先輩と受付嬢の話3

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先輩と受付嬢の話3

 それから一ヶ月後の事。  何でこんな事になってしまったんだろう。と、受付嬢は温泉街で途方に暮れていた。恋人ができて早三ヶ月。何も進展はしていないけれど、休みが合えばデートをして楽しく過ごしていた。もう一度言おう。楽しく過ごしてはいた。でも、こういう状況になるのにまだ心の準備ができていない。  温泉とか良いよねー。と、何となく話していたのがそもそもの始まりだった。同僚の歯科衛生士がぴっかぴっかになって帰って来たし…それは多分温泉のせいじゃないけれど…仕事で気は使うし肩も張るし、どっかでゆっくりしたいなぁとは思っていた。日帰りでもサウナでも何でも良かったんだけど、あれよあれよとこんな事に。当然というか何というか、今日はこの近くの宿に一泊の予定。どうしようと思いつつ会話のノリだけは良い自分の性格を恨んだ。  でも、これは自然な成り行きだ。付き合った期間も二人の関係も年齢も何の問題もない。親ですら、勿論誰と行くとは言わなかったけれど「一泊で温泉行ってくる」「いいねー。行ってらっしゃい」で終了だった。本来なら何も気にせず楽しめる筈なのに、素直に楽しめない事に罪悪感を覚える。全部自分のせいだ。  付き合ってから初めてのお泊り。いつかこういう日が来るとは思っていた。けれど、やっぱりこうなった。と、思いつつ、きっとどれだけ先でも自分は同じだったろうな。とも思った。  温泉街も食事もそれなりに楽しんで、目的の温泉に一人で浸かりながらぼんやりとしていた。気持ちいいな…。と、棒読みで思うけれどそれどころじゃない。この後の事を思うと気が重くなった。本当の事を告げたらあの人はどんな顔をするだろう。案外顔は変えないかも。本心がどうかは別にして。  そう言えば先輩、どうしてあの時急にキスなんかしたんだろう。と、ふと変な事を思い出した。キス位なら受け入れられる経験と心はある。けど、いきなり過ぎて驚いた。あんなことをする人じゃないと思っていたんだけどな。  思い出すのは今日じゃなくてあの日の事。あの日は、もしかしたらチャンスだったのかもしれない。二人きりで車に乗って、きっと話を聞いて貰えたのに。あの時相談してみれば良かった。そうしたら今日はここにいなかったかもしれない。そんな事を思って罪悪感を覚えた。自分はここに来たくなかったのかな。どうなんだろう。それはきっと、この夜が終われば分かる。  あああ。と、二人で部屋に戻って来て崩れ落ちそうになった。はい。お布団ですね。お布団並んでるんだよね。知ってる知ってる!! ベタofベタ。昔の漫画かよ。と、突っ込んでしまいそうになった。そんな事に動揺しないもんね。と恋人の後ろで一瞬色んな事を思ったけれど半分諦めつつ半笑いをしながら部屋に入る。これは旅館の仕事だもの。別に自分がどうこう思う事でもない。そんな事を考えながら荷物の側にすとんと座った。  でも、二人きりで部屋にいたらどうなるのかな。と、気付いて急に緊張した。いきなり押し倒されたりするの? いや。ちょっとそれは止めて。 「ねぇ」 「うわぁ!!」  いきなり声が聞こえてきて思わず叫んでしまった。その自分に驚いた様子の恋人は少し後ずさって胸に手を当てながら言う。 「何?」 「ごめ…びっくりして…」 「???」  怪訝そうな顔をしていた恋人はやがてこんな事を言う。 「喉乾いたから飲み物買いに行くけど何かいる?」 「い、一緒に行く」  この部屋から出たい。そう思って立ち上がった。  喉乾いてた。と、買ってきたペットボトルのお茶を半分くらい一気飲みして気が付いた。こんな事も気付かないなんてどうかしてる。 「…良い飲みっぷりですね」  ちょっと引きながら恋人が呟いた。その言葉に、ぷはーっと深い息を吐いてから気付く。