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誓いの音節(2)
彼女と自分となら先に死ぬのは自分の方。
無意識下でそう思っていたからこそ、ライラの傷を目の当たりにした時の衝撃は凄まじく、なにが起きたのかすぐには理解できなかった。
薄い腹は惨たらしく裂かれ内臓さえ視認できた。その現実を至近距離で直視しながら、頭の片隅では地方視察で観た景色について話したいしあわよくば一緒に観に行きたいなどと考えていた。
死にゆく女性を目の前にして、将来二人で交わしたい言葉や見たい風景を思い描く。
そんな日が来るなど想像だにしていなかった。
目を閉じれば鮮明に蘇るあの日の光景。
血に染まってもなお変わらず時を刻み続ける花時計。
ひとたび夢に見れば恐れを内包するフラッシュバックに苛まれる。赤と黒の血にライラの体が侵食されて手の内から崩れ去る幻想を見る。
終わらない悪夢と幻想による追体験。
それは着実に心を蝕みながらも、しかしアランの内から本心を暴いて引きずり出し、想いを自覚させる一端を担っていた。自身が抱いていた感情は決して一時的な劣情ではない。純粋で一途な恋情だったのだと荒療治じみた方法で理解せしめていた。
眠る顔に視線を落とす。
あどけない寝顔に見えるが夢などは見ているのだろうか。見ているならばどうか楽しい夢であってくれと願い、白い手をとり優しく握った。
「君は自分のことを俺に釣り合わないと言って卑下していたが、違うんだ」
自分の方こそ、こんなにも綺麗な女性にはきっと相応しくない。
「でも諦めはしない。後ろ向きな君と違って俺は前向き思考だから」
顔を寄せる。ひんやりとした唇にほのかに体温を移してからベッドに横たわらせて薄絹をかけた。
アランはソファーに移動すると身を沈めてため息をついた。
自分の気持ちは自覚し言葉にもできた。
あとひとつ気がかりなのは彼女の目に今の自分はどう映るのかということ。和解したつもりで婚約を推し進めてしまったが、チャリティ前には喧嘩をしていた。また、離宮で立ち聞きした内容をカウントしなければ彼女側から好意を示す言葉を貰ったことは過去一度として―――。
ふと思い出す。
眠る直前に言われたあれは?
"私の王子様"
「素直に好意と捉えていいのか......でも君は変異種だからな」
臣下が主君に対して言う我が君的なノリじゃないよなと斜め上の疑念が浮かんでしまい苦笑する。
その時だった。
扉を忙しなくノックする音が響き、返事をすればギルバードがそそくさと部屋に入ってきた。
「おかえり......どうした慌てて」
『令嬢の群れがいた』
群れって。
「水牛じゃあるまいし」
ギルバードはおええと顔を顰め、アランは事態を察して頷く。
「ギャラリーかなり多かったんだな」
ナインハルトとギルバードが並ぶ様子は非常に令嬢受けがいい光景だろう。
『あのにおいやばくない?禁止とか制限とかしないの?』
「あれはあえて自由にさせてる」
『あえてって、稽古中気持ち悪くならない?』
「最初はそうだが皆慣れる。大半の令嬢は媚薬成分入りの香水をつけてくる。王宮の戦士は媚薬によるハニートラップにかからないようにあの場で体を慣れさせている」
『はにーと、らっぷ...』
「ギルは鼻が効くぶんきついかもな。慣れるまではなるべくギャラリーがいない時間帯に行くといい」
『そうする......』
ギルバードは力なく答えてその場を離れたかと思えば、水を入れたたらいとタオルを持ってきた。なにをするのかと思って見ていると蛇の姿に戻ってたらいの水に飛び込みぐるぐるばしゃばしゃとやり始め、一通り水浴びをした後にたらいから出てきてタオルにぽふんとくるまった。
『ふいー、さっぱり』
「そうやって風呂に入るのか」
『いつもはライラがいれてくれるんだけどね』
「......駄目だ。今後は一人で入れ」
『なんで?』
ギルバードは頭を傾げて平然と問うがアランの心中は穏やかではなかった。そう言えば以前、浴槽こそ分けているが二人で風呂に入っていると聞いたことを思い出していた。
「そもそも蛇に風呂なんているか?毛のないつんつるてんのくせに」
『鱗はあるもん。たとえば便秘の時とか鱗の間に汚れが挟まった時とか。ライラがお腹マッサージと鱗の掃除をやってくれるんだ』
