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「八尋八尋、ちょっと良い?」
舞台袖で声を掛けてきたのは椎名翔であった。
八尋は昨日までとは違い、幾分か余裕な表情で返事をする。
「悠太どこいるか知ってる?」
「あれ、さっき準備してるの見ましたけど」
ギリギリに教室へと入って着替える姿を見ていたのだが、そういえば姿が見えない。開演まであと5分もないというのに。
「はあ、昨日は八尋で今日は悠太か」
まさに問題児の世話をする上級生。翔はやれやれと頭を搔く。
「ご迷惑おかけして、すみませんでした」
苦い言葉に、八尋は改めて頭を下げた。
「いや俺にはいいんだよ。舞台の真ん中でアドリブ効かせて場を繋いだのは玲奈ちゃんだから」
「え?」
「聞いてない?ジュリエットがシンデレラに電話かけて惚気けるっていう謎の名シーンの話」
八尋は驚き首を横に振った。
なんだその無茶苦茶な設定は。完成された舞台の中でいったいどうやってそれを組み込んだというのか。
「みんなに頭下げるより、玲奈ちゃんにありがとうって言いな」
翔は言った。八尋の視線はドレスアップした玲奈の方へと向く。それから「そうですよね」と小さな言葉を零して、玲奈の方へと歩みを進める。
「久城さん」
「わ、八尋先輩」
背後から声を掛ければ、玲奈は一瞬嬉しそうな表情を浮かべ、だけどその後すぐに俯き「どうしたんですか」と不貞腐れたような表情を見せた。
「昨日、シンデレラに電話かけてくれたんだって?」
「あ……それは、はい。そうですね」
いつもの笑顔を作ることなく、玲奈は愛想悪く言う。
「ありがとう」
そう告げると、玲奈の時間が止まってしまったかのようにぴたりと動かなくなり、八尋はそれをどうしたものかと眺めていた。
「それだけ、言いたかっただけ」
言葉が続かない居心地の悪さに、今まで玲奈がたくさん話題を振ってくれていたことに気が付いた。いつでも笑顔で、やかましいほどの言葉を投げかけてくれていたことに。
八尋は多少、それに救われていたということに。
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