2)仕事の依頼じゃなくスカウトだった

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2)仕事の依頼じゃなくスカウトだった

 目覚まし音もなく、朝6時きっかりにキュッリッキは目を覚ました。夕べは日付変更後に眠りに就いたが、それでも習慣で目が覚める。 「ふわあ…」  小さな口をいっぱいに広げて欠伸をすると、ベッドから降りて窓に駆け寄り勢いよく開けた。空は太陽の光に照らされて、明るい水色に染まっている。 「ん~~~~、今日もイイお天気。気持ちがいいなっ」  軽く伸びをして背筋を正すと、洗面所に駆け出した。木桶に水をいれて顔を洗う。桶の水を捨てて今度は歯を磨き、腰まで届く長い髪を梳かして髪飾りをつけた。  部屋に戻ると、引き出しが3つしかない小さなチェストの上の引き出しを開け、水色のシンプルなワンピースを取り出す。寝間着代わりに着ているシャツをサッと脱いで、ワンピースをまとった。 「よし、着替え完了! お洗濯に行こうっと」  身支度が整うと、汚れた洗濯物をいれたカゴを取り、部屋を出て鍵を閉める。 「今日はよく乾きそうでよかったの」  薄暗い踊り場に出ると、古ぼけた木の階段を降りて建物の外に出た。  そこは芝生の茂った中庭で、顔馴染みの主婦たちが賑やかに談笑しながら洗い場で洗濯物を洗っていた。 「おはよう」  キュッリッキが元気に挨拶を投げかけると、主婦たちは手を止めて「おはよー」とそれぞれ笑顔で挨拶を返してきた。 「仕事明けかい? 大変だねえ」  4人いる中でひときわ恰幅のいい主婦が、隣にしゃがんだキュッリッキを労う。 「うん。でも、またすぐに新しい仕事が入りそうなの」 「あれあれ」  シーツを洗い始めたキュッリッキを見て、主婦たちは目を丸くした。 「ウチの亭主も、キュッリッキちゃんほど甲斐性があればいいのにねえ」 「全くだよ。ここんとこ毎日ギルドで酒飲んでる有様さね」  これに、どっと笑いがおきた。  この主婦たちは、キュッリッキが住むアパートの住人である。  傭兵向けに部屋を貸し出しているアパートで、結婚して家族のいる者には2LDKの部屋が貸し出される。キュッリッキのような独身者にはワンルームの3坪ほどの広さしかない部屋が貸し出されていた。しかしシャワールーム、トイレ、キッチン、ベッド、チェスト、テーブルがあらかじめついているので、独身の傭兵たちに大人気だ。更に中庭があって大きな洗い場もあるので、洗濯するのにとても助かる。干す場所も広いので、シーツなどの大きめの洗濯物は中庭に干せた。 (おばちゃんたちの話は長いから、さっさと終わらせて部屋へ戻らなくっちゃ)  気の好い主婦たちのことは好きだったが、話に捕まると中々帰してもらえないのが玉に瑕である。酷いとこれが昼まで続くのだ。  世間話に花を咲かせながら、主婦たちはノロノロと手を動かしている。キュッリッキは適当に相槌を打ちながら、素早く手を動かして洗濯を終えて、シーツなどを干して部屋へ戻った。  空の洗濯カゴを床に置くと、今度はシャワールームとトイレと洗面台を洗いにかかり、キッチンも磨いて床と玄関を掃いた。 「ふう、お掃除終わりっと」  仕事が入ると、数日留守にする。なので仕事が明けると、いつもこうしてしっかり掃除をするのだ。 「喉乾いちゃった」  お茶を飲もうとキッチンに向かい、ふと小さな置時計が見えた。 「あ、そろそろ出ないと時間に遅れそう…」  時計の針は、11時を指そうとしていた。  仕事から戻ると傭兵ギルドから追いかけてくるようにして使い(メッセンジャー)が来て、今日の12時にギルドに来るよう言われたのだ。仕事の依頼主が直接話をしにギルドに来るらしい。 「お腹もちょっとすいちゃったな。うーん、ギルドの食堂で食べればいっか」  壁に掛けてあったポシェットを取り肩にかけると、キュッリッキはアパートを出た。  キュッリッキが住んでいるこの街はハーツイーズという。海辺に広がる少し大きな街で、港には沢山の船が乗り入れる。貨物や商船、漁業船、旅客船など、皇都イララクスの海の玄関口でもあるのだ。  ハワドウレ皇国の皇都はイララクス。ハーメンリンナと呼ばれる皇王や貴族たちの住む城壁で囲まれた巨大な街を中心に、海に向けて扇状に広がる一帯を皇都イララクスと総称する。