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あの美しい令息は誰?
とある日の早朝。
『わ!ほんとにいた』
ギルバードが一人で稽古場にやってきたかと思えば素っ頓狂な声をあげるので、ナインハルトは驚いた目を向けつつ持っていた武器を下に降ろした。
『ナインは毎日夜明けからいるってアランから聞いて来たんだけど、本当だったんだ』
「......私になにか用でも?」
タオルで汗を拭って尋ねる。ギルバードが自分を訪ねて来た試しは一度もなく、まさか彼女が目覚めたのだろうかと一瞬どきりとして。
しかしギルバードの面持ちが特段明るくない辺りどうもそうではないらしいと悟る。
『稽古場少し借りられないかなと思って』
ギルバードは階段をゆっくりと降りながら言った。
『この数ヶ月ロクに動いてなくて体がなまってる気がするんだ。いざという時動けないと困るから弓でもやっておこうと思って出てきたんだけど......端の方でいいから少しだけ借りてもいい?』
そういうことか。
「好きに使ってもらって構わない。ちなみに今レディの見張りは?」
『アランが見てくれてるから大丈夫』
ギルバードは稽古場を見渡す。いつもなら賑々しい声が響いている場所だが、今は自分達以外人っ子一人見当たらない。きょろきょろと見回したのち、ナインハルトの手元に目が吸い寄せられる。
『あ、その武器』
その手には湾曲する刃を持つ得物が握られていた。
『盗賊がよく持ってるやつ?』
「ああ、首刈り鎌だが」
ナインハルトは薄く睨み、ギルバードはヤバいという顔をしてあさっての方向を見る。
「何故盗賊が持っていることを知っている」
『ま、前に見かけたことがあって』
「どこで」
『..........盗品探しで、ちょっと』
「レディも一緒に?」
『うん、まあでも探偵稼業は絶賛休業してるしライラの目が覚めても春の乙女で忙しくて再開できないと思うから』
追求をごまかそうとするが、ナインハルトは息をついて、
「盗賊は野蛮な連中だ。レディが近づくには危険すぎる」
『んー.........俺もそう思うよ。でもライラを一人で待たせておく方が怖いんだ。だから目の届く範囲にいつもいてもらってる』
「危ない仕事はしないでほしい。せめて私が危険を察知して駆けつけられればいいが―――」
ナインハルトはなにか考え込む顔をして首にかけている金の鎖のペンダントを握り、ギルバードは体を曲げて鎌をしげしげと覗き込んだ。
『剣士ってこういうのもやるんだ。知らなかった』
「いや、これは私が好きでやっているだけで」
そう言えば、とギルバードはぽんと手を打つ。
『弓やクロスボウもできるって聞いたけど鎌も使えるのか』
どうやら彼女はその日の出来事をつぶさにギルバードに話しているらしい。主人と使い魔でありつつ姉弟か友人みたいだと思いながらナインハルトは頷いた。
「基本的な武器なら一通り扱える。相手や環境に応じて使いやすい武器が変わるから、いくつかできるようになっておくといい」
事実、飛んでいる毒蜂キメラとの戦闘の際には剣ではなく槍と弓で撃墜していた。
ギルバードはじっと鎌を見つめて、
『持ってみてもいい?』
「ああ。刃には触らないように」
『........うわ、意外とずっしり』
柄を持って刃を眺める。農具の鎌より大振りだが湾曲しておりリーチは短い。近接武器としては短剣の方が使い勝手が良さそうに思った。
『これ、このままグサってやるの?』
鎌の切っ先を見ながら言うので、ナインハルトは笑って鎌を受け取ると稽古場の壁にあるレバーを二、三度上げ下げした。
人型の直立する標的が出たところで、
「突き立てるんじゃなくて、後ろから引っ掛けて手前に引いて使う」
標的の腕を背後から捕らえて首に刃をかけて引いてみせた。ゴロリと首が落ちて標的は消失し、ギルバードはおっかなびっくりしつつも興味津々の眼差しで言った。
『俺もやってみたい』
再び鎌を受け取るとギルバードは恐る恐る標的の首に刃をかけ、えい、と引いてみた。しかし刃は半分ほど食い込んだところで止まってしまい、押しても引いても動かなくなってしまった。
