すぐ起きましたでしょう?

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すぐ起きましたでしょう?

『アラン、後はよろしく。あ、もし時間あったらライラを日光浴させておいて。あとそのハーブティー飲めるなら飲んでおいて』 「ああ。怪我には気をつけろよ」 『わかってるってー』 銀の髪をくるりとひらめかせスキップして出て行くギルバードを見送った後、アランはティーセットの盆と仕事書類とをベッド脇の机に置いた。それから日が入り込む小窓を開けて、眠るライラの身を起こし抱え上げて窓辺に立つ。 「天気がいいな」 定期的な日光浴は診療所の人間からそうした方が良いと指示されていたもので、晴れた日に限り時々行っていた。 この時メイドのアンナは部屋にはおらず、別室で束の間の睡眠をとっていた。彼女は夜明け前から離宮の掃除と主人の身支度とで動き回っていたらしく、アランが来た時にはふらつく足取りでティーセットをガチャガチャと騒々しく運んでいた。しまいには目の前で蹴躓(けつまず)いて盆をひっくり返しかけたため、アランはティーセットを取り上げ少し休むようにと命じて無理やり別室へと送っていた。 今日に至るまで、王宮のメイドと交代で世話をするようにと幾度となく提案してきているにも関わらず、アンナは頑としてそれを聞き入れようとはしなかった。専属メイドとしての矜持か、主人に対する並々ならぬ想い入れゆえか、はたまたその両方か。 窓から吹き込む風にライラの銀の髪が揺れてきらきらと輝き、アランは眩しさに目を細める。外に視線を移せば色づき始めた木々が見える。 「......もう秋になる」 季節は既に夏の終わりに差し掛かっていた。 実りの秋とは言うがライラはなにが好物なのだろう。 起きたら聞いてみよう。 それとも食事に誘おうか。 忍んで使える店も王都にはあることだし。 時折話し掛けつつ、15分ほど日光浴をさせて窓辺を離れた。ライラをベッドに一度降ろして窓とカーテンを閉め、机に置いていたティーポットを取りカップにハーブティーを注ぎ込む。湯気と花の香りとが立ち昇る中、いつもと同じ様にライラを抱えてベッドに座り、眠り顔を見下ろして呟く。 「よく似合ってる」 今日のライラは紫色のドレスを纏い、耳元には生花の飾りをつけていた。ふわふわのフリルやリボン飾りでうるさい服より、これくらいのものの方がいいとアランは思い、ライラ本人は一体どんな服が好みなのだろうかと考えて。 何故かまったく思い浮かばなくて眉根を寄せた。 いくら考えてもライラの好きな食べ物のみならず、色や服、花や宝石などの好みが一切思いつかなかった。 というかそもそも論として。 イヤリング以外の贈り物をしてきていない。 気まずさと申し訳なさとが怒涛の如く到来する。 婚約しておきながら好きなものも知らず贈り物すらせず二人きりで出掛けたこともないというのはどう考えてもマイナス点ではないだろうか。ナインハルトですらライラと二人で武器屋に行っているのに。 無関心や愛情がないと言われたとして、言い返せる気がしなかった。 食事だけでなく服飾店にも一緒に行こう。 そう決意する。 出掛けた先で気に入ったものをプレゼントしつつ、さり気なく好みを聞き出して今後サラッと贈ればいい。 我ながらいいリカバリー案だと思いながら掛け時計を見遣り、そろそろ仕事をしようと机にある報告書類を手に取った。ざっと目を通して指示や再確認が必要な箇所にチェックをつける作業の途中、ティターニア特使に関する記載を見つけて剣呑な瞳になる。 ********************* アスタラエル公爵家 エルカディア=アスタラエル ********************* 王都が毒蜂キメラに襲撃された数日後のこと、アランはティターニア王家宛てに当初予定していた訪問を一時延期する旨の報せを送っていた。 すると見舞いの報せと合わせて特使を派遣したいとの申し入れが返ってきた。派遣理由はアルゴン王都の被害状況を確認して支援を行うためと特使本人の学術研究のためと記載されていたのだが、アランは手紙に書かれた名前を見て(にわか)に過去の嫌な記憶を思い出すことになった。 エルカディア。ヴァルギュンターでの修行中なにかにつけて対抗意識を燃やしてきた青年。 真っ向勝負であればよかったのだが、急襲を仕掛けたり剣刃に薬を仕込んだりとアランの主義と反する戦術を用いるため関わりたくない相手だった。彼の持つ主義―――ばれなければなにをしてもよく、たとえ骨を折ろうが失明させようが構わないという狡猾な姿勢も相容れなかった。 そして図らずも昨日久々に剣を交えたが、彼の性質はあの頃とまったく変わっていなかった。 軽く頭を振って記憶を散らす。 あいつのことはどうでもいい。 深く関わることもないのだから。 片腕でライラを抱きしめて癒やしを得つつ、続いて別の書類を取り出した。それはセーブルに頼んで王宮図書館にある戦歴書群より抜粋させたものだった。 *********************** 【英雄ギリアン】 ガレルドとエリーゼの子。 特定の師事はなし。 〈経歴〉 13歳で五大武闘大会に出場し、五年連続全制覇の偉業を達成。15歳の時、通例戦士養成学校(ヴァルギュンター)卒業により18歳で認定となる《アルゴンの戦士》の称号を特例で取得。以降、国内外の犯罪組織壊滅およびアルゴン王都の守護に尽力し、イーリアス国境で武装集団が住民数万を殺害した事件の際は単騎で千人を討伐し鎮圧した。 ...... ガレルドの死後18歳で爵位を継承しブラッドリー侯爵となる。 34歳で戦士を辞職。 *********************** アランは感嘆の吐息をつく。 「君の父君はやはり別格だな。30半ばでの退役は惜しすぎる......」 ギリアンの経歴は彼が神力を得る前から尋常でない強さを誇っていたことを如実に示すもので、しかしどこを見ても彼が戦闘民族紅紫眼の民(マゼンタ・アイ)を滅ぼしたことや使い魔ヤミーに言及する箇所は見あたらなかった。 紅紫眼の民について王宮図書館にはデータがなくセーブルさえその存在を知らなかった。予測として、紅紫眼の民はイーリアス王家の(めい)で戦闘や隠密活動を行うという役目柄、目立つことを良しとはされず公な歴史書にもあえて記載されていないのではないかと思われた。 謎多き民ではあるが、ギリアンがライラの実父から聞いたと言って語ったのは、紅紫眼の民は毒や汚染物質への耐性があり酒にも酔わないこと、また病気にかからず致命傷を負っても心臓と脳さえ無事であれば休眠によって回復や再生ができる上、血肉の摂取により肉体強化ができるということであった。 戦闘民族と呼称されてはいるものの実態はそんな生易しいものではない。 驚異的なスペックを兼ね備えた超人類。 眠るライラに視線を落とす。 正直信じられないが、あれだけの傷を負って死ななかったのはたしかに驚異的としか言いようがなかった。 アランは書類をテーブルに置き、ふとハーブティーに目を留めた。ギルバードから飲めるならば飲んでおいてほしいと言われたそれは淡い桃色をしたお茶で、主人の目覚めを期待するアンナが朝昼晩と毎日準備しているものだった。しかし結局飲まれることなく毎回捨てられており、流し台に流す時のアンナの悲しげな顔を見てギルバードは不憫に思ったらしく、頑張れば自分が飲んでやれるのではと挑戦して結局どうしても飲み込めずに断念していた。 ライラお気に入りのお茶。 ということで早速飲んでみることにする。 口に少し含んで味わい、むっと顔をしかめる。 バラの香りと合わせて強い清涼感が鼻に抜ける。恐らくミントやスパイスが使われており、スースーピリピリとする感覚はアランとしては飲みづらかった。女性がこういうものを好むのか、それともライラが特殊なのかは見当もつかない。 「......君も起きて飲まないか」 そう尋ねた後で、もしやと思いつく。 最後にライラが口にしたのは三ヶ月前にアランが飲ませた毒消薬だった。あの時点で既に眠りについてはいたがきちんと飲み込むことができていた。 これも飲めるのでは。 ハーブティーを口に含んで唇を重ねる。試しに少し流してやると、こくんと小さく嚥下する音がした。 飲めるらしい。 しかももっとと欲するように唇が動く感触があり、感動を覚えつつ少しずつ、まるで親鳥が雛に食事を与えるかのように水分を含ませていく。一口分を飲ませ終えた後ライラの微かに濡れた唇を拭い、ちゅ、ともう一度軽いキスをして、 「薬の味よりこっちの方が―――」 しかし、言い掛けた言葉は唐突に途切れる。 一瞬、紫色のドレスの下で華奢な体躯がぴくりと身じろぎしたような気がしたのだ。 「ライラ?」 気のせいかと思いながらも名を呼んで軽く揺すってみる。 すると、 「ん............?」 小さな声が上がりアランは息を飲む。 だらりとしていただけの腕がシーツを撫でるように動き、体勢を整える仕草をし始める。 固く閉ざされ動かなかった白い瞼がぴくぴくと動く。 長い銀の睫毛の隙間からうっすらと光が差す。 そんな夢や幻を思わせる一連の動作の末、 ぱっちりと目が開いた。 アランはただ呆然として見下ろし、ライラはじっとアランを見上げる。二人とも暫し見つめ合い、ライラは眠たげに視線を外してもぞもぞ動いたかと思えば、アランの胸元にすり寄る仕草ののち額をぴとっとくっつけて、 すや、と寝息を立て始める。 なんとも愛らしくナチュラルな二度寝。 「.....はっ?え待て待て寝るなって!」 アランはハッと我に返ってゆさゆさと揺さぶり、ライラもハッとなって目を開く。何事もなかったかのようにまたもぞもぞと元通りの体勢になってアランを見上げる。 「ね?すぐ起きましたでしょう?」 ずっと聞きたかった声。 それはものすごく寝ぼけた第一声としてアランに届いた。 「..................どこがだよ」 いろいろな想いをないまぜにした瞳でアランは小さくそれだけをやっと絞り出した。 本当に現実だろうか。 