ハーツイーズは皇都イララクスに含まれる街の一つだ。  アパートは港の近くに建っていて、そこから徒歩30分ほどの距離に傭兵ギルド・ハーツイーズ支部がある。  傭兵ギルドは世界中に支部を持ち、皇都イララクスにはハーツイーズ街と、エルダー街にあった。傭兵たちは住まいに近い場所の支部を利用していた。 「風が気持ちイイなあ。…依頼主が直々に会いに来るとか、新しいお仕事なんだろうなあ~。まあどうせ護衛かお使い程度の仕事だろうケド。ホーカンが絶対それ以上の危険な仕事は任せてこないしね」  楽しみにしつつも、そう自己完結した。  どこかの傭兵団に所属することがあれば、仕事の内容にギルドが口を挟むことはない。しかしフリーである以上は、ギルドが、とくにホーカンがうるさいのだ。  危険な仕事や難易度が高い程報酬が良い。だからホーカンの過保護はキュッリッキにとっては経済的に迷惑に感じるのだった。  潮風を楽しみながらのんびりハーツイーズ支部に着くと、キュッリッキは受付に到着を報告しに行った。 「あれ、ホーカンいないんだ?」 「よお、嬢ちゃん。ホーカンの旦那なら、アトロって奴を締め上げに行ったぜ」 「そっか……。ホーカンの鉄拳凄いもんね。Sランクの格闘〈才能〉(スキル)持ちだし。おっさん生きて帰れるかな…」  傭兵ギルドを謀った罪はかなり重い。夕べはエイニがひたすら平謝りしていたが、ホーカンの怒りは収まっていなかった。執行人を送らず自ら腕を振り上げに行ったなら、アトロはきっと病院送りだろう。 「そういや、夕べの巨乳ねーちゃんから今朝荷物を預かったよ」 「荷物?」  受付担当の青年の顔を見上げて、ちょっと首をかしげる。 「これをキミに渡してくれって、今朝来たんだよ」  受付カウンターの棚をごそごそして、大きめの紙袋を取り出しキュッリッキに手渡す。 「ありがとう」  不思議そうにしながらも、大きな紙袋を受け取った。あまり重くはない。 「何かしら…」 「あと、今日の依頼主は12時くらいに来るそうだから、食堂で待っているようにとのことだ」 「はーい」  キュッリッキは紙袋を手に持って、2階の食堂へ足を向けた。  傭兵ギルドはどこも3階建てになっていて、1階は受付と酒場、2階は食堂と休憩スペース、3階は宿泊施設になっている。24時間営業で、常に傭兵たちで溢れかえっていた。  カウンターでサラダ抜きのドリアセットを注文して、キュッリッキは窓際の席に座った。そして手に持っていた紙袋を膝の上に置くと、紙袋の中に手を入れてゴソゴソ中身を探る。  封筒を見つけ、封を開けて手紙を取り出した。 『無事皇都まで送ってくれてありがとう。私にはちょっとサイズが小さくて着れなかったから、これあげる。仕事着に使ってね!』  そう書いてあった。 「……」  怪訝そうに眉をしかめて、紙袋の中を覗き込む。ひと揃の服が入っていた。 「あ…」  そういえば、と口パクで言ってある会話を思い出す。  エイニから質問攻めを受けていた中で、特定の仕事着を持っていないと話した気がする。召喚士だから何を着ていても構わない、だからとくに仕事着にこだわりはない。そう言った。 (まさか、それでコレくれたの? わざわざ…)  キュッリッキには理解しがたい、謎の好意であった。  紙袋から取り出してみると、好みの布柄で色もキュッリッキの好きな青系だ。思わずにんまりと表情が緩んだところで、注文していたドリアセットがテーブルに置かれた。 「アツアツだ」  オーブンから出てきてすぐ運ばれたのだろう。チーズとベシャメルソースがまだグツグツと皿の中で音をたてていて、キュッリッキの顔がニッコリと微笑んだ。そのあまりにも愛らしい笑顔に、食堂に居合わせた傭兵たちがドキリとする。  昼時ともあって食堂は傭兵たちで賑わっていた。客は殆どが男ばかりで、キュッリッキのような若い娘は一人もいない。それにキュッリッキは珍しいとされる召喚〈才能〉(スキル)を持っているので、傭兵たちの間でも有名人だ。そのキュッリッキがギルドで食事をしているから、自然と皆キュッリッキに注目していた。  ジロジロ見られていることなど気にもしていないキュッリッキは、スプーンですくったドリアに小さな口で「フゥ、フゥ」と息を吹きかけ食べる。熱々すぎて、すぐには口に入れられないのだ。  ドリアセットのトレイには、ドリアの皿とアイスティーしか置いていない。