授業・・・

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 次の授業を待ちながら、勤(つとむ)は職員室で小刻みに震えている手足を悟られまいと、動きを止めるべく俯きながら、ずっと我慢していた。 「ん?、どうした?。」 同僚で先輩の広(ひろし)が勤の様子を見て、声を掛けてきた。 「あ・・、いえ。いつも授業の前はこうなんです・・。」 と、勤は手の平にかいた汗を見せながら、少し震えて答えた。 「緊張してるんか?。」 「あ、はい・・。」 「何で?。」 広先生は意外な言葉を発した。 「え?、何でって、そりゃ、やっぱり、授業前だから・・。」 「だから、何で緊張なんかするんだ?。」 会話は噛み合わなかった。勤は逆に、 「じゃあ、広先生は、緊張はしないんですか?。」 と、自身とは真逆な様子で過ごしている広先生にたずねた。すると、 「オレか?。そりゃするよ。最初は。でも、慣れたらしなくなるよ。」 湯吞み茶碗のお茶を口にしながら、広先生は淡々と答えた。 「じゃあ、ボクはまだまだ不慣れってことですかね。」 勤は自身のキャリアの浅さを振り返りつつ、自虐的にそういった。ところが、 「うーん、オレのいってることは、そうじゃ無いんだ。ま、その内、キミにも解るさ。」 そういいながら、広先生は始業のチャイムの前に席を立つと、教材を抱えて授業に向かった。それを見た勤も、 「あ、オレもそろそろ・・。」 と、相変わらず震えの止まらないまま、仕方無く授業に向かった。教室では生徒達が勤を待っていた。 「ガラガラ。」 「起立。礼。着席。」 いつものルーティーンで授業が始まると、勤は欠席者の確認をして、早々に授業に移った。そして、教材を開きながら板書を始めると、 「クスクス・・。」 と、教室の何処かで女子生徒の小さな笑い声が起きているのが耳に入った。比較的大人しいクラスで、それ以上の騒動になることも無かったが、勤の授業では、このような私語が頻繁に見られた。 「また喋ってるなあ。」 そう気にはしつつも、勤はどう注意していいか解らず、授業を遮らないことにのみ集中して、ひたすら板書を続けた。 「はい。じゃあ、今日の所は・・、」 板書を書き終えて、教科書の説明を始めると、前列付近の生徒は顔を上げて、勤の話に集中していたが、後方の生徒は明らかにやる気が無いといった様子だった。それでも勤は、声を張り上げて授業をすることで、自身の話を理解して貰えると、そう信じつつ授業を継続した。そして、幾つかの例題を解いて見せた後、生徒自身に問題をやらせながら、勤はゆっくりと通路を巡回した。 「またか・・。」 あからさまにでは無かったが、やる気の無い男子生徒は、ノートに落書きをしていた。そして、勤がやって来ると、そのページを隠して、勉強をしているフリをした。こんな風な状態が続いては、教室内に学力格差を固定化させてしまう。しかし、そのことを一体、どうすればいいのか。勤は悩みつつも、自身の震えが先に出て、解決方法を見出せないままでいた。  授業を終えた勤が職員室に戻ると、先に戻っていた広先生がスポーツ新聞を読みながら、タバコを吹かしていた。 「あの、此処、禁煙ですけど・・。」 勤がそう諫めると、 「あ、そうだったな。悪い悪い。」 そういいながら、広先生はタバコをくわえたまま、職員室の外にあるバルコニーに、くわえタバコのまま新聞を持って出ていった。それを見て、勤は何故か、彼に付いていった。 「ん?、どうした?。キミも吸うのか?。」 「いえ。ボクは吸いません。」 「そうか。じゃあ、何?。」 広先生は後を着いて来た勤に理由をたずねた。 「あの、さっきの授業前の話なんですが・・、」 「さっき?。」 「ボクがどうしても緊張してしまうって話です。」 「あー、あれね。はいはい。で?。」 「どうしたら、緊張しなくなるんですかね?。」 勤は切羽詰まった様子で、広先生に詰め寄った。さっきの授業で、集中していない生徒に対して上手く対応出来なかった焦りも手伝っていた。