先輩と受付嬢の話5

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先輩と受付嬢の話5

 それから一ヶ月。 「ありがとうございました」 「お大事にー」  にぃー…。……はああぁぁー。と、午前最後の患者さんを笑顔で見送ってから誰もいない待合室の前で大きなため息をついた。それから「ははは…」と自虐的に笑う。もう笑いしか出てこない。  先輩とはあれからも仲良くしてる。毎週の様にデートしてるし、一緒にいると凄く落ち着くし楽しい。  …けど、あれから一度もそういう事がない。  …ということに気付いた。ふと、昨日。あれ? そう言えばあれから一ヶ月経ってるな。え? これでいいの? 友達から色々聞かされた話を思い出すと、一線越えたらしようしようって言ってきてもー、だったり、何だかんだ求めてくれるのは嬉しい、だったり言ってた気がするけど一ヶ月音沙汰なしは聞いたことがない。ん? どういう事? 何で? 一ヶ月も気付かなかったことは置いておいて今更悩んでる。だって思い当たる節しかない。  初めての子相手って面倒だったのかなとか、いまいちだったのかなとか、そう言えばこっちからも何かしなきゃいけないって聞いた気がするけど忘れてたからかなとか色々と中途半端な知識を思い出して頭を抱えていた。でも先輩、会えば凄い優しいし甘やかしてくれるんだよな。一体どういうこと? でもこんなこと聞けない。  はぁあぁぁー。と、もう一度大きなため息をついた。  その様子を見られていたことなんて全く気付かなかった。叔父と叔母がおろおろしていたことも。 「梨央先生、最近果歩と仲良いみたいだけど何か聞いてる?」 「いえ…」 「昨日まで凄い楽しそうだったのに急に落ち込んでるんだけど何があったんだろう」  その話を聞いて彼女が本当に心配してくれていた事も全然知らなかった。  次の土曜日も先輩とデートをした。昨日も県外に出張だったって言ってたね。出張に行く度にくれるお土産をこの日も貰った。付き合う前から何となく知っていたけれど、本当にあっちこっち飛び回ってる。青井君もそうなのかな。  それでも毎日、少しでも連絡を取り合っていた。先輩からの返信が夜中になる事もあったけれど必ず返信をくれたし、そういうところも誠実な人だと思っていた。だからさ。何か問題があるとすればきっと私の方なんだよね。 「気を付けてね」  と、改札で先輩は言った。もう終電。先輩は別の電車で帰るけど、自分の方が遅ければこうやって見送ってくれる。本当に大切にしてくれているなって思う。  会って、何か目的があればそれをして、無くても一緒にいる事が楽しかった。ただ歩いて、お茶して、ご飯を食べて、そうやって過ごすだけでも居心地が良い。今日もそんな事をしていたらあっという間にこの時間。で、明日も会うのに私は家に帰る。 「ありがとう。先輩もね」 「うん」  もうちょっと側にいたい気もするけど、それって私だけなのかな。と、思ったら寂しくなった。でも先輩だって楽しくない訳ではないと思う。付き合う前よりも色んな表情も見せてくれるからそう思う。じゃあ何で? …うん。やっぱりあの時の告白が重かったか? 私を持て余してるのかな。気持ちは分かるけど。  …でも私達、ずっとこのままで良いの? 「…先輩」 「ん?」 「一つ質問しても良いですか?」 「うん」  と、先輩は頷く。深夜の空が先輩の向こうに見えた。電車発車まであと五分。それを見ながら笑った。 「もう時間無いんでさっくり答えて下さいね」 「? うん」  その不思議そうな顔を見ながら、あはは。と、笑って深刻にならないように言った。 「…私の体、どうでした?」 「…」 「良かったかどうかだけ…っていうか、良かったですか? はい、か、いいえ、で」  おっと。ちょっと言い淀んでる間に時計の針が二つ進んでる。 「行かなきゃ。先輩。早く。さくっと」  背中を向けながら言ったら手を捕まれた。