お酒にすれば良かった。お酒にしていたら本当にあっという間に酔えただろう。そうしたら何もなく帰れたかもしれない。  でも、あそこの自販機ビールしか置いてなかった。ビール。飲めるけど飲むべきは今だった。もう喉が潤ってしまっていて今みたいに飲める気がしない。  いや、何考えてるの。駄目だ。そんな事をしても何も解決しない。先延ばししたとしても一緒。これで別れるというのならともかく。  え? 別れる? それは無い。 「…先輩」 「ん?」  無いから話さなきゃ。そう思って受付嬢は腹を決めた。 「篠井さん。彼氏いるの?」  と、先輩に聞かれたのは三ヶ月前だった。受付嬢と先輩は連絡先を交換した後、何となく食事に行ったりするようになっていた。最初は出張に行った先輩にお土産をねだったら本当に買ってきてくれたからそれを受け取る為。その後もお土産を買ってきてくれたり、そのお礼の食事に誘ったりしてたまに二人で会っていた。  その先輩がそんな事を言う。流石に男の人と二人でこうして会っていてそれは無い。と、笑って答えた。 「いませんよ」  食事を終えて駅まで十分の道のり。そんなに遅い時間でもない。周りに人も沢山いたし、ただの世間話だと思ってた。一人って身軽ですよね。と、言おうとした時だった。 「じゃあ、俺と付き合ってくれない?」  ん? と、思って立ち止まったら一歩進んだ先輩も止まる。 「駄目?」  聞き間違いじゃなかったようだ。  あれぇー? 先輩凄いな。こんな人がいっぱいいるところで歩きながら告白するの? あー。でも何か、そういう事あんまり考えてないのかも。舞台整えられてもこっちも構えちゃうし、こういうのもありなのかな。それにしても全然そんな気配なかったからびっくりした。  …じゃ、なくて。 「…うーん…」  と、唸ってしまった。本当に微塵も考えたことがなかったから、たった今考えるしかない。どうなんだろう。二人で食事に行く程には心を許した人なのかもしれないけれど、頻度だってたまのたまにだし。先輩の事をまだよく知らない。突っ込んだ話だってしてないし…。でも、それは向こうも同じだと思うんだけどな。けれど告白してくれるんだ。確かにどれだけ知ったらいいのかなんて分からないけれど。  それに、先輩って遊びでそういう事を言う人じゃないと思う。どこかに自分を良いなと思ってくれているところがあって、それなりにでも本気で言ってくれているんだろう。  先輩かぁ…。正直、凄くいい人なんだよね。穏やかで優しくて、気が弱いのかと思いきや包容力だったりするし、一緒にいると凄い落ち着く。それに、最初からそうだったけど、自分は多分この人に甘えてる。代わりにドライヤー注文して貰ったり、お土産だってお願いしちゃったり。思えば今まで頼られることが多くて甘えられる人なんていなかった。告白だって本気だったのか分からないけれど「俺ら付き合っちゃう?」みたいな曖昧な扱いをされたことも沢山あった。そんなのお断り一択だし、それで済んだからこっちも気が楽だったけれど。  でも、この人は違う。本気で言ってくれているし本気で思ってくれている。ちゃんと応えなきゃ。どうしよう。自分とは大分性格が違うと思うけれど大丈夫かな。でも、合うか合わないかよりも自分の気持ちが大事なんじゃないの? 先の事は分からない。ここで断って、もう会えなくなるのは。  あ。それは嫌だ。 「う、うん。宜しくお願いします」  そう言ったら先輩は目を丸くした。 「いいの?」 「うん」  あれ? 何で驚いてるの? 「え? 冗談?」 「いや、本気だったけど凄い悩んでたから」  それは…。 「…あのねぇ。先輩。何の前振りもなくいきなりこんなところで言われたらそうなりますって」 「…まぁ、そうだよね」  ごめん。と、先輩は言った。
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