なるほど。
納得して黙り込みそうになるが、
「でもふたり一緒に風呂に入りに行く必要はないだろ」
『毎回は行かないよ。でもライラが疲れてる日は必ず着いていってる。神力の弓を使った日なんかはバスタブで寝落ちしがちだから、そういう時はボクが引き揚げてアンナに渡して.....ってどうかした?』
アランは膝に肘をつき顔を覆っていた。青年姿のギルバードが入浴中のライラを抱えているなど大問題としか思えないのだが、ブラッドリー侯爵邸では普通のこととして認知されているらしい。
ギルバードは頭をひねり、もしかしてやきもちかと考えて、
『ライラと結婚した後はアランがやればいいじゃない。ボクはライラが溺死しなければそれでいいから』
そう言ってタオルの間をくぐって隙間から顔を覗かせた。
アランは自分がそれをやることを考えて、果たして自制心を保てるのかと自問して、
「......いや、ギルが適役かもしれない」
熱い手のひら返し。
『そう?あ、脱皮期間とか食後の時はお願いするからね』
「......それは.........努力する」
努力?とギルバードはまたしても頭をひねるが、気にすまいと体拭きに没頭することにする。
タオルの隙間を出たり入ったりしていると、
「なあ、妙齢の女性から"私の王子様"と言われたとして、これは普通に好きって意味に捉えていいのだろうか」
『誰に言われたのかによると思う』
ギルバードはタオルから頭を出す。
『どんな人?』
「............気が強くて怒りっぽくて」
ギルバードはじっとアランを見る。
『好きで言ってるんじゃない?きっと普段は心の中で思ってて、酔ってたり薬キメたりして浮ついている時にぽろっと出るとか』
アランは眠る直前のライラを思い出す。酔ってはいないが夢うつつで毒を浴びていた。
「そうか」
つい微笑む。
あの瞬間心の内がまろびでていたのであれば、聞けてよかった。
『......ちなみにライラには言える?その言葉。男版に変換してさ』
問われ、アランは暫し考える。
「私の王子様」の男版?
そのまま変えると王子様は王女様になるがライラは王女ではないので。
「俺のお姫様?」
『................。』
「.....なんだよ」
『うーん.....ナインハルトが言ったらもっとこう、グッとくる台詞なんだろうなって思って』
「やめろやめろ、あいつと比べるな」
言い返しつつも痛いところを突かれた気がした。
甘い言葉を駆使した男女間の駆け引きなんてこれまでしたことがなく、経験値はゼロに等しかった。
『あ。それはいいんだけどさ、明日も同じ時間に来てもらうことってできる?』
ん?とアランはもぞもぞと動くタオルを見る。
「別にいいが、また稽古場か」
『やった!うん、稽古場に行きたいんだ。手合わせしようと思って』
なにやら楽し気な様子。
同じ時間となると相手は恐らくナインハルトだろう。
「わかった。ただ怪我はなるべくするな。リリーが怒る」
『き、気をつけるー』
この時、ベッドの上で。
ライラの瞼が微かに、本当に微かにぴくりと動いた。しかし目を覚ますことはなく、そのまますやすやと眠り続けていた。
***********
アランは書類の束を片手に離宮から王城までを戻る道中にいた。遠くに鴉の鳴き声を聞きながら人目を避けて王宮の端の木立を歩く。
ざくざくと歩を進めていると、カア、とすぐ近くで鳴き声が聞こえて思わずそちらに目をやって、
刹那。
落ち葉を散らす木枯らしを切り裂く、微かな金属音を聞く。
アランは反射で剣を二本抜き、振り向きざまに凶刃を受け止めた。書類が散らばる視界の中、一対の剣に力を込めて急襲者の身を前方に弾き返す。
「貴様なんの真似だ」
金の双眸に冷冷たる怒りを滲ませて睨み据える。
「ただの挨拶さ」
清爽な声が風に響く。
「ヴァルギュンター時代を思い出すだろう?」
「相変わらず卑怯な剣だ」
「君は変わらず甘い剣だ。勝った者こそ正義。たとえどんな手を使おうともね」
揺れる白金の髪をかき上げ、エルカディアは爽やかな笑顔を浮かべる。
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