すると、広先生は新聞をたたみながら、 「あのさ、これ、根本的な質問なんだけど、」 「はい?。」 「どうして、緊張が無くならないと駄目なの?。」 と、突拍子も無いことを勤にいった。いや、少なくとも、勤にはそう思えた。 「え?、だって、緊張したままじゃ、何事も上手くいかないし・・、」 不思議すぎる質問に、勤は思ったままを答えた。すると、 「うーん、じゃあさ、キミは緊張さえしなければ、何事も上手く出来るんだ。」 と、何処となく嫌味にも聞こえるようないい方で、広先生は勤に話した。 「い、いえ、そういう訳では。でも、緊張の無い方が、少なからず、その可能性は・・、」 と勤がいいかけたとき、広先生は再び新聞を開いて、 「そりゃ、買い被りってもんじゃ無いか?。」 と、ぶっきら棒ないい方で、しゃがみながら勤の目を見た。それを聞いて、勤は何か打ちのめされたような思いになった。 「今、ムカッと来なかったろ?。だからだよ。」 広先生はタバコを床でもみ消しながら、 「緊張するのは普通、自信が無いからだろ?。で、自信が無いってことは、いわれたら、いわれっぱなしってことだろ?。だからさ。普通、オレにここまでいわれたら、腹の一つも立つだろう。でもキミは、そうじゃ無かった。」  広先生は新聞を小脇に抱えると、勤の肩に手を置いて、 「あのさ、勤先生。オレ達は教員って職業をやってるよな?。それって、未完成な人間に完成形を見せることかい?。だったら、オレ達は完成された人間じゃ無きゃ駄目なはずだけど、違うだろ?。未完成なまま免許を貰って、新米教師として配属される。研修はされるが、ちっともアテにはならねえ。未完成な人間が、さらに未完成な人間に向かって、さも物事を知ってるって風に授業をする。そんなことぐらい、生徒達もお見通しさ。互いに人間だもんな。」 といいながら、少し微笑んで立ち上がった。それを聞いて、勤は思わずハッとなった。目から鱗だった。 「さて、クラブの練習見にいくか・・。」 そういいながら、広先生は立ち上がって、バルコニーを後にようとした。 「あの、広先生!。」 勤は立ち上がって、広先生を呼び止めた。 「ん?。何?。」 「もう少し、お話を聞かせてもらっていいですか?。」 勤は幾分食い気味に広先生にたずねた。 「いや、だから、オレはクラブが・・、」 「それ終わってからでいいです!。お時間、ありますか?。」 懇願する勤に、広先生は仕方無いといった様子で、 「・・解ったよ。じゃあ、練習が終わったら、その後で。」 そういうと、広先生はそそくさとバルコニーから立ち去った。勤は広先生の残した吸い殻を片付けると、職員室に戻って、何やら書き物を始めた。その作業は職員が一斉下校する時間まで続いた。クラブの練習を終えて戻って来た広先生に、 「ご苦労様です。」 と、勤は声を掛けた。何故クラブの顧問もやってない勤先生がこんな時間まで残ってるんだろうと、広先生は不思議そうな顔をした。そして、ようやく、さっきのことを思い出したのだった。 「・・あー、はいはい。お話ね。よし、じゃあ、これから一杯どう?。」 「はい!。」 広先生の言葉に、勤は嬉しそうに返事をした。学校を後にした二人は、駅前にある小さな居酒屋に向かった。そして、暖簾を潜ると、二人は入り口付近にある二人がけの席に陣取った。 「大将、取り敢えずビールと、勤先生は何を?。」 「ボク、烏龍茶で。」 「飲めないの?。」 「いえ。大事な話の時は飲まない方がと・・。」 勤の言葉を聞いて、こりゃ駄目だといわんばかりの表情をしつつ、広先生は、 「大将、ビール二つと、あと、適当に。」 と、勤の承諾無く酒を二人分頼んだ。そして、 「あのさー、そういう話をするときは、取り敢えず、飲むの。」 「あ、はい。」 と、勤にいって聞かせた。ビールとアテが来ると、広先生はグラスにビールを二人分注いで、一つを勤に手渡した。そして、 「じゃ、取り敢えず、乾杯ーっ。」 