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ギリアンの怒り(1)
「政治利用はしないと......」
―――カチン
冷たい金属音が響く室内で、ギリアン=ブラッドリー侯爵は閉ざしていた口を重々しく開く。
「そう仰っていただきましたが......」
――――――カチン
彼は王族を前にして座しつつ、一言一言噛みしめる言葉の合間合間で真剣の鍔を親指で弾く手遊びをしていた。
「離宮に行くつもりが、話があるとのことでわざわざやって来てみれば」
眉間には深すぎるしわが刻まれており、剣の手遊びは断続する。
「外交には向かぬ娘だと、皆々様には十二分に承知おきいただいているものかと、思い込んでおりました」
重苦しく緊迫した空気が満ちる。
リリアナは所在なさげに唇を噛みしめて俯く。
「..........ひとまず、神殿の言は聞き届けました」
カチン。と手遊びが止まって。
その数秒後。
「侯爵待てっ...」
乱暴に席を立ち扉に向かうギリアンを見て、これはまずいとアランは立ち上がり進路を塞いで、
「―――っ!」
まるで一陣の風。
ギリアンはアランにぶつかることもなく一瞬間の動作で加速し脇を抜き去っていた。驚いて振りむけば彼は扉に手をかけており、出入り口付近で控えていたはずの護衛達は皆動く間もなく急所を突かれ床に倒れて苦悶の表情を浮かべていた。
「止まれ!!」
ダンテの鋭い声にギリアンは扉に手をかけたまま振り返る。その目は憤怒に燃えておりどう間違っても王に向けるべき視線ではなかったが、ダンテは咎めるでも動じるでもなく見据えて言った。
「ギリアン、戻って座れ」
「.............................」
「戻って座れ」
「..............」
「いいから、戻れ。座れ」
繰り返される命令と拒絶。ギリアンは暫し動かずダンテを凝視し続けていたが、大きくため息をついて席へと戻った。
殺気は鳴りをひそませ、静かに王に問う。
「春の乙女は途中辞退できないはず。神殿は何故神託もなしに辞退要求を承認されたのでしょうか」
「今期の春の乙女はキメラ騒動で標的となった王太子妃の妹だ。任務継続に大きな不安を抱くのも致し方なしと特例対応が認められた」
はっ、とギリアンは嘲りの声を上げる。
「そうして放棄された任務をあの子に課すと?キメラ騒動の渦中で負傷し未だ目覚める兆しのない娘に?使い魔承認の件といい今回の件といい神殿は我が家門を侮り愚弄していると見える」
「怒りは理解できるが神殿が辞退を受け入れておりアルゴンとして他国訪問も控えているため新たな春の乙女は決めなければならない。国民投票を行うことも検討してはいるが」
ダンテは言葉を途切らせ、ギリアンも口を閉ざす。
国民投票を行ったところでライラが選出される可能性が非常に高い状況になっているというのは誰しもが知るところだった。
「......シャイレーンの家門を代表してお詫び申し上げます。本当に申し訳」
「いえ、王太子妃様には何の咎もありません。頭を上げてください」
リリアナの謝罪をギリアンは遮る。
そして思考する。
春の乙女となった場合には任務のひとつとして外交が発生する。他国王家や神殿関係者との接触が想定され、そこでライラの出自を知られてしまうとなにかと厄介なことになる。
アルゴンの侯爵家令嬢として既に成人しており、春の乙女という名誉ある肩書きで国賓来訪することを思えば外交中に危害を加えられるということはさすがにないと思いたいところ。しかし面倒事に巻き込まれる可能性は捨てきれず、また、どちらにせよ他国に行く前に打ち明けておく必要があると思った。
ライラの血統と出生の経緯。
自身が育ての親であることと、本当の父親について。
忌々し気に思考を巡らせてギリアンは言い捨てる。
「国民投票にて決定ください。国民によって選ばれし名誉ある立場となれば、万が一刺客により他国で落命することになろうともあの子も納得できましょう」
その言葉にリリアナが小さく息を飲む声が響く。
「侯爵、外交の際は私が同行する。貴殿の娘は必ず守る」
アランがそう強く言うもギリアンは首を左右に振る。
「守っていただく必要はありません。貴方は王族でいらっしゃる」
「そうだが私は戦士で―――」
「たとえアラン様が戦士であろうと、侯爵家令嬢一人のために王族の身を危険に晒すことがどうしてできましょうか」
そして続く言葉にアランは衝撃を受けることになる。
「娘は戦闘民族、紅紫眼の民。守るのではなく有事の際は王子の盾として使われるといい」
それはあまりにも思いがけない言葉で、アランは理解が及ばず言葉を失う。
ギリアンの方は、こう言ったところでそのようなことができる青年ではないと考えつつも淡々と、
「頑丈だろうとは思っていましたが、母親似で華奢な見た目をしているゆえにあの子の潜在能力を測りかねておりました。しかし今回の件で私の想像を遥かに超えて強靭だとわかりました。やはり紅紫眼の力は伊達ではない。武芸は未熟でも御身の弾除け、凶刃除けとして置く分には非常に役立つでしょう」
「..........いや、なに言って」
「侯爵!悪い冗談はやめたまえ」
これまで黙って聞いていたデオンが怒声を発した。その様子を見てこの兄弟はイーリアスの王子達と違って仲が良いようだとギリアンは思う。
「冗談ではありません。現に今回も役立っているではありませんか。アラン様は直に見たでしょう。内臓を損傷し多くの血を失い、毒を受けてもなお死なない娘を。今や失われし紅紫眼がイーリアス王家の盾として重用されてきた理由がおわかりになったのではありませんか?」
瞳を揺らして黙っているアランをリリアナは心配気に見つめ、デオンは依然睨んだまま、
「だからといって盾になどできるはずがないだろう!アランがライラ嬢を妃にと望んでいることを貴殿は失念しているのか」
「いいえ。ただ本心から我が娘を妃にと望まれているならば今回の決定を白紙に戻すよう王家に尽力していただきたく思いますがね」
「できるならばそうしている」
ダンテが低音で唸る。
「しかし原則不可侵の事案だ。お前もわかるだろう」
ギリアンはダンテをジロリと見る。
真剣を握り苛立ちを含む息を吐く。
「シャイレーン公爵家令嬢の辞退は特例として認められたようですが、我が娘の選出を覆すための特例は認められないと」
「特例に特例を重ねていては法が乱れ国の秩序が保てなくなる。王家としてそれはできない」
ギリアンは目を閉じ沈黙する。彼の剣がカタリと音を立て、ゆら、と青い炎が一筋湧き出て鞘を舐める。
「......もうなにも言いますまい」
炎を帯びる剣を握りしめながらギリアンは抑揚なく言った。
「神殿も王家ももはや同じほどに信用できません。信じられる約束が一つとしてない以上、せめて有事の際は王子を守ったという栄誉を我が娘に与えていただきたい。犬死にはさせたくありませんので」
その時、
「待ってくれ。いろいろと言わせてほしいんだが......」
やっと様々な言葉を理解し飲み込んだアランが、ギリアンの言葉を遮るように口を開いた。
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