本来は緑の綺麗なサラダが付くが、生野菜が苦手なキュッリッキはサラダを省いて注文している。野菜が嫌いなわけではないが、青臭くて生はどうしても食べられなかった。残すのも悪いので、サラダは省いてもらっていた。  半分位たいらげたところで、向かい側に誰かが立っていることに気づいてキュッリッキは顔を上げた。 「こんにちは、お嬢さん」  秀麗な顔立ちの男で、やや険のある切れ長の目をしている。しかし表情はとても優しく微笑み、どことなくヤンチャな印象を目元に漂わせていた。 (ぬ、誰…?)  ポケッと固まっているキュッリッキの様子に、男は面白そうにくすりと笑って椅子に座った。片方の手で頬杖をついて、キュッリッキに笑いかける。 「キミに仕事の依頼をしに来た。12時に会うと、約束をしただろう? ちょっと過ぎてしまっているが」 「あっ」  男の不思議な雰囲気にのまれ、キュッリッキは一瞬忘れてしまっていた。 (仕事の依頼主だ)  優しい表情をしているのに、全身からは何か威圧的なものを感じる。見た目はまだ20代後半くらいで美青年なのに、周りの厳つい傭兵たちが竦むような迫力が滲み出ているのだ。実際周囲の傭兵たちは、マッチョな体格を縮こませて首を竦めている。でもキュッリッキは怖く感じなかった。 「えと、お仕事は」  居住まいを正して切り出すと、男は横に小さく首を振った。 「道道話すとしよう。先に食事を済ませてしまいなさい」  穏やかに言われてキュッリッキは頷くと、急いでスプーンを動かした。  とは言っても、もともと食べるペースが遅く口に含む量も少ない。それでも懸命にペースを上げて食べた。  なんだか必死に食事をするキュッリッキの様子に更に笑みを増やすと、男は愛おしさを込めて優しくキュッリッキを見つめた。 「さあ、行こうかキュッリッキ」 「はい」  ギルドの建物を出ると、男はキュッリッキに左手を差し伸べた。ちょっと困惑げに男の顔と左手を交互に見て、キュッリッキは恐る恐るその手を握った。 (手を繋いで歩くのかなあ…、ちっちゃな子供じゃないのに)  と心の中で不満そうにぼやく。 「俺の名はベルトルド。さて、乗合馬車で移動しようか」  優しく微笑み、ベルトルドはキュッリッキの手を引いてすぐ近くにある停留所へ向う。  ここが停留所であることを示す小さな看板が立てられているだけのところには、昼日中だというのに誰もいなかった。  停留所で横に並んで立ちながら、キュッリッキはちらちらとベルトルドを見上げた。  アイロンのかけられたパリッとした白い長袖のシャツに、白いスラックスをはいたラフな格好をしている。ごく普通の服装なので、どんな職業に就いているかは判断できない。それにとても気になるのが、身長が高く、190cm以上はあるだろうか。横に並んでいると自分の背丈の小ささが、より強調されてしまう。キュッリッキの身長は154cmしかないのだ。 (何を食べたら、こんなに身長高くなるのかな…)  思わず頭の中で唸るキュッリッキだった。 「あははははっ」  突如ベルトルドが吹き出しながら、愉快そうな笑い声を上げた。あまりにも突然なので、キュッリッキはビクッとしてベルトルドを見上げる。 「失礼失礼。――お、馬車が来たな」  一頭の馬に引かれた質素な馬車が、2人の前に停まった。  木で作られた箱のような馬車は、向かい合うように板が2枚置かれていて、大人が10人くらいはゆったりと座れそうな広さを確保している。飾りっけはないが、頑丈で質の良い木材を使用していた。今日は快晴なので天井はないが、雨の日などは幌を被せて雨避けがされる。  キュッリッキとベルトルド以外に乗客はなく、2人が乗り込むと馬車はゆっくりと発車した。  馬車は人が小走りするくらいの速度で、石畳の道をゆっくりと進む。  2人は並んで座り、座っている間もベルトルドはキュッリッキの手をしっかりと握っていた。そしてベルトルドは時折、優しい笑顔をキュッリッキに向けるのだ。 (仕事の話、いつするのかなあ……)  この状況に落ち着かない気分で、キュッリッキは心の中でひっそりと溜め息をついた。  男の人と手をつないで、無言の時間を過ごすのはこれまで全く経験がないのだ。しかも初対面で仕事の依頼主である。  これまで仕事の依頼主というのは、上から目線の横柄な態度が普通で、小娘だと舐めてかかり頭ごなしにバカにしてくるのが当たり前だった。