その手の力が強くて驚く。 「先輩? ちょっと? 電車行っちゃうんで」 「タクシーで送る」 「…は?」  耳を疑った。ここからいくらかかると思ってるの? おまけにその後先輩が家まで帰ったら二万じゃ済まないかもしれない。いやいやいや。 「あの、急に何…」  手を振り払おうとしたらその手はもっと強くなる。さすがに驚いて顔を上げた。 「先輩?」 「何でそんな事聞くの?」  声が低い。怒っているみたい。何で?  そんな深刻な質問のつもりじゃなかった。でも相手にはそう伝わらなかったらしい。先輩、変なところで真面目だな。…いや、元々真面目な人か。  そんな事を思った自分の後ろで終電を告げるアナウンスと発車ベルの音。ああ、行っちゃった。  はぁー…。と、思わずため息をつく。どうすんのこれ。そう思った自分の手を先輩は放す。もう逃げられないと安心でもしたのか。 「先輩。洒落にならないですよ」 「タクシー乗り場行こう」 「いやいや、本気だったの? いくらかかると思ってるんですか」 「送るって言ったんだから送る。行こう」  こっちの言葉を全然受け入れてくれない。流石に茶化せなくて従った。どうしよう。あー。下手こいた。時間だってどれだけかかるのか。電車なら三十分でも車じゃ倍じゃ済まないかも。それを往復? 夜に聞くことじゃなかったな。明日の昼にでもさくっと聞くべきだった。 「先輩。うん、か、はい、で答えてくれれば良かったんですよ。分かるでしょ? それくらい」  と、冗談めかして言う。それを言えるくらい、本当に取り留めのない質問のつもりだった。ジャブというか。内容は少し…だけど、もうそんな事に照れる歳じゃないでしょ? 経験だってあるんだし。 「そういうこと、友達は割とフランクに話してたから聞いたけど、先輩はそういうの苦手だった?」 「篠井さんがそういう子じゃないでしょ」  と、ほんの少し前を行く先輩が言う。その声と言葉に我に返った。ああ。本当に失敗した。この人のこと見縊っていた 「ごめんなさい…」  心配をかけた。と気付いた。だって自分には心当たりがある。それが相手に伝わってしまったんだ。迂闊だった。  その言葉に先輩はため息をついた。そして少し歩く速度を緩めてくれる。でも、これ以上問い詰める気もないらしい。ほっとした。やっぱりこの人大人だな。  許してくれたらしいから隣を歩く。こういういざこざがあっても大丈夫な人って安心する。自分の恋人って思うと信じられないくらい。だからいなくならないで欲しい。こんな自分の側にいて欲しい。もう体の話は良いや。そもそも自分はそういう事が苦手だった筈なのに、どうして聞いてしまったんだろう。無ければ無いでも良い。何を焦っていたのかな。 「ねぇ。先輩、明日暇でしょ?」 「いや、会う約束してたよね」 「だから暇でしょ?」 「…」  何か言いたげな横顔に言った。 「じゃあ、カラオケ行きましょ。飲み屋でも良いけど。明日の約束はキャンセルして、今日は朝まで付き合って。タクシーに使うより楽しいお金の使い方だと思いません?」  その言葉に先輩は眉間に皺を寄せた。あれ? 何。あ、カラオケ苦手? そう思いながら立ち止まった先輩を見上げた。 「…篠井さんさぁ。実家暮らしだよね?」 「はい」 「帰らなくて怒られないの?」 「…先輩…」  思わずさっきの先輩と同じ様に眉間に皺を寄せた。え? 私のこといくつだと思ってるの? もう三十も見えてきてるんだよ? いっこしか違わないんだよ? 「高校生じゃないんだから…。カラオケとか飲み会でオールする事なんてしょっちゅうありますよ。先輩だってあるでしょ?」 「じゃあ、外泊できるって事?」 「外泊って…そりゃ親にはそうとは言えな…」  い、けど。  あ。  そこまで言って気付いた。嘘。え? そういうこと?
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