といいながら、二人はグラスを軽くぶつけて、一気にビールを飲み干した。空かさず、広先生は勤のグラスにビールを注いだ。 「で、話って?。」 「はい。今日、広先生からいって頂いた言葉が、とても胸に刺さりました。」 「胸?、オレ、そんなこと、いったっけ?。」 「はい。自分たちは完成形じゃ無いって。」 「ふーん。そうなんだ。」 「え?、覚えて無いんですか?。」 あれだけ素晴らしい話を聞かされたのに、当の本人がそのことを忘れていたことに、勤は驚いた。しかし、 「ま、忘れるぐらいだから、完成形では無いってことだけは確かだな。ははは。」 そういいながら、広先生は機嫌良さそうにビールを飲んだ。暫し飲み食いをした後、勤は鞄からとあるメモ紙を取りだした。 「ん?、何、それ?。」 「あ、はい。今日折角お話が出来るってなったので、ボクが自分に感じてる駄目な所を、箇条書きにして来ました。」 そういいつつ、勤は広先生にそのメモを見せようとした。それを聞いて、広先生は右手で目を覆いつつ、 「あのさー、申し訳無いけど、勤先生はオレのいってること、全然解って無えな。」 と、あきれ顔で勤にいった。ショックを受けた風な表情で、 「え?、どうしてですか?。」 と、勤は広先生に詰め寄った。すると、 「人の駄目な所聞いてて、楽しいか?。」 広先生はそういいながら、まじまじと勤の顔を見た。そして、 「此処、酒の席だぜ。楽しく飲まなくて、どうするよ?。」 と、突き放すようないい方をした。 「そうですね・・。すいません。」 そういって、落ち込みそうになる勤のグラスにビールを注ぐと、 「ま、兎に角、ドンドン飲もう!。話はそれから。な。」 広先生は酒の力を借りて、勤を明るくさせようと必死になった。折角の酒代を、気分を害したままでは勿体ない、そういう思いからだった。そして、しこたま飲んだ勤は、最悪な状況に向かっていった。 「広先生ーっ!。アンタはいいよなー!。そうやって、いっつも脳天気でさあ。」 辛み酒だった。しかも、相当タチの悪い。ところが、 「ウッ、ウッ。すみません。オレ、余計なことばっか、いっちゃって・・。ウッウッ。」 逆に広先生は泣き上戸だった。  二人の奇妙なキャラの入れ替わった酒宴は、その後も暫し続いた。その様子を厨房から何気に眺めていた店主も、 「何だありゃ?。ま、オレも長年見てるが、酒の力ってのは、ホントに恐ろしいなあ・・。」 そういいながら、再び鳥を焼くのに精を出した。二人はしこたま飲んだ後、グデングデンになりながら会計を済ませて、店を後にした。 「今日は本当に、有り難う御座いました。ウッウッ。」 「いいんだよ!。別に。アンタのお陰で、オレもすっかり楽しくなっちゃった。こんなに気が大きくなったのは、何時ぶりぐらいだろう?。」 「恐らく、初めてじゃないですか?。」 「たはは!。そうだな。初めてだ。そりゃ思い出せる訳無いか。ははは。」 下手で卑屈になる広先生に対して、何処までも上手な物いいの勤は、大層ご機嫌になりながら、暫く大声を張り上げつつ、家路に就いた。  翌日、 「うーん、何だあ?。頭がグルグル回るぞーっ。」 激しい二日酔いと共に、勤は目覚めた。そして、時計を見ると、 「うわっ!。やっべ!。」 と、あとちょっとで始業時刻になるのが見えた。慌てた勤は、着の身着のまま部屋を飛び出し、小脇に抱えたカバンを揺らしながら、何とか滑り込みセーフで学校に着いた。 「はあ、はあ。おえっ。」 二日酔いをぶり返した勤は、一旦は職員室に着いたが、直ぐにトイレに急行した。そして、戻って来て何とか息を整えると、 「ふーっ。ざーて、授業授業・・。」 と、教材の準備に取り掛かった。その様子を見た広先生が、 「やあ。どうした?。二日酔いか?。」 と、相変わらずスポーツ新聞を開きながら勤に声を掛けてきた。 「あ、広先生。おはようございます。先生は、酒は強いんですね?。」 二人してあれだけ飲んだにも関わらず、何事も無かったかのように座っている広先生を、勤は不思議に思った。 