ギルドの後ろ盾があるので仕事はさせてもらえるが、気分良く仕事をしたためしがない。ベルトルドのような優しい態度の依頼主は初めてだった。 「あのっ、ドコへ行くの?」  どうしていいか判らない状況に堪りかねたように問いを投げると、ベルトルドは優しい笑みはそのままに「ああ」と頷いた。 「エルダー街のアジトだ」 「アジト?」 「うん。俺が後ろ盾をしている、ライオン傭兵団のアジトだ」 「えええっ!?」  ライオン傭兵団と聞いて、キュッリッキは飛び上がるほど吃驚した。  傭兵界でその名を知らぬ者は絶対にいない。駆け出しの傭兵見習いですら、公にされている情報は把握しているくらいなのだ。  3年前に現れた新興の傭兵団で、現在の団員数は僅か15名。各自が一人当千の実力を持ち、備える〈才能〉(スキル)は最低でもAランク保持。仕事は100%パーフェクトにこなし、報酬の良い依頼が常にギルドから回され、個人報酬も破格だという。入団希望者は常に溢れかえるが、新入りの傭兵はこれまで1人もいないとの噂だ。  そして、強力な後ろ盾を持っていることでも有名だった。  大きな傭兵団ともなると、バックに富豪や資産家がつくことが稀にある。詳細な事は誰も知らないが、ライオン傭兵団の後ろ盾はかなり強い権力を持つ者ではないか、そういう噂もある。  キュッリッキは改めて、ベルトルドの顔をマジマジと見つめた。 (この人が、あの有名なライオン傭兵団の後ろ盾…。でも、そんな有名な傭兵団の後ろ盾をしている人が、なんでアタシなんかに仕事の依頼をするんだろ…)  信じられない、といった面持ちでベルトルドの手を無意識に強く握っていた。 「キミには是非とも、ライオン傭兵団に入ってもらいたい」  キュッリッキの心の惑いを透かしたかのように、ベルトルドは優しく語りかける。 「キミは召喚という、とてもレアな〈才能〉(スキル)を持っているそうだね。実際どんな力なのか俺は知らないのだが、年若いキミがこうして傭兵業を続けていられるのも、それだけの実力を備えているからだろう」 「そ、そっかな」  こんな風に褒められたことなどないので、頬を赤く染めて俯いてしまう。 (なんだか、照れちゃうの…) 「今は小さな依頼をコツコツ頑張っているようだが、キミの力はもっと大きな仕事で役立てるべきだと思う。どうだい? ライオン傭兵団で頑張ってみる気はあるかな?」  悪戯っぽい笑みを口元にたたえながら、ベルトルドは目をぱちくりさせるキュッリッキの顔を覗き込んだ。 「衣食住、破格の報酬は約束できるぞ」  綺麗な顔でにっこり微笑まれて、キュッリッキは思わず反射的に頷いてしまった。 (仕事の依頼っていうか、スカウトだったんだ)  これまで何度かスカウトされて、傭兵団へ入ったことはある。ギルドが仲立ちをしてくれて、それで入っていたのだが、今回は直接傭兵団からのスカウトだ。しかも傭兵界のトップからのスカウトなのだ。さすがに緊張してしまう。 (アタシに出来るかな……)  不安と緊張で、心の中で弱気を呟くと、 「出来るさ」  そうベルトルドが笑顔でウインクした。 「え?」  不思議そうにキョトンとするキュッリッキを見つめ、ベルトルドは軽く声をたてて笑った。  ベルトルドの持つ〈才能〉(スキル)超能力(サイ)である。繋いだ手から彼女の考えていることが伝わってきて、それでちょっとからかってみたのだ。何も知らないキュッリッキは、素直に「どうして考えていることが判ったんだろう…」と頭をグルグルさせていた。 (本当に愛らしい娘だ)  風になびく金糸のような髪は陽の光を弾いて煌き、ストレートで腰のあたりまである。桃のように白い肌はきめ細かく、ぴたっと吸いつきそうで滑らかな印象を与えた。桜貝色の薄い唇はグロスを塗ったように艶やかで、今すぐ奪いたい衝動にかられてベルトルドは気合で堪えていた。見つめ合っていたら、間違いなく吸い付いたに違いない。  年齢よりも幼げな雰囲気がある。元気そうに見えるがどこか脆く儚い印象もあり、大切に守ってやらねばと思わせる。そんな美少女だ。そしてなにより目が止まるのは、その特異な瞳だろう。  ペリドットのように綺麗な黄緑色の瞳だが、瞳の上には虹色の細かい光彩がまといついている。