『んっ?あれっ?』
「思い切りが足りない。それでも一応致命傷にはなるが相手を余分に苦しめる。顎下にかけた後ためらわず一息で引いてみてくれ。上側にもぎとるイメージで」
ナインハルトが鎌を外してまた手渡してくれるので、ギルバードはもう一度挑戦する。すると先程見せてもらった手本のように首はあっさりとれて下へと落ちた。
『できた!』
「うまいじゃないか」
やっている内容こそ狂気的だが、好奇心を刺激された子供さながらの様子は微笑ましく映った。
「狭い洞窟や地下だとこういった小ぶりな武器しか使えない場合がほとんどなんだ。個人的には普通の剣が一番扱い慣れているし好きではあるんだが.........まあ、選り好んでばかりもいられないから」
複数武器の練習は戦闘の役に立つからという理由だけでなく、立場上剣士以外の稽古にも付き合わなければならないためと、アランの側近という立場を維持するにはそれなりの研鑽が必要だと思うがゆえにやっていた。
『へえ......』
鎌を返しつつギルバードは感心する声を上げる。
アランからナインハルトは練習熱心で職務の時以外は大抵稽古場にいると聞かされていた。既に名を挙げている人間がなにをそこまでやることがあるのかと思っていたが、まさか武器全般の練習をしているとは思わなかった。
『少し質問してもいい?』
人となりに興味が湧いて身を乗り出す。
「..........構わないが」
なにを聞いてくるのだろうと身構えつつ、ギルバードとこのように話す機会もなかったためまあいいかと思う。
それじゃあ、とギルバードは思案しつつ、
『剣を始めたのはいつ?』
「6、7歳くらいだ」
『始めたきっかけってやっぱりギリアン?』
「ああ。ブラッドリー侯爵に憧れて10歳の時に戦士を育成する学校に入った。アラン様ともそこで」
『ヴァルギュンター、ってとこ?』
「そうだ」
『そこってどんなところ?』
ざっくりとした質問だったが、ナインハルトは瞳を上げて暫し考えてから、
「一口に言えば戦士として模範的な戦い方を学ぶところだ。ただ、男の集まりだから模範的とは言い難い部分もたくさんあったなと今思えば」
『そうなんだ』
自分には無縁の学校生活。具体的な想像こそすることはできないものの、なんとなく楽しそうだと思った。
『ナインハルトって今何歳なの?』
「22。もうじき23になる」
『アランも?』
「ああ。彼は早生まれだからしばらく22だ」
となると、今年39歳になるギリアンとは16歳差。
そう計算して、あれ?とギルバードは首を傾げる。
『ギリアンに憧れてヴァルギュンターに入ったって言っても、ナインハルトが10歳の時ギリアンはとっくに過去の人なんじゃない?』
聞くところによるとギリアンの英雄譚は彼が18歳の時に完結しており、その頃のナインハルト達はまだほんの2、3歳。10歳の時点ではギリアンは26歳になっており、戦地には行かずに領地の仕事や王宮での剣士育成に落ち着いていたはずだった。
ああそれは、とナインハルトは苦笑する。
「憧れたのは親の熱弁の影響なんだ。親世代が侯爵の全盛期を直接見聞きしている。私は昨年冬に侯爵邸を訪れたのが初の対面だった」
『そうか、親か。なるほどね』
なんとなく理解した。
当時、親達が熱く語る英雄譚に憧れる子供や、親として子供に剣士の道を期待するムーブメントがあったのだろう。
ナインハルトは瞳に懐かしさを滲ませる。
「子供の頃は将来王宮で英雄の直接指導を受けるんだと楽しみにしていたんだが、まさか彼が戦士を辞めるなんて思いもしていなかった。その去り方も伝説の英雄らしくていいという者もいたが、あの若さでの引退を惜しむ声ばかりだった」
『あー......そうだよね』
ライラが学園でいじめにあい、引き籠もり生活を始めたからだとは言えなかった。
話題を変えようと無難な質問をすることにする。
『兄弟はいるの?』
「姉が3人いる」
『姉ってことは、ナインハルトが公爵家を継ぐってこと?』
「ああ。代替わりはまだ先だが」
『そうなんだ。剣士の仕事とは別に家のこととか、たとえば結婚とかそういうのはいいの?』
