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目の前の男の様子は只事じゃないなと思ったけれど、急かしても仕方がない。
口を開くまで数学の問題を解いていようとシャーペンを持ち直し問題集に目をやると、ちとせはやっと口を開いた。
「男の人を、好きになったかもしれない」
「え?」だか、「は?」だか、覚えていないけれど無神経な声が漏れたような気がする。そしてちとせの顔を見て、血の気が引いていったのは鮮明に思い出せる。
全身にめぐる血管までもが急にひんやりとして、落下していくみたいな感覚がしたのだ。あの時自分はどんな顔をしていたのだろう。
「サッカー部で一緒の、八尋も知ってるだろ、椎名翔先輩。俺はあの人が好きなんだと思う」
真っ赤な顔で、丸くてでかい目を伏せて物憂げに言っていたのだ。薄手のカーテンから透ける光はその顔を照らしていて、やけに眩しかった。
冷えきった血管はどんどんと身体中の温度を下げて、指先までもが氷のように冷たくなっていったのを感じた。変な汗が出て、口が乾く。
そして椎名翔とかいう男の顔がぼんやりと浮かんでは消えてを繰り返す。
サッカー部のエースで頭も良い、高身長で顔が整っていて、髪色も性格も明るく、誰にでも馴れ馴れしい奴だ。
ちとせと一緒にいた時に少し話しをしたことがあった。八尋とは真逆の存在みたいなその男の顔が、モヤがかかったみたいに脳裏に浮かんで、最低な気分だった。
「八尋には隠せないと思ったんだ。バレて引かれるより、自分から言った方がマシかなって」
驚いた?とヘラヘラ笑ったちとせは八尋の目を一瞬だけ見て、すぐに逸らした。
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