景をただぼーっと見ていた。二人は馬が合うようで楽しそうにお話をしている。 「あの、お弁当は作らないって昨日言っていたような……」 「えー? ないって言っただけで、作らないとは言ってないよ?」 ニッコリと、彼は微笑んだ。いや、微笑んでいるかどうかは分からない。けど、絶対笑っている。私は必死に昨日の出来事を思い出していたのだが、確かにそうだと今気づいた。ないって言ったら作らないと思うじゃん! 持ってくるなんて、誰が予想した?  いや、それでも屁理屈にも程がある。可愛い弟なのに、たまにこうしてイタズラしてくるのをどうにかしてほしい。一人で「あ、そう……」と力なさげに呟くと、「じゃ、帰るね」と腕につけている時計を見た。 「えーもう帰るんですかー? もう少し長瀬さんについてお話ししましょうよー」 「安藤さん?」 「すみません。今日は休みだけど授業の準備もあるので。家でのキョウちゃんについてはまた今度」 「明楽?」 「分かりました! 楽しみにしていますね!」 ガシッと互いに固い握手を交わした二人。え、待って。私の知らないところで何が起きているの? それよりも、家での私についてってどういうこと? 周りからの視線が痛い。痛すぎる。 私が「ちょっと」と声をかけたが、明楽はそのまま去って行った。元気よく、私たちに向かって手を振りながら。この状態で去って行くとか、ありえないでしょ。あー他の社員から何て言われるのだろうか。 「素敵な人じゃないですかー! お弁当、楽しみですね!」 「あぁ……うん……そうだね……」 私はどこで、選択肢を間違えたのだろうか。
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