それほど際立っているわけではないが、時折陽の光を反射してキラキラと小さく煌くのだ。  これが、召喚〈才能〉(スキル)を持つ者の証だと言われている。  1億人に一人の確率でしか生まれてこないという、レア中のレア〈才能〉(スキル)。どういう〈才能〉(スキル)なのか、あまり詳しいことは判っていない。世間では、神々と幻想の住人たちが暮らすアルケラという世界を覗き見ることができる力、そう伝えられているだけだった。 (手元に置いておけば、どんな力かそのうち判ることだ)  後ろ盾をしているライオン傭兵団に入れてしまえば、もうどこも手出しができなくなる。ライオン傭兵団ほどマトモな所は、他にはないからだ。なによりベルトルドは手放す気は毛頭ない。自ら出向いてまでスカウトしているのだから。 「アタシ、本当にちゃんとやっていけるのかな」  不安そうな呟きが耳に飛び込んできて、思いを巡らせていたベルトルドはハッと我に返った。 「大丈夫さ、心配ない」  そう励ましても、キュッリッキの顔は晴れない。  仕事のことで不安を感じている様子ではなかった。 (何かもっと別のことで、思い悩んでいるのかな?)  透視の力を使って心を覗いても複雑な感情が渦を巻いていて、悩みの原因がさっぱり視えてこない。  ベルトルドはキュッリッキのほうへ身体を向けると、右の手でキュッリッキの頬に優しく触れた。 「俺がついている。だから、何も心配することはないんだ。いいね?」  そう言って、キュッリッキの額に優しくキスをした。  暫くキュッリッキは目を瞬かせていたが、やがて熟れたトマトのように顔も耳も真っ赤にすると、後ろにひっくり返ってしまった。  どこの停留所にも停ることがなかった乗合馬車が、ゆるりと停まった。 「閣下、エルダー街に着きました」  御者が肩ごしに、恭しく告げる。 「そうか、もう着いたか」  失神するキュッリッキを左腕に抱えながら、ベルトルドは頷いた。 「お嬢様は、その……大丈夫ですか?」  困惑げに言う御者に、ベルトルドはにんまりと笑う。 「初めてのことに衝撃を受けて、ちょっと意識を失っているだけだ。問題ない」  額にキスをしただけで失神してしまったキュッリッキを愛おしく見つめながら、赤みの残る頬にそっとキスをした。 (唇にもキスしたいなあ…)  無防備に半開きになる口を見つめ、そう思いながらも必死に己を自制する。  額にキスをしただけで失神するのはさすがに予想外ではあった。それだけウブで純粋なのだと思うと、いっそう愛おしさで胸が締め付けられる。 「とはいえ、失神したままの姿であいつらに会わせるわけにはいかないな」  このままにしておきたいと思いつつ小さく苦笑すると、超能力(サイ)を使ってキュッリッキの意識を揺さぶった。するとほどなくしてキュッリッキは瞼を震わせ、ゆっくりと目を開いた。 「ん……、わっ、キャッ」  ベルトルドの顔がアップで飛び込んできて、吃驚したキュッリッキは小さく悲鳴を上げた。ビクッと身体を動かした拍子に、頭がベルトルドの額とぶつかってしまう。 「いでっ」  容赦ない頭突きに、ベルトルドは思わず目を瞑った。 「ごっ、ごめんなさいっ!」 「い、いや…平気だ」  軽く頭を振って、ベルトルドは少々引き攣りながらにっこりとキュッリッキに笑いかけた。なんだか笑顔が苦しそう、とキュッリッキは申し訳なく思った。 「エルダー街に着いたよ。立てるかな?」 「あ、はい」  いつの間に着いたんだろう? と表情に書き込んで、キュッリッキは立ち上がった。 「本物の御者のポケットにでも、入れておいてやれ」  ベルトルドは御者に金貨5枚を手渡す。 「御意」  御者は両手で金貨を受け取った。それを見た瞬間、 「乗合馬車は銅貨3枚で良いんだよ?」  ギョッとしながら、キュッリッキはベルトルドを見上げた。金貨は銅貨1万枚ぶんに当たる。 「ははっ、良いんだよ。本物の御者には、ちょっと眠ってもらっているから」 「え?」 (ホンモノ?)  キュッリッキは御者を見る。初老に差し掛かったばかりの御者は、優しくキュッリッキに笑いかけた。 「お気をつけて」 「さあ、アジトへ行こうか」  釈然としない様子のキュッリッキの手をベルトルドは優しく取る。そして2人は馬車を降りた。  皇都イララクスに含まれる街の一つ、エルダー街。別名・傭兵街と言われ、傭兵、裏の商売、水商売など、一般的ではない職業に就く人々が多く住む。