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ギリアンの怒り(2)
「侯爵、貴殿の娘を身代わりにしようなどと思うことは絶対にない。俺やギルバードが守る。彼女が大事だからそうするのであって王族とか戦士とか使い魔とかそんなのは関係なくて......」
そう語るアランは血濡れたライラの姿を思い出していた。見れば冷や汗をかいて些か具合の良くない表情をしておりデオンは怪訝な視線を向ける。
「アラン、顔色が悪いぞ」
「......あの日の彼女の姿を思い出すのが、すごくきつい」
青い顔でそんなことを言い始めるので、前々から察していたリリアナを除いて全員意外に思ってアランを見た。
額に滲む汗を拭い、アランは瞳に苦悶の色を浮かべて微かに震える吐息をつく。
「ライラの傷を見た時の記憶が忘れられなくて夢にまで出てきて参っている。これまで同じような負傷者は何度か見てきているのに、俺はまだあの光景に納得できてない。情けない限りだ」
セーブルの前でこそ時々うたた寝をするものの、それ以外の場ではアランは普通に過ごしており職務も稽古も平時通り行っていた。
見えない部分―――心に思いがけないダメージを負っているようだと知り、ギリアンは厳しい物言いをしたことを若干申し訳なく思い、リリアナは優しく諭す声音で語りかける。
「ライラはいずれ目覚めるわ。傷はもう治っているもの。体温も上がってきているし大丈夫よ」
アランは頷きつつも瞳を逸らし、顔色は優れないまま続ける。
「もし他国訪問中に刺客が来ても全力で彼女を守る。でも、彼女は......ライラは血の気も多いし反発するしで大人しく守らせてくれるとは思えない。戦闘中は隠れていてもらうかいっそ鍵付きケースにでも放り込んでおきたいがそれを言えば私がなにをしようと関係ないだの放っておいてだのキレ散らかして飛び出していくに決まってる」
そう言って項垂れるが、その発言をギリアンは訝しむ。
「あの子がそんなことを?」
「貴殿の娘は男勝りで気性が荒い。だから有事の際も全く傷一つなくというのは正直約束できない。ただ絶対に死なせはしない」
アランは下げていた頭を上げて真っ直ぐな眼差しを向ける。
「貴殿に信じてもらえるように今後の行動で示すと約束する。だからその約束を信じて見守っていてはもらえないだろうか」
ギリアンはアランの金の目を見る。
本心からの言葉なのだろうと思った。婚約話の時もそうだがつくづく正直で真面目な青年だ、とも。
「......わかりました。そこまで仰っていただけるのならアラン様に娘の命を託しましょう。気性の荒さは私譲りと思ってご容赦を」
雰囲気が軟化するのを感じ取り、アランはほっと安堵して椅子の背に腰を沈めた。
ギリアンはダンテに視線を移す。
「折を見て娘に出生の経緯を話します。知らずに他国に行かせるわけにも参りませんので」
どんな反応をされるだろうかということは今は考えないでおく。
そうして、先ほどとは異なり緩やかに席を立った。
「では私はこれで。離宮に参ります」
「沙汰を待て」
短くダンテが告げ、ギリアンは背を向けたまま頷いた。
沙汰―――国民投票の結果はおそらく早々に通達されるだろう。
『ギリアン!久しぶり』
「...ああ」
東の離宮に着くとギリアンがドアノッカーを鳴らす前にギルバードが扉を開けてひょっこりと顔を覗かせてきた。
「今日の様子は」
『うーん、見た感じ変わらないかな。アンナが着替えとか化粧はさせてるから外見は毎日変わってるけど』
ライラは飲まず食わず、まったく変わらない顔で眠り続けていた。ギリアンは娘の寝顔に目を落とし、亡き妻の最期の姿を思い出して顔を背ける。
『はい、これ』
ギルバードはテーブルに冷えた茶を置いた。
『飲んでいいってアンナに言われたけど、俺は飲めないから』
「彼女は今外出中か」
『うん。アンナブレンドの材料買いに生鮮市場に行ってくるってさ』
アンナブレンド。ライラがいつも飲んでいたアンナ特製ハーブティー。ギルバードはもうすっかり定位置となった窓際の壁に寄り掛かって時計を眺める。
『さっき出たばかりだから、夕方くらいまで戻らないと思う』
「そうか」
ちょうどいいタイミングかもしれない。
「話がある」
『んー、なに』
「ライラが春の乙女になる」
この瞬間、ギルバードは赤い双眸を鋭く細めてギリアンに視線を流した。
『なんで?それはマリアンナの役目のはずで』
「彼女が辞退してライラを推薦した」
『はあ?辞める理由と推薦理由は?』
「王太子妃が襲われたショックで精神的に不安定になり任務継続困難らしい。推薦理由は王太子妃を守った功績を讃えてだそうだ。国民投票によって正式決定されるが、アルゴンの戦姫として人気を集めてしまった今ライラが選出されるのはまず間違いないだろう」
精神的に不安定?そんな繊細かとギルバードは内心鼻で笑い飛ばす。辞めるのは勝手にすればいいが、気になるのはアランと距離を詰める機会をあえてふいにしてしかもライラを推薦した上で役目を降りるとマリアンナが決めたということ。
またなにかいやがらせを企てているに違いない。
嫌な予感と同時に怒りを覚えた。
『春の乙女を選出するにしても、ライラは候補から外すべきだ』
「伝統としてそれはできない決まりになっている」
春の乙女の選抜はその年に成人した全家門の令嬢が対象となる。神殿が選ぶ場合は公爵家や有力貴族から、国民投票の場合は知名度の高い家門から選ばれる。
「待て、ギルバード」
先ほどのギリアンと同じようにギルバードが部屋を出ていこうとするので、ギリアンはギルバードの肩を押さえて引き止めた。
「必要になれば私が行く。お前はライラの側にいるように」
『.........わかった』
ギルバードは渋々ながらも窓辺へと戻った。
『春の乙女に選ばれたとして、旨味というかいいことってあるの?』
「国一番の令嬢の証となる。謂わば国の《顔》だ。選ばれれば国内外の王族や有力貴族との結婚が確約されるから本来は家門として喜ばしいことなんだが」
『国一番の令嬢っていうのは納得だけど、うちには不要のステータスだね』
既にアランとの婚約が決まっていて発表までされているのだから。
寝ている間の決定はライラとして不服かもしれないが、花時計広場でアランと仲睦まじくしている様を多くの人間に目撃されたために真剣交際アピールはどのみち必須だった。
『ライラ、きっとすごく怒るだろうな』
ギルバードはハラハラとした目をして、何も知らずに眠り続けているライラを見る。アランとの婚約はまだしも、春の乙女は絶対に嫌がるだろうと確信していた。
「もう一つ、その件に付随して話がある」
『いい話?』
「いや。ただ、過去の話だ。ライラの前に先にお前に話しておきたい」
そう言ってギリアンは一度言葉を切り、ふっ、とひとつ、覚悟を決める息をついた。
「ライラの生まれについてだ。長い話になる」
『......えっ』
やっと。
ギルバードは目を見開いて壁から身を離す。二ッと笑ってギリアンを見る。
『長い話ね、ちょうどいいや。退屈してたんだ』
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