毎日朝から夜まで王宮にいるとなると、屋敷には寝る時くらいしか帰らないことになる。嫡男とはいえ代替わりもまだ先となればそういった生活も許されるのだろうか。
これは至極軽い気持ちで聞いたのだが、ナインハルトはぎくりと不自然に動きを止めた。
『......ナイン?』
「まあ、それはその内。それより弓をやるならそろそろ始めた方がいい。ギャラリーが来始める時間だから」
分かりやすく質問を終わらせられた。なにかありそうだなとは思いつつ深追いはせずに周囲を見渡すと、出入口の方から賑やかな声が聞こえてきて数人の女性が観覧席に入ってきた。
稽古というよりナインハルト本人を見に来たに違いない、稽古場には不釣り合いなおしゃれをした令嬢達。
混じり合う香水のにおいを感じてギルバードは眉根を寄せる。人より嗅覚が優れているぶん強い芳香は苦手だった。中には嗅ぐと吐き気やめまいが出る類の香料があり、ギルバードの体への影響を心配してライラは香水を一切つけず、石鹸すら無香料のものにこだわる神経質ぶりを発揮していた。
ギルバードは身震いをして観覧席から視線を逸らす。
一方、令嬢達の方はというと見慣れない青年の姿に目を留めて俄かに湧き立ち始めていた。
「ねえ、見てあの御方」
「他国の貴族かしら。とっても素敵」
「ナインハルト様と親しいご様子だし、ティターニアの高名な貴族かもしれないわ」
金髪碧眼のナインハルトと対照的な、銀髪赤眼のあの青年は一体何者なのかとこそこそと声が上がる。
そんなことは露知らず、ギルバードは遥か前方に備え付けられた射手用の標的を眺めていた。弓を引くのは数か月ぶり、まずは近距離からでいいだろうと標的から一番近い地点に引かれた白線上に立つ。
左腕を上げれば指先が光り、輝く大弓が瞬く間に形成されて令嬢達は感嘆の吐息を飲む。弓を構えて矢を一本放てば風切り音に続いて的の中央に見事に矢が突き刺さり、夢のように煌めき消える。出だしは上々だとギルバードは安心しつつ一段階離れた白線上に後退して、顔にかかる髪を背に払ってまた弦を引いた。狙いを定めながらも頭に浮かぶのは先日ギリアンから打ち明けられた話のことで。
そう、ライラ出生の経緯について。
イーリアス王家とティターニア神殿に縁があるということも、ギリアンの実子ではないということも。望んだ妊娠ではなかったということも。
どれをとってもギルバードは最悪だと思っていた。
物憂げな瞳のまま矢を放つ。
先程と同様、中央に突き刺さってはきらきらと消えていくが、その間も続々とやってきていた令嬢達はそれぞれ座席に腰を下ろすことも忘れてはしゃぎ色めき立っていた。
「ねえシエラ、見て。あの方あなたのタイプじゃなくって?」
「あら..........美しい方ね。社交界ではお見かけしないけれどどちらの家門かしら」
「ナインハルト様と並んで立ってみていただきたいわ。お二人とも背が高くて素敵」
「あの弓とても綺麗ね。まるで流星のよう」
「殿方なのに色香があるわね......」
ギルバードの無駄のない動作と輝く美しい弓。加えてその容姿。けだるげな赤い双眸や、緩やかに編まれた長い銀の髪、そして召喚当初にライラが苦言を呈していたその装いも含めてすべて人目を惹いていた。長身に纏う白い装束はゆったりしており、胸元の合わせ目すらやや緩い。中に一枚着込むこともあるにはあったが、今日はデフォルト装備のままで出て来ていたため、しっかりと令嬢達の赤面と興奮を誘っていた。
ギルバードは標的から一番遠い白線上に立ち、二本の矢を同時に引く。二本とも中央に当てるにはそれなりの集中力が必要だが、やはり考えてしまうのはライラのことで。
ギリアンはいつライラにあの話をするんだろう。
折を見て話すと言っていたものの。
いっそ来年まで寝ていればいいのではとこれまでと真逆のことさえ思いながら矢を放った。すると雑念がたたったのか一本は正確無比に中央に刺さったものの、もう一本は的にすら当たらなかった。ため息をついて再び弓を構えようとして、ふと、香水の匂いがかなり強くなっているようなと思ってギャラリーをぐるりと見渡して、
