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プロローグ
雲一つ浮かばない真っ青な空と海に映える金色の髪には、艶やかで真っ赤なハイビスカスの花が一輪飾られている。そして真っ白い花模様のレースの飾られたワンピースで、華奢な肢体を包み込んでいた。
両手にスケッチブックを持ち、少女は桟橋の上で海を眺めていた。表情は明るくて楽し気な色を浮かべている。
今日は可愛い弟と弟分たちに、来月からハワドウレ皇国へ行ってしまうことの報告をする。そしてもうじき完成しそうな発明品について、意見を求めようと思ってこの場所へ来るように誘っていた。それで早めに来て海を眺めている。
遠く離れたハワドウレ皇国へ行けば、この眺めとも暫くお別れなのだ。
優しく海面を撫でていく風が、そっと少女の髪をすくっていく。
「あ…」
その瞬間、少女は唐突に閃いた。
ずっと引っかかっていた、発明品のブラックボックスがついに。
「おーい、ディアー」
幼い少年に大声で呼ばれ、少女はスケッチブックを開きながら顔を向ける。少年の後ろには、嬉しそうな顔の別の少年2人が続いていた。
少女は微笑みながらすぐにスケッチブックに顔を向け直すと、すごい勢いで閃きを描き込んでいく。
ドゴオオオオオオオッ!
突如、目を焼くほどの眩しい光が辺りに降り注いだ。鼓膜が破れそうな轟音が鳴り響き地面を振動させ、激しい衝撃波が駆け寄る少年たちを吹き飛ばした。
* * *
俺たちは何が起こったかさっぱり判らなかった。
轟音と衝撃波が収まると、青い空には雲一つ浮かんでないし、辺りは何事もなかったかのように静まり返っていた。
視力と聴力が戻るまで、数分かかった気がする。
そして穏やかな波間に漂うモノを見つけたとき、俺は残酷な事実と、逃れられない魔手に絡めとられた…
* * *
夕闇に染まる室内で黙々と書類と格闘していたベルトルドは、荒々しく開くドアの音と近づいてくる大きな靴音に顔を上げる。
「アルカネットか。戻ったんだな」
労うベルトルドの目の前に、アルカネットと呼ばれた男は無言で手にしていた写真をビシッと突きつけた。
「ぬ?」
いきなりのつっけんどん的な行動に、目をパチクリさせてやや仰け反る。
「よく見てください」
逆光になっているため、突きつけられた写真の中身が薄暗くなって見えにくい。ベルトルドはデスク用のランプをつけて、アルカネットから写真を受け取ると改めて写真を覗き込んだ。
眼窩から目玉がこぼれ落ちるほど目を見開いて、そして絶句する。
「驚いたでしょう」
想像通りのベルトルドの反応に、アルカネットは満足気味に頷く。
「これは……一体…」
掠れたような声を絞り出し、写真を指差してベルトルドはアルカネットを仰ぎ見た。
「名をキュッリッキ、アイオン族の娘です。年の頃は18、フリーの傭兵をしています」
「傭兵だと?」
ベルトルドは怪訝そうに眉を顰める。
「ええ。幼い頃から単独で傭兵のような行動を取り、現在はギルド認定の歴とした傭兵なのです」
「更に驚いたな……」
唸るように呟くと、写真に写る少女をまじまじと見つめた。
街の中を歩いている姿を隠し撮ったもののようで、質素なワンピースをまとった長い金髪の美しい娘だ。しかしどこをどう見ても、ごく普通の少女と全く変わらない。傭兵だと言われても、誰も信じないだろう。
「もう一つ、驚くことがありますよ」
黄昏色に染まるアルカネットの表情が、うっとりと微笑む。
「召喚〈才能〉を持っているようです」
アルカネットが退室した後も、ベルトルドはずっと写真を見つめていた。脳裏には懐かしい記憶の光景が緩やかに再生されている。
真っ青に晴れ渡る空、光をまぶした様に煌めく紺碧の海。それを背景に無邪気に笑う美しい少女。風に踊るように流れる金色の髪が、青い景色によく映えていた。
「まさかこの歳になって、こんなにも鮮明にキミの笑顔を思い出せるとは思わなかったよ…。いつだってキミは、眩しいくらいに笑顔が輝いていた」
記憶の中の少女に語り掛けるように、ベルトルドは優しく呟く。
しかし写真に写っている少女の表情は、対照的に無表情に近いものだった。美しいのにどことなく陰りを帯びた、そんな表情をしているのだ。
「この子は何故笑顔ではないのだろう…。――会いたいな、今すぐにでも」
写真に見入っているベルトルドの耳に、時刻を報せる時計の鐘の音が鳴り響いた。
「ああ、もうこんな時間か。デートに遅れてしまうな」
手にしていた写真を丁寧に胸ポケットに仕舞い込み、ベルトルドは席を立った。
ベルトルドは枕に背をあずけてベッドの上に座り、レースのカーテン越しに透けて見える月をじっと眺めていた。
ちらりと隣に視線を向けると、女はぐっすりと仰向けに眠っている。つい数分前まで激しく――女のほうが一方的に――睦み合っていた。ベルトルド自身はごく普通に性欲を満たしていただけなので、あまり疲れてはいない。
それというのも、夕刻にアルカネットから見せられた写真の少女のことを考えていて、気も漫ろになっていたせいもある。
写真を見せられる前までは、仕事明けにパーッと女とベッドに飛び込んで、仕事のストレスと性欲の両方を解消するつもりでウキウキしていた。ところが写真を見せられ報告を聞くと、以降はもうそのことで頭がいっぱいになってしまったのだ。
視線を再び月に戻すと、ベルトルドは小さく頷きそっと目を閉じる。
(アルカネット、いるか?)
(はいはい?)
ほどなくして、淡々とした声が念話に応じる。
(件の少女のことだが、至急傭兵ギルドに彼女と連絡を繋いでくれるよう要請しておいてくれ)
(判りました)
(ライオンに引き入れよう)
(それは構いませんが、カーティスが首をタテに振るでしょうか?)
(四の五の言わせん。俺が直接出向く)
(五月蝿いですよ)
(フンッ、構うもんか)
(ライオンのほうは任せます。――ところでベルトルド様、こんな時間まで、一体どこで、何をなさっているのでしょうか?)
突如ガラリと声音が変わり、ベルトルドはギクッと片頬をひきつらせた。
(デ…テェトに決まっているだろう)
横柄に応じると、「ほーっ」と棒読みな反応が返され、更に頬がひきつる。
(まあ、アナタもいい年したオトナですし、細かいことまでは申しませんが。まさか、夫のいる女性と浮気なさっているとか、そんな非常識なことはありませんよね?)
ニコッ、と語尾につきそうなアルカネットの顔が易易と想像できて、ベルトルドは肩をすくませた。絶対バレバレだ。
(ふっ、この俺がそんないつまでもガキみたいな真似をするわけがなかろう。もう少ししたら帰る。ああ、夜食はいらんぞ)
(そうですか。それではお茶でも用意して)
(ゲッ)
ベルトルドはハッと目を見開き、部屋のドアへと顔を向ける。
(亭主が帰ってきただとぅ!?)
(亭主?)
(ヤベッ、見つかる前にずらからないとっ!)
(……パンツくらは、ちゃんと履いて戻ってきてくださいな)
(履いてる暇なんてあるか!!)
ベッドから勢いよく飛び出ると、周囲に散らばる軍服や下着を慌ててかき集めた。
(亭主が帰ってくるのは明後日とか言っていたのにっ)
ドアノブがガチャリと音を立てたところで、ベルトルドの姿は寝室からスッとかき消えた。
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