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目が覚めた時には私はベッドの上にいた。あれ、あのまま寝ちゃったんだっけ。目をこすりながら近くの時計を手に取る。
「……え」
時刻は七時半。本来なら、私の出発時間だ。
「うわぁ! 寝坊した!」
ガバッと勢いよく起き上がったのだが、ふと今日はリモートワークだったと思い出す。なんだ、よかった。こんなにも慌てる必要はなかったじゃないか。完全に目覚めてしまった体と頭では二度寝は不可能だ。
仕方ないと思いテレビを点けると、「おはようございます!」と元気な笑顔で挨拶をしているアナウンサーがいた。
「本日は週の真ん中、水曜日! 昨日までの台風はどこへ消えたのか、一面の青空です!」
「……青空?」
画面の中に広がっている光景が一体どこの話をしているのか分からず、じっと見つめた。そしてブブッとテーブルの上に置かれたスマホが震えている。すぐに手に取り確認すると、『台風が去ったので出社してください!』と書かれていた。
「……ってことは、結局遅刻じゃん! やばい!」
頭の中が真っ白になった。遅刻なんて、電車が遅延した時だってしなかったのに。慌てて服を脱ぎ捨て、仕事着のスーツを取り出す。ラックに掛けられているシャツを着て、荷物を取りに行くためにバタバタと走り回る。
「んー……? あれ、キョウちゃん。今日はリモートじゃないの?」
「外、めっちゃ晴れてるの! だから、急きょ出社が決まったって! えーっと、これで忘れ物ないかな。じゃ、行ってくるね!」
「え、ちょっと! あーあ、行っちゃった」
何か言いたいことがあったのか、閉まる扉から明楽の声が聞こえたような。いやいや、今はそれどころではない。人生初の遅刻する危機に陥っているのだ。頭の中で今日終わらせる予定の仕事があるか確認しながら、足を動かした。
全力で走ったのが良かったのか、それとも課長が来るのが遅かったからなのか、なんとか私は遅刻せずに済んだ。メイクも何もせずに出てしまった私は、急いでトイレに駆け込んで顔を作った。
濃いメイクはしていないのだが、いつもより薄めだからメガネを装着。何人かの後輩には「メガネ、珍しいですね!」と言われたのだが、適当に愛想笑いで誤魔化した。
「えー大型台風の影響を大きく受けることなく、こうして皆さんと仕事ができて大変嬉しく思います。本日の日程ですが……」
ふわぁっとあくびを噛み締める。朝礼が十分ほど遅れたことにより今日の仕事の準備をすることができた。いつも余裕を持って動いているけど、今日はさすがに焦ったわ。
いつだって冷静で取り乱すことのない私が走ってきたものだから、部署の後輩は何事かと慌てていた。素直に遅刻しそうになったことを伝えると、「先輩もちゃんと人間なのですね!」と言われてしまった。いつも厳しい仕事人間だと思われているから仕方ない。
「えーでは、今日も一日頑張りましょう!」
はい、と元気な挨拶がオフィス内に響き渡った。いいな、みんな元気で。私にもその元気を分け与えてほしい。
「先輩! 朝から申し訳ないのですが、この資料って……」
「あーはいはい。それね。こっち来て」
自分の席に戻る途中で声をかけられ、自然と仕事モードにスイッチオン。頭の中を覗かれたわけでもないし、いつも通り仕事をしよう。ピシッと背筋を伸ばし、あちこちから声をかけられる度に一つ一つ対処した。
今日も今日とて忙しい。リモートワークの予定だった人がほとんどだったので、後回しにしようとしていた仕事がこんもりと出てきた。急いでいるわけではないのだが、納期は迫っているし早めに終わらせた方が無難だろう。ちらっと課長の席を見ると、大きく口を開けてあくびをしていた。
夜遅くまで起きていたのかな。ちらほらと眠そうにしている社員と、船を漕ぎ始めている後輩。本来なら注意するのだが、今日くらいはいいかな。隣で同じく頭をゆらゆらと動かしている安藤さんにコツンと肘で突っついた。
「あー! やっと昼休み! 長瀬さん! 今日はお弁当ないんですよね? 一緒にランチ行きません?」
「いいわね。行こうか」
わーい、と手を挙げて喜んでくれている安藤さん。いつも私に対して『愛妻弁当ですね!』と冗談っぽく話しかけてくるのだが、今日は私が何も持っていないことを目ざとく見つけたらしい。
別れたのかと騒がれていたのだが、そもそも付き合っていないと話すと「なーんだ」と口を尖らせていた。いや、私、彼氏いるなんて一言も言っていないけど。私がそう言っても「またまたぁ」と笑われる。まぁ、別に困らないし、いっか。
動かしていた手を止めてデータを保存。パソコンをスリープ状態にしてから鞄から財布を取り出した。すでにエレベーターで待っているようなので、急いで向かう。
「あ、長瀬さん!」
「ごめんね、お待たせ。何食べに行こうか?」
「和食とかどうですか? 私、最近また太っちゃってー」
「いやいや、痩せているでしょ。どこに太った要素ある?」
「ありますよー! ほら、こことか!」
自分のお腹のところをぷにぷにと触った。うーむ、そうだろうか。むしろ、私の方が立派なお腹をしているような。そんなことないよ、と何度も言ったのだが引き下がらない安藤さん。この子、可愛いのに意外と頑固なんだよなぁ。どうしたものか、と悩んでいるとチーンとエレベーターが来た音がした。
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