一般人が近寄らないことでも有名だった。 「エルダー街って初めて来たかも…」 「そうなのか。まあ、こんなところは若い娘の来るようなところではないからな」  まだ昼日中だというのに、街は閑散として静まり返っている。そのあまりの活気のなさに、キュッリッキは眉をしかめた。  キュッリッキの住むアパート周辺にも、傭兵たちの住まいがある。しかし昼間でも賑わっていて、こんなうらぶれた雰囲気ではない。  馬車から降りてのんびり歩くこと10分。 「ほら、見えてきたぞ」  ベルトルドが指さした建物を見て、キュッリッキは目を瞬かせた。  エルダー街に建つ建物はどれも見た目がバラバラで、統一感がまるでない。それでいて活気もないうえに古ぼけているものだから、陽に当たっていても暗い廃墟のように見えてしまう。しかしベルトルドが示した建物は、界隈とはまるで違っていた。  白い漆喰の塗られた壁には黒い木枠の窓がはめ込まれ、色とりどりの小さな花を咲かせる鉢植えが窓辺に飾られている。周辺の建物よりも大きな構えをしていて、陽に照らされ明るさを強調するオレンジ色の瓦が目に鮮やかだ。道路に面した建物の前は、チリ一つ落ちておらず、きっちり掃き掃除がされていた。 「綺麗な建物だね」 「フンッ、几帳面な男だからな」  ベルトルドは皮肉な笑みを浮かべると、ノックもせずに玄関扉を開けてスタスタ入っていった。  キュッリッキの手は繋いだまま、ベルトルドは大声を張り上げた。 「カーティスいるか! 俺が来てやったぞー!!」  玄関ホールから建物中に轟くくらいの大声である。ビクッとしたキュッリッキは、思わずキョロキョロと周りを見回した。  待つこと数十秒くらいで、廊下の奥からひとりの男が姿を現した。 「これはこれはベルトルド卿。連絡もナイし招きもナシに、突然何事ですか?」  軽い皮肉を交えながら、男――カーティスはめんどくさそうに言う。とーっても迷惑この上ない、と表情に貼り付けていた。 「フフン、新しい団員を連れてきたぞ」  皮肉は完璧にスルーすると、ベルトルドはキュッリッキの両肩に手を添え、自分の前にそっと差し出した。 「名をキュッリッキという。実に愛らしく美しい少女だろう。よろしく頼むぞ」  ご機嫌のドヤ顔で紹介するベルトルドとは対照的に、キュッリッキはおっかなびっくりな表情でカーティスにペコリと会釈した。  簾のように垂れ下がる前髪の奥の、細い目を更に細めてキュッリッキを見ていたカーティスは、やがて顔を上げると、 「却下です」  とだけ答えた。  トン、トン、トンッ、っと沈黙が軽やかにステップを踏むこの空気を、真っ先に破ったのはベルトルドだった。 「貴様っ! これだけの超級美少女だぞ何が不満なんだ!!」 「そんなこと言われなくても見れば判りますよ美少女なのは!」 「だったら偉そうに却下とか言っとらんでさっさと手続きを済ませんか戯け!!!」 「ウチにはメイドはイラナイと言っているんですよ!!」  グヌヌヌッと額を突き合わせて激しく言い合っていたが、ふとベルトルドは目をぱちくりさせた。 「ぬ? メイド?」 「ええ、そうです。どうせあなたの美少女趣味で選んできたメイドでしょうが、ウチはメイドは雇いません」  姿勢を正し、カーティスは疲れたように「ふうっ」と溜め息をついた。 「馬鹿者、誰がメイドの斡旋をしているんだ。彼女は傭兵だ、よ・う・へ・い」  口をへの字に曲げると、ベルトルドはムッとカーティスを睨む。 「……傭兵?」  不思議そうに呟いて、カーティスはキュッリッキを見つめた。そしてすぐに「やれやれ…」と首を横に振る。 「ナイフすら持ったこともないような細腕に、まして魔力も感じられず、恐らく超能力(サイ)もないでしょう。こんなに華奢な少女の、どこが、傭兵なんですか?」  シンプルなワンピース姿は、キュッリッキの細っそりとした身体の線をあらわに浮き上がらせている。確かにこんな儚げな姿の少女を、傭兵と言われて信じるものはいないだろう。  そう言うと思った! といったふうに、ベルトルドは勝ち誇ったようにニヤリと笑う。 「フンッ! いいか、聞いて心底驚け。この子は召喚〈才能〉(スキル)を持っているのだ!」 「……え?」  今度はカーティスが驚いて、ベルトルドとキュッリッキの顔を交互に見る。  