きみが咲かせる花だから

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大学の食堂は結構広い。 広くてお昼時じゃなくても大体人は多くて、そして定位置なんて決めていないので俺が座る場所は毎回バラバラで。それなのに目の前に許可もなく陣取ったこいつはどうやってるのか、いつも一発で俺の居場所を突き止める。 そうして彼はいつものように食堂中の視線を浴びながら、そしてそれをまるっと無視しながら、ここにはまるで俺と自分しかいないような素振りで話し掛けてくるのだ。 「しょーくんはさぁ」 「のぼるですけど、俺の名前」 俺の名前は昇と書いて「のぼる」であり、「しょう」ではない。それを何度訂正しても「あはは」と流すこいつの態度にはもう慣れたが、何となく訂正せずにはいられなかった。気にせず奴はよっこいせと座り直して長めの髪をハーフアップに結い直している。邪魔なら切ればいいじゃんと何度も思ったが、口にしたことはない。そしてこいつの一挙手一投足に外野がいちいち反応するのでうるさい。ホントうるさい、髪結んでるだけじゃん。 「やだぁ、見惚れてる?」 「用件は?無いなら早よどっかいけ」 「こいびとに対して冷たくなぁい?」 「付き合ってないしそもそも友達でもない」 何度そうきっぱりと言い放ってもハーフアップクズのこいつの表情が崩れることはない。名前も俺たちの関係性も、まるでこちらの言うことを聞く気がないクソ野郎だ。大学に入って少ししてから、俺はなぜかこの頭ふわふわ馬耳東風野郎に付き纏われている。馬耳東風の使い方がこれで合ってるのかは分からないがまぁいい。 用件も何も、どうせまたくだらないことなんだろうなと思いながらぼうっと形だけはやけに整っている顔を睨みつけると、何故か嬉しそうに微笑まれた。きもい。意味が分からん。そんな俺の考えも全部見抜いているだろうに彼はやって来た時と全く同じように「しょーくんはさぁ」と再びのんびりした調子で話し始めた。頬杖をついて一見気怠そうに、でもコーヒーみたいな色の瞳は真っ直ぐに俺を見て。 「おれが浮気したら悲しいよねぇ」 「のぼるだって、聞けよ。てか知らんし」 そもそも恋人でもないって言ってんじゃん。 「おれはねぇ、もちろん悲しいよ。考えたくもないもん」 「なら考えなきゃ、いい…」 何をまた意味の分からんことを、と一蹴しようとしたところで、空気が変わった気がした。さっきまで頬を染めて彼のことを見ていた学生たちはもう他人の振りをして一様に目を逸らしている。いや、他人は他人なんだけど。 相も変わらず周りを全く気にしないハーフアップクソ野郎は、切れ長の瞳をすっと細めて口の端だけで笑った。心は笑っていないことなんてすぐに分かる気味の悪さだ。 「でさ、昨日きみに絡んでたあの男、だれ」 「どの男」 「二限終わりに廊下で肩組んでた奴」 「見てたのかよ。…友達だよ」 友達、と言ってもたまに講義が被ると話すくらいの仲だ。しかも大抵はレポート手伝ってとかこの後飲み会あるから代わりに用事やっといてとかそういう内容で、事あるごとに色々押し付けてくる、俺にとっては苦手な奴でもある。嫌いというほどでもないが、好きなわけでもない。 そこまで説明する必要もないのでただ「友達」とだけ話すと、彼は「ふうん」と興味無さそうに相槌を打った。何で訊いたんだ。 「あいつ、サッカーのキーパーやってんだっけ」 「だったら何」 「右手って、怪我したら困るかなぁ」 「そんなの当たり前、って…お前まさか…」 「明後日試合なんだって。だいじょーぶ、その次の試合には治るよ」 「こんの…っ!」 「なぁんてね。まだ何もしてないよ。まだ、ね」 「………クズ」 「きみが浮気しなきゃいい話だよ、昇くん」 「くそが…。てか、いつ付き合ったよ!?」 「あはは」 一瞬マジで何かしたのかと思った。こいつならやりかねない。目がマジだったし、こういうことは初めてじゃないからだ。実際まだ誰かを傷つけたということは…多分、多分、俺の知っている限りではないけれど。でもこういう意味の分からない質問をされることはしょっちゅうあるし、何よりこのハーフアップクズは外見以外の良い評判を聞かない。 「そういう冗談すげーきらい」 「知ってる。だから冗談じゃないよ」 「クッソ野郎…」 「じん、だよ。ふゆつきじん。そろそろ覚えてね、立藤昇くん」 「必要性を感じない」 「じゃあ、もっとがんばって必要不可欠になるね」 「楽しみにしてて」と手を振りながら去っていく変人の背中を見送りながら、俺は心で舌打ちした。 冬樹忍。 この名前を知らない者はこの大学にいないんじゃないかというくらい、色々なところで有名な学生。正直俺はこうして絡まれるようになるまで全然存在すら知らなかったが、知人に聞いた話では大層な有名人らしい。 普通に歩いてても目立つくらい高い背に、無駄に長い脚に、あの無駄に造形だけは良い顔立ち。切るのが面倒くさいのかいつも大体ハーフアップにした髪の下からは、数えるのが面倒なくらいのピアスが覗く。 気怠げでクールと言われている目元は大抵クマがあって寝不足そうで、ただただ不健康そうにしか見えない。俺からすれば神出鬼没な意味不明クズである。 そんな彼は、実家が多数のホテルを経営する何とかグループの御曹司だとか、高校時代は地元で名を馳せたヤンキーであったとか、彼氏も彼女も数え切れないくらいいるだとか、来るもの拒まずなので告白が絶えないだとか実はどこかの国の王子様だとか、信憑性はともかく色々な噂がある噂製造機でもあった。どれも本当そうで、どれも嘘くさい。みんなよくそんなに想像できるな。 「まあ俺にはどうでもいいが…」 それにしても絡まれるようになった理由がマジで分からない。全く心当たりない。 学生時代に怪我をしてたヤンキーの彼を介抱したとか、何か親切なことをしたとか、実は中学か高校が同じだったとか…。全然そんなことは記憶の片隅にもなくて、しばらくううんと思考を巡らせたあと、そういえばと鞄を開けた。 昨日押し付け…頼まれたレポートを今のうちにちょっとでも終わらせておこうと思ったのだ。けれど、レポートに必要なプリントが見当たらない。俺の分はほとんど終わってるから別にいいんだけど。家に忘れてきたんだっけ。 その時スマホが震えて、メッセージの差出人を確認するより前に短い一文が目に入る。 『すみません。やっぱレポートは自分でします』 「何で敬語?」 誰のメッセージなのか見るまでもなく分かったし誰のせいなのかもすぐに分かった。そして何となく、多分、一応無事なようでちょっとだけホッとする。右手は…まぁ多分折れてないんだろう。 俺はサッカーくんにはただ『分かった』とだけ返し、別の人物へのメッセージ画面を開くも何を送ればいいか分からなかったので、結局何も送らなかった。
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