見れば白い頬に少し赤みが戻っている気がした。さわさわと触れればライラは目を細めて、やめろと言わんばかりにアランの手を掴んでぽいと放る。だいぶ弱いが確かにその手には力が入っている。目はぱちぱちと動き、瞳には生命の輝きがある。 繰り返す悪夢の中でも閉ざされていて見ることのできなかった赤紫色の瞳。 あの日からずっと恋い焦がれてきた色彩。 夢でも幻でもない。 確信を持っていい。 現実だ。 ライラはぼんやりと(まばた)きをしていたが、 「アラン様......?」 思わず目を見張って自身の濡れる頬に手を触れた。 アランの伏せた金の双眸から、ほろほろと涙が零れ落ちていた。 瞬きにより雫は落ちて頬に注がれ、ライラは大慌てで身を起こす。この時点で腹の痛みは一切なく体の重苦しさもなくなっていたため、アランの膝の間にぺたりと座り込む格好で向かい合い覗き込んだ。 お月様が泣いている。 なんて綺麗なんだろう。 そんな夢見がちなことを思う傍ら、両手で包み込むようにアランの頬に触れて涙を払う。 「アラン様、泣かないでくださ―――」 言い終わらない内に腕を引かれ、正面から抱きすくめられて息が止まった。アランの温もりと匂いを感じて心臓が大きく高鳴るが、今はどきどきしている場合ではないと自身に強く言い聞かせる。 ひきこもりをやめて外に出るようになってからやたらと人に心配される機会が増えた。 でもまさか男の人を泣かせてしまうほどだなんて。 寝起きのまわらない頭でどうしたらいいだろうかと考えて、思い切ってアランの背に腕を回して抱きしめ返した。いつしかやってもらったように優しくとんとんとしながら涙が止まることを願ってさすってみる。 「.....私、こう見えてかなり丈夫です。一度も病気をしたことがありませんし、筋肉がなくてひ弱に見えるかもしれませんが......どんな令嬢より元気で健康です。今だってどこも痛くありません。だからどうか、そんなに心配しないでください」 そう言って体を離そうとしたが離してくれそうにないので素直に諦める。そのまましばらく抱きしめ合い、いつまでこうしているのだろうかとライラがまたどきどきとし始めた頃、ぽつりとアランが呟いた。 「初めてだな」 「......?なにがですか」 「いや、なんでもない」 なんだろうと思いはしたが、アランの声が涙声でもなくいつもの調子だったためほっとした。無事に泣き止んでくれたらしい。 それにしても、ちょっと寝ただけでだいぶ調子がよくなった気がする。傷は深いと言われたけれど、意外とそうでもなかったに違いない。 この時、約三ヶ月ぶりに稼働したライラの脳はまだ目覚め切っていなかった。 そのため()()()()()()()()()()()()()()だと思い込んで話をし始める。 「リリー様、大丈夫でしょうか」 「ああ。元気に動き回っている」 「.........へっ」 もう? ものすごく軽傷だったのだろうか。 「でもあまり動かれるのは心配と言いますか」 「大丈夫だ。君のお陰だと感謝していた。彼女がギルの世話を担当している」 「えっ」 世話? 脱皮期間で屋敷に寝かせているはずなのに? 「え.....と......ギルは王宮にいるのでしょうか」 「ああ。リリーが週に一度食事をさせている」 「............週に一度」 ここにきてなにかがおかしいとライラの脳は気づき始める。 「今朝は手合わせをするそうで稽古場に行っている」 「......手合わせって」 「怪我には気をつけるようにと伝えているし、相手はナインだから安心していい」 「..........。」 少し寝たというわけではないらしい。 目を覚ました時、寝落ちる前と同じ様にアランがいたためほんの少し寝ただけだと思っていたのだが。 寝ぼけている脳に直ちに起きろと働きかけて、はたと気がつく。 先程彼の涙を拭った時、紫色の袖口が目に留まらなかっただろうか。 着替えてる? いつのまに? 様々な状況を理解するのと反比例してライラの思考は着実に混乱していく。アランの背にまわしていた腕を解き、ぐいと体を押して身を離した。依然腕の中に捕らえられてはいるものの離れた身の隙間から自身の服装を見て狼狽する。 部屋着。 ここはどこ? きょろきょろと周囲を見渡して、以前一度泊まったことのある東の離宮のようだと思い至る。 驚いて体を更に離そうとするとどこにも行くなと言いたげに抱き寄せられて叶わず、互いの体温がはっきりとわかるほどに密着した二人の体の下ではギシ、と軋む音が上がって―――。 「......えっ?」 脚に絡む布の感触。 ふかふかとしながらもしっかりとした座り心地。 二人が動くたびに微かに聞こえる軋む音。 自分のいる場所と置かれた状況とをやっと理解し飲み込んだ時、ライラの真っ白だった面差しは一転、茹でたカニの如く真っ赤になる。 そうここは――― 「ベッドの、うえ?」
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