たっぷりと間を置いたあと、 「ご冗談を」  と言って薄く笑う。 「いちいち冗談を言いに来るほど、俺は暇ではないぞ馬鹿もん!」 「本当…なんですか…」 「ああ、本当だ。そら、この子の瞳をよく見てみるがいい」  言われるがままカーティスは腰を屈めると、キュッリッキの顔をじっくりと覗き込んだ。 「ああ……本当ですね」  先ほどのノリとは打って変わって打ち震えるような声を出し、カーティスは暫くキュッリッキの瞳に魅入っていた。  召喚〈才能〉(スキル)を持つ者の瞳には、虹色の光がまといついているという情報をカーティスも知っている。キラキラと煌くこんな不思議な瞳を実際に見るのは、初めてのことだった。  ゆっくりと身体を起こすと、カーティスは腕を組んで神妙な顔で黙り込んだ。  ベルトルドとカーティスのやりとりについて行けず、しかも入れるのか入れないのかはっきりしないこの状況にキュッリッキは俯いた。 (イイのかダメなのか、どっちなのかな…)  心の中でこっそり溜め息をついたとき、カーティスが沈黙を破った。 「彼女の入団には、条件があります」 「めんどくさい奴だな、なんだ、条件って」  ベルトルドがムッと答えると、カーティスはキュッリッキに視線を向ける。 「入団テストを受けてもらいます」 「入団テストだとぅ~? 偉そーに」 「ほっといてください。これは、私のポリシーです」 「何がポリシーだ、青二才のくせに」 「ライオン傭兵団を作ったのは私です。団員の選定は、私がします」  譲れないものがある。そう強い意思を込めてカーティスはベルトルドを睨む。  真っ向から睨んでくるカーティスを涼しい顔で見やり、ベルトルドは不満そうに鼻を鳴らした。  静かに白熱しかかる場に、キュッリッキは一歩前に踏み出した。 「アタシ、受けるよ、入団テスト」  カーティスをしっかり見上げて、キュッリッキがきっぱりと声を上げた。 「実力を示せば、ココに入れてもらえるんだね?」 「ええ、そうですね」 「判った」  顎を引いて、キュッリッキはグッと拳を握った。 (確かに何も知らずに入れてくれるところなんて、せいぜい二流か三流の傭兵団くらいだもん。誰もが召喚〈才能〉(スキル)を持ってるって聞いただけであっさり許可をするし。そうしないだけ、ここは実力重視の傭兵団なんだわ)  そして困惑げなベルトルドを振り返る。 「ベルトルドさんありがとう、ここまで連れてきてくれて」 「キュッリッキ…」 「大丈夫、アタシ入団テスト頑張るね」  にこっと笑うキュッリッキを、ベルトルドはたまらず抱きしめた。 「本当に愛らしい子だキュッリッキ!」  ぎゅっと抱きしめ、滑らかなキュッリッキの頬をスリスリと頬ずりする。いきなりの行動にキュッリッキは硬直して、されるがままだった。  ここぞとばかりにキュッリッキの滑らかな頬を堪能していたベルトルドは、ピタッと動きを止めて嫌そうに眉を顰めた。 「ああ、判った判った、すぐに戻る」  忌々しげに呟いて、名残惜しそうにキュッリッキから身体を離す。 「もっと一緒にこうしていたいのだが、もう戻らないといかん。会議に遅れてしまうからな」 「もしかして、お仕事抜けてきちゃったの?」 「まあ、そうだな」  悪びれず笑うベルトルドに、キュッリッキは困ったような薄笑いを向けた。 「というわけで、もう戻る。リューにせっつかれて、尻の穴に危険を感じるのでな」 「……」 (尻の穴?) 「キュッリッキのことは、よろしく頼むぞ」 「判りました」 「念押ししておくが、お前が納得せんでも、キュッリッキは入団させる。いいな」 「それを決めるのは、リーダーの私です」 「っとに可愛げのない…。では、まただ、キュッリッキ」  カーティスには特大の不満顔を向け、キュッリッキには優しい笑顔を向けて、ベルトルドはその場からスッと消えた。 「えっ!? 消えちゃった??」  飛び上がってキュッリッキが驚いていると、クツクツとカーティスは笑った。 「あの御仁は超能力(サイ)を持っています。今のは空間転移、現在確認されている超能力(サイ)使いの中で、あの人しか使えないそうですよ」 「うわあ……凄いんだねえ」  キュッリッキは心底感心しながら、ベルトルドの消えた空間をジッと見つめた。 「御大帰ったのか?」  ベルトルドが消えて少しすると、荷物を抱えた3人の男がガヤガヤと階段を降りてきた。 