「はっはっはっ。年季が違うからね。」 そういいながら、スポーツ新聞を握る右手が、微かに震えているのを、勤は目にした。 「あの・・、広先生。」 「ん?、どした?。」 「心なしか、右手が震えているように見えるんですが?。」 勤がそう指摘すると。広先生は自身の右手を見た。 「あ、ホントだ。」 「何で震えてるんですか?。」 そう聞かれた尋先生は、事もなさげに、 「そりゃ、この後、大事な授業があるからさ。」 そう答えると、広先生は再び新聞に目を遣った。そのことが、自身へのアドバイスと異なると感じた勤は、 「え?、だって、広先生は緊張なんかしないって・・、」 そういいかけたとき、 「オレ、そんなこといったっけ?。多分だけど、どうして緊張したらいけないの・・とはいったと思うけど。」 と、勤の言葉を遮って、そういった。そして、 「あのさ、キミ、緊張しなくなったらなって、そう思って無いか?。」 広先生は新聞を下に置くと、勤の目を真っ直ぐ見て、そうたずねた。 「え、ええ。まあ。」 「だから駄目なんだよ!。緊張もしないような舞台なんか、面白いか?。そんな平坦な気持ちで臨める舞台なんて。違うだろ?。緊張するぐらいに、ともすれば失敗するかも知れない程のレベルだから、緊張もするし、震えるんだろ?。それが無くなったら、人間、向上なんてしなくなるぜ。」 そういうと、広先生は新聞を仕舞って、授業の準備に掛かった。 「えーっと、この問題、昨日も解いたけど、難しかったんだよなあ・・。」 そうブツブツいいながら自分の席に座って、再度、問題を解き始めた。新聞を読んで、何食わぬ顔をして見せていたのは、彼なりの緊張を解す方法であった。それを見た勤は、 「そっか。緊張するから人なんだ!。オレ、間違ってたなー。」 と、ようやく自身の有り様を受け入れることが出来るようになったのだった。そして、授業の開始を告げる前に教材を持って職員室を出ると、勤は授業に向かった。そして、開始のベルと同時に教室に入ると、 「はーい。おはようー。」 と、先んじて生徒達に声を掛けた。その後、ワンテンポ遅れて、生徒が起立と礼の号令をかけて、授業が始まった。出席を確認した勤は、 「お、震えてる震えてる・・。」 と、自身が緊張感を抱いているのを確認すると、教科書を開いて、授業を始めようとした。 「えっと・・、何処やるんだったっけかな?。」 まだ二日酔いの抜けきらない勤は、いつもの段取りとは違い、準備も何もダサダサだった。 「ちょっとスマンけど、ノート見せて。」 そういいながら、勤は教壇を降りて、生徒のところを巡回して回った。 「あー、違う違う。宿題の点検じゃ無いから。」 と、慌ててノートを書くそうとする生徒を安心させるべく、勤はそういった。そして、数人のノートが、ほぼ同じ箇所で止まっているのを確認すると、 「はい。解った。どうも有り難う。じゃあ、続きからいくよー。」 と、やはり少し震える手で板書を書き始めた。しかし、その後の反応は違っていた。  いつもなら、たどたどしい勤の授業をせせら笑う雰囲気が背中から伝わってくるのが、今日は一向にそんな気配は無かった。 「あれ?。クスリとも笑わないな・・。」 そう思いつつ、勤は最小限の板書だけを書いて、振り向きざまに言葉を発した。 「えっと、あれだ。この英文は、文法のこの部分が・・、」 そういいながら、書いた英文の重要な箇所にアンダーラインを引いて説明しようとしたが、 「やめた。」 と、短く告げた後、サッと黒板を消した。予定外の行動に、生徒は左右を見ながら、少しざわついた。すると、 「今から紙を配るから、前に書いた日本語を英語に直してー。」 と、小テスト形式の授業に切り替えた。突然のことに、生徒達は動揺した。 「先生、テストですか?。」 不安に思った一人の女子生徒が、そうたずねた。 机の両脇を持ったまま、勤はその生徒をジロッと見ると、 「毎日が、試される。それが世の中だ。」 そういうと、黒板に五つの日本語を書き始めた。