『―――え゙っ』
四方八方から向けられる熱視線。
自身を穿つかのようなそれに唖然として小さく叫ぶ。怖くなり、急いでナインハルトがいる場所へと戻った。
『ナイン、人が急に増えて.............なに笑ってるの』
「すまない、つい。ギャラリーにはそのうち慣れる」
仰天して走ってきたギルバードの姿を見て、ナインハルトは是非ライラに見せたい光景だと思ってしまいうっかり笑っていた。
なんとか笑いを鎮めながら、
「体がなまっているとのことだし、今度私と手合わせしないか」
『えっ!いいの』
「もちろん」
思わぬ提案にギルバードは驚いた顔をするが、すぐに好戦的な光を瞳に宿した。
『やりたい!今から?』
「今は無理だ。せめて私が万全の時に頼む」
ほら、と汗を纏う髪をかきあげる。
たしかに疲れた人間と戦ってもなと思い、ギルバードは頷いた。
『じゃあ明日の早朝は?』
「わかった。待っている」
ギルバードはほくほくしながら、その後一時間ほど弓を引き続けた。
そしてそろそろ離宮に帰らなければと小走りで稽古場を出た瞬間、ぎょっとして数歩後ろに飛びのいた。
出入口の左右。
令嬢達がズラリと立ち並んでこちらを見ていた。
世にいう出待ち。
彼女らはギルバードをじわじわと追い込む恐ろしい陣形で距離を詰めてきたかと思えば、
「......とっても美しい弓でしたわ!!」
「お名前を教えていただけません?」
「ティターニアの戦士の方でしょうか?」
「すごい、近くで見るとこんなに背が高くていらっしゃるのね...!!」
そんな問いかけや呟きが矢継ぎ早に飛んできて外に出るどころではない。内心戦慄して立っていると、亜麻色の髪をした令嬢が一人歩み出てきてギルバードの正面に立った。香水のにおいにウッとなり後退するギルバードにその令嬢は一礼をして言った。
「私キャンベル公爵家のシエラと申します。貴方の家門を教えていただけませんこと?今週末屋敷でパーティを開催するので貴方宛に招待状をお送りしたく思いますの」
すごい積極的。
目元はきついが綺麗めな顔立ちをした令嬢であり、誘いを喜ぶ戦士もいるのだろうと思った。しかし蛇で使い魔の身としてはまったくもって嬉しくなく、しかもこの状況は問題がありすぎた。
下手に話をして話題を広げられても対処できる気は微塵もせず、ライラの使い魔だということを勘づかれでもすれば、今王宮内で彼女が療養中であることまでバレてしまうかもしれない。
ライラの所在については世間一般に公表しておらず、身の安全のためにも隠し通す必要があった。
その時、令嬢達がギルバードの背後を見てきゃあきゃあと騒ぎ始めた。
「ナインハルト様!ごきげん麗しゅう」
令嬢達が口々に挨拶をし近づこうとすれば彼は柔和に微笑みながらも牽制する手を上げて、
「我々はだいぶ汗をかきましたので。それ以上近づかれませんよう」
柔らかい口調できっぱりと言い放った。令嬢達からは不服そうに焦れる声が上がるが、
「仮に遠目であろうと美しい花々には目を奪われずにいられません。どうかこのような見苦しい折ではなく社交の場にてご挨拶を」
そんな台詞をさらりと言ってのける。
それからギルバードにつと近寄って、
「行っていい。ここは私が対応する」
極小さな声で耳打ちをした。
ナインハルトとギルバードが並び立ったことで皆騒ぎ始めるが、ギルバードは目で礼を伝えてから、前方にいたシエラの横を抜けて足早に歩き始めた。装束の裾と銀の髪とが微かに触れてシエラはほんのり赤面をして、待ってと声を掛けるがギルバードはそのまま歩き去った。真っすぐ離宮には帰らずにあえて木立や庭園の垣根の間をぐるぐると通り、背後から誰もついてきていないことを確認してほっと息をつく。
キメラ以上の迫力だった。
自身に向けられていた視線を思い出してぶるりと身を震わせつつ、前後左右を再度入念に確認した上で離宮の方角へと足を向けた。
その姿を真上から。
一羽の鴉が木にとまり、じっと見下ろしていることにギルバードは気がつかなかった。
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