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「さて、明楽さん」
「は、はい」
「今日は、本当にありがとうね」
「いえ、そんな」
ニッコリと、俺の顔を見て微笑んだ。
「あの子は、本当にあなたのことが大好きなのねぇ」
目を細めて、昔を懐かしむような顔をしているお婆さま。小さい頃のキョウちゃんを思い出しているのだろうか。俺は、どうしてか声が出なかった。
「ずっと、私の後ろをついてきた子が、他の人に盗られると思っちゃったのよねぇ。本当、私もまだまだだよ、お父さん」
キョウちゃんは、お婆さまに育てられたと言っていた。両親は仕事で忙しく、家事の全てはお婆さまが一人でこなしていたとのこと。二回目の子育てだということもあったのか、たくさんのことを教えてもらったらしい。
家事はまるっきりダメだったけど、勉強することの大切さや、礼儀作法は一通り叩き込まれたと笑いながら話していた。十何年も一緒にいた子供が、自分から巣立って行くのは嬉しくも胸が苦しかったのだろうか。
「あなたが杏花ちゃんを大切に想っていることがよく分かりました。あの子のことを、よろしくお願いします」
深々と、頭を下げた。胸に込み上げてくるこれは、一体何だろうか。厳しい人に認められた喜びからなのか。それとも、彼女の家族の一員になれると思ったからなのか。分からない。
けれど、一切曲っていない腰を曲げて頼んでくるお婆さまはキョウちゃんのことが大好きなのだ。その気持ちは、俺と一緒なのだろう。
「はいっ 全力で、幸せにしますっ」
出るはずのない涙をこぼさないように必死に上を向いた。
「それでは、行きましょうか」
曲げていた腰は元に戻っており、スタスタと歩いて行ってしまった。俺も急いで鍵を閉め、後に続く。すでにタクシーは来ていたようで、お父様とお母様は先に乗っていた。待たせてしまった申し訳ない。
「ごめんなさいねぇ、待たせちゃって」
「大丈夫ですよ、今来たばかりなので」
助手席に乗る時に運転手さんは優しく返し、「ありがとう」と言いながら乗った。お母様と話していたキョウちゃんも「また電話するね」と言いながら話を終わらせていた。
俺も出発するだろうと思い、一歩下がろうとした時。お婆さまが窓を開けて手招きした。近づいて屈むと、「筑前煮、美味しかったわ。今度レシピ教えてね」と言い、ウインクをした。
「は、はい!」
「じゃ、また会いましょうね」
ひらひらと手を振りながら、窓が閉まっていった。もう一度一歩下がると、車はゆっくりと発進する。ウィンカーを出して道路に出て、小さくなるまで見送った。
はあ、今度こそ俺の役割は終わった。本当に疲れた。思わず出そうになる言葉を必死に飲み込みながら、ぼーっとする頭で明日のことを考えようとした時。
「ねえ、明楽」
「んー?」
「私さ、めちゃくちゃ鈍いんだよね」
「え、今更?」
「ちょ、酷くない?」
ごめんって、と笑いながら謝る。
「でも、やっと分かった。私、明楽のことが思っているよりも好きみたい」
「みたいって、何それ」
「もう! 笑わないでよ!」
ごめんごめん、と何度目かの謝罪をした。そっか、そうなのか。
「で、明楽は?」
「僕? そうだなぁ。僕も、思っているよりもずっと好きみたい」
言葉が出たと同時に、キョウちゃんがぎゅっと抱きついてきた。
あぁ、可愛い。俺も自分の腕を全部使って彼女を包み込んだ。
「私、家事できないよ?」
「そんなの知ってるよ」
「たまにアホだし」
「それも知ってる」
「本当に、いいの?」
「キョウちゃんだからいいの」
本当、当たり前のことを聞いてくるのだから。しかも、どうしてこのタイミングなのだろうか。まあ、そんなことを気にする必要はない。こうして俺の想いにやっと気づいてくれたのだから。これまで頑張ってアピールしたかいがあった。
やっと、やっとだ。
なんて幸せなのだろう。
こんなにも幸せなことが、世界中探してもあるだろうか。
ああ、これで、これで。
やっと僕のところまで落ちてきてくれたんだね。
終わり
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