生徒達はそれを写そうとしたが、 「あー、こんなの書かなくていい。英文だけ書けりゃ、それでいいから。それが英語の授業ってもんだろ?。」 と、全く段取りに無い言葉を発した。生徒達の動揺はさらに広がるかと思われたが、生徒達は真剣に書かれた日本語を英語に直そうと躍起になった。 「ちきしょう!。頭痛てーっ。」 勤はニヒルに振る舞っているのでは無かった。ただ単に、二日酔いが取れなかっただけだった。それでも、そんな奇抜な態度が殊の外、生徒達には嵌まったらしかった。十分弱で、ほぼ全ての生徒の動きが止まったのを確認すると、勤はチョークを持って、 「さ、いくぞーっ。全問正解にはご褒美だっ!。」 そういいながら、正解の文章を板書し始めた。すると、 「ご褒美って、何ですか?。」 生徒の一人が勤にたずねた。 「いいものだ。とっても。」 勤はただ、それだけをいって、板書を続けた。一つずつの解答に、生徒達は一喜一憂した。そして、全ての解答を書き終えると、 「さーて、では、五問全部正解の人っ!。」 と、勤は声を張ってたずねた。すると、右側最後尾に座っていた男子が、サッと手を挙げた。 「どれどれ・・。」 勤は教卓を離れ、彼の元に歩み寄ると、丸の付いた答案を見た。 「おーっしゃ!。よく出来た!。」 そういいながら、生徒と握手を交わした。 「え?、ご褒美って、それだけですか?。」 別の生徒がたずねた。すると、 「じゃあ、聞いて見ようか?。おい、キミ、今の気持ちは?。」 勤は握手を交わした生徒にたずねた。 「最高です!。」 生徒は照れ笑いを浮かべながら、そう答えた。 「だろ。だから、正解することがご褒美なんだ。」 そういうと、勤は意気揚々と教団に戻って、授業の続きを行った。そして、授業を終えて職員室に戻った勤は、教材を置くと、再びトイレに駆け込んだ。風分後、若干青い顔をしながらも、スッキリとした表情で戻って来た勤を見て、 「よう。まだ酒が抜けないのか?。」 と、広先生が声を掛けた。 「ええ。でも、ようやく抜けたような気がします。」 そういうと、勤は振り向きざまに、少し微笑んだ。 「へー。顔色は冴えないけど、何かいい顔してるな。いいことでもあったんか?。」 広先生は勤の変化を見逃さなかった。 「ええ。まあ。二日酔いで、緊張どころじゃありませんからね。お陰で、いい具合に力が抜けて、段取りはダサダサだったけど、何か授業らしい授業ができたような気がします。」 そういいながら、俯き加減で右手の親指を立てた。そしてそのまま、ぐったりとして椅子に腰掛けた。広先生はスポーツ新聞を拾い上げると、バルコニーに向かおうとした。そして、勤の横を通り際、 「手は、震えてたか?。」 と、小声でたずねた。勤はぐったりしながらも、口角を上げて、 「はい。」 と、小声で返答した。 「上出来!。」 そういうと、広先生は勤の肩をポンポンと叩くと、そのままバルコニーへ消えていった。その日の授業が終わると、 「よう。勤先生。今日もいくかい?。」 そういいながら、広先生は右手で一杯引っ掛けるポーズをした。ようやく胃の辺りが落ち着いた勤ではあったが、 「はい。是非!。」 と、快く返事をした。そして、今日も二人連れ立って、昨日と同じ居酒屋にいくと、昨日と全く同じ場所に陣取って、早速飲み始めた。最初は広先生が先輩面で語りかけていたが、杯が進むにつれ、二人の立場は逆転していった。 「なー、広先生!。ボクは、教科書なんか、みーんな無くして、随時、小テストにすりゃーいいと思うんですよ!。」 「そ、そうっすね・・。うっうっ。」 勤が大声を張り上げるのを、広先生は涙ぐんで頷いた。その様子を、厨房から眺めていた大将が首を横に振りながら、 「やれやれ・・。」 といわんばかりの表情で、ニンマリとしながら串に刺された鳥に塩を振りかけた。今宵の酒宴も、妙なことになりそうだなと、そう思いながら。
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