第一話『台風コロッケ』

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第一話『台風コロッケ』

 突然だが、私は炊飯器系男子と一緒に暮らしている。 「長瀬さん! もうそろそろ帰らないと、電車止まっちゃいますよ?」 「いや、まだこの資料を完成させないと帰れないわ。安藤さんは先に帰っていて大丈夫だから」 「でも……」 「大丈夫。すぐに終わらせるから、ね?」 「まぁ、それならいいですけど……」 クリクリした茶色い目に、丁寧に手入れされているだろうしっとりとした手。申し訳なさそうにしている彼女に対してできる限りの笑顔を向けた。いつだってこの子は私に気を遣ってくれる。優しさの塊のような子だ。 私にはないものを持っているのが羨ましくなる。彼女は私みたいになりたいって言うけれど、私こそあなたになりたい。 「ほらほら、早く帰りなさい。彼氏が待っているのでしょう?」 「そんなこと言ったら長瀬さんもですよ! いつもご飯を作って待っているんですよね?」 「そ、れは、その……」 彼女の言葉にドキッと心臓が飛び跳ねた。別に悪いことをしているわけではない。ただ、安藤さんが話している『ご飯を作って待っている人』と言うのは、少し違う。 彼女の中では『同棲相手』として話しているが、彼とはただの同居人だ。 しかも、訳あり。 このことを誰かに相談しようと何度も考えたのだが、何と言うか、相談するタイミングを逃してしまった。『家に男がいる』と知られた時には部署の後輩が何人も確認しに来て、何人かは泣いて、何人かは鼻息荒く興奮していた。全く、人の噂話に興味があるなら他の仕事をしてくれないだろうか。 「わ、私は大丈夫よ! 彼はまだ帰ってきてないと思うし。ほら、帰った帰った!」 グイグイと後輩の体を押して、触れられたくない話題から気をそらせようとする。まだ何か「えーでもぉー」と甘えた声を出していたが、「じゃ、お疲れ様!」と普段は出さない大きな声でエレベータの中へと放り込んだ。 二人だけだった空間に静寂が訪れる。はぁ、どうしてこうなってしまったのか。ぼーっと順番に光っている数字を見た。 「あ、ダメだダメだ。残りの仕事を終わらせなきゃ」 チンっと音が聞こえ、現実に戻った。さっさと自分の席に戻り、ボワっと光が広がっている机の上で引き続き指を動かした。数日後に迫っている商談は絶対に失敗できない。これで会社の未来が決まると言っても過言ではないのだ。 課長には『そんなに気負わなくていいよ』と言われているが、私がそれを許さない。他人には厳しく優しく、自分にはもっと厳しく。そうすればきっと道は開けてくる。岐阜のおばあちゃんがよく言っていた。肝に銘じた格言を胸に光る板に向かい合った。
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