「ええ、今しがた。可愛いお土産を一人置いて」 「土産?」  タバコを咥えた無精ひげの男が、ぬっと顔を突き出しキュッリッキを見おろす。 「こりゃまた美少女だな、新規採用のメイドか?」 「違いますよ」 「おっ! スゲー美少女じゃんか。名前なんて言うんだい?」  赤毛の男が横から顔を突き出してきた。 「……キュッリッキよ」  身をすくめながら、キュッリッキは困ったように顎を引いて上目遣いになる。 (なんでアタシ見てメイドって発想になるのよ…)  内心ムッとする。傭兵に見られないのはいつものことだが、メイド扱いは初めてである。 「彼女はベルトルド卿がスカウトしてきた、召喚〈才能〉(スキル)を持つ傭兵です」 「召喚〈才能〉(スキル)だとぅ!?」 「マジかよ」  異口同音に驚愕の声が玄関ホールに轟く。改めてマジマジと見つめられて、キュッリッキは肩をすくめた。 (もう、見世物じゃないんだからっ) 「私も仕事着に着替えてきます。ルーファス、彼女を空いてる部屋に案内してあげてください」 「おっけーい」 「そこで、仕事着に着替えてきちゃってください。今から仕事に行きますよ」 「あ、はい」  一瞬「仕事着なんてない」と言いそうになって慌てて返事のみをする。仕事着に使ってと、ひと揃の服をもらっていたことを思い出したのだ。  カーティスが廊下の奥へ消えると、金髪の男が柔らかな笑顔でキュッリッキの前に出た。 「キュッリッキちゃん、かな。キミの使う部屋に案内するね」 「はい」 「オレはルーファス。こっちのむさっ苦しいのがギャリー、こっちの赤毛はザカリーって言うんだ。さっきのカーティスとキミと合わせて5人で仕事に向かうから、ヨロシク」  恐る恐るといった様子で、キュッリッキはギャリーとザカリーにぺこっと会釈をした。 「こっちだよ、おいで」 「う、うん」  ルーファスは小さなリュックをザカリーに預けると、スタスタと階段へ向かう。その後ろをキュッリッキは小走りに追いかけた。 「ウチのアジトは元は宿屋だったのを買い取って、改装して使ってるんだ。だから、各自個室がちゃんとあるんだよ。ちょっと狭いけど」 「へえ…」 「他所の傭兵団とかだと、個室なんてナイのがアタリマエで、雑魚寝が普通とかなんとからしいでしょ。少数精鋭だから出来る贅沢ってやつだね~」 「うん」  個室が与えられる傭兵団は稀なほうである。更に与えられるのはエース級だけだ。 「まあ、心配しなくても大丈夫だよ」  ルーファスは立ち止まると、後ろを歩くキュッリッキを肩ごしに振り向いてにっこりと笑った。 「ベルトルド様が入れろ、と言ったんだったら、もうキミは入団決定だから」 「そう、なんだ…」 「ウチの後ろ盾の命令だから、カーティスでも逆らえないし。でも、オレたちの仲間になるためには、入団テスト頑張らないとね」  己の腕一つで身を立てる、それが傭兵だ。どんな〈才能〉(スキル)を持っていようと、戦力になるのだと示さなくてはならない。 「うん、判ってる」  キュッリッキが案内された部屋は、建物の端にあった。  5坪ほどであまり広くはないが、ベッド、文机と椅子、ハンガー掛けができる大きめのチェストが備え付けられていた。常に掃除がされているのか室内は清潔で綺麗だ。 「オレは廊下で待ってるね」 「ありがとう」  ドアを閉めてベッドの傍らに立つ。キュッリッキは紙袋を逆さまに持つと、ベッドの上に中身を撒き散らした。  ファサッと音を立てて落ちた衣服を見ながら、ポシェットを外してワンピースを脱ぐ。そして手早く衣服を身につけた。 「……」  姿見の鏡がないので、角度を変え変え着崩れていないかチェックする。  窓ガラスに薄っすら映る自分の姿をじっと見据えた。 「またいつもの報酬の安いCランクの仕事かなって思ってたら、ライオン傭兵団にスカウトされるだけでも驚きなのに、入団テストを受けるコトになるなんて。とんでもないコトになっちゃった気がするかも…。  傭兵たちの憧れの的だもんね、ライオン傭兵団。もし入団することが出来たら、お金の心配をすることもきっとなくなるはず。切り詰める貧困生活ともバイバイ出来るかも!」  軽く両手で頬を叩き、気合を入れた。 「よーし、頑張っちゃわなきゃね!」
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