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すぐ起きましたでしょう?(2)
一瞬、紫色のドレスの下で華奢な体躯がぴくりと身じろぎしたような気がしたのだ。
「ライラ?」
気のせいかと思いながらも名を呼んで軽く揺すってみる。
すると、
「ん............?」
小さな声が上がりアランは息を飲む。
だらりとしていただけの腕がシーツを撫でるように動き、体勢を整える仕草をし始める。
固く閉ざされ動かなかった白い瞼がぴくぴくと動く。
長い銀の睫毛の隙間からうっすらと光が差す。
そんな夢や幻を思わせる一連の動作の末、
ぱっちりと目が開いた。
アランはただ呆然として見下ろし、ライラはじっとアランを見上げる。二人とも暫し見つめ合い、ライラは眠たげに視線を外してもぞもぞ動いたかと思えば、アランの胸元にすり寄る仕草ののち額をぴとっとくっつけて、
すや、と寝息を立て始める。
なんとも愛らしくナチュラルな二度寝。
「.....はっ?え待て待て寝るなって!」
アランはハッと我に返ってゆさゆさと揺さぶり、ライラもハッとなって目を開く。何事もなかったかのようにまたもぞもぞと元通りの体勢になってアランを見上げる。
「ね?すぐ起きましたでしょう?」
ずっと聞きたかった声。
それはものすごく寝ぼけた第一声としてアランに届いた。
「..................どこがだよ」
いろいろな想いをないまぜにした瞳でアランは小さくそれだけをやっと絞り出した。
本当に現実だろうか。
見れば白い頬に少し赤みが戻っている気がした。さわさわと触れればライラは目を細めて、やめろと言わんばかりにアランの手を掴んでぽいと放る。だいぶ弱いが確かにその手には力が入っている。目はぱちぱちと動き、瞳には生命の輝きがある。
繰り返す悪夢の中でも閉ざされていて見ることのできなかった赤紫色の瞳。
あの日からずっと恋い焦がれてきた色彩。
夢でも幻でもない。
確信を持っていい。
現実だ。
ライラはぼんやりと瞬きをしていたが、
「アラン様......?」
思わず目を見張って自身の濡れる頬に手を触れた。
アランの伏せた金の双眸から、ほろほろと涙が零れ落ちていた。
瞬きにより雫は落ちて頬に注がれ、ライラは大慌てで身を起こす。この時点で腹の痛みは一切なく体の重苦しさもなくなっていたため、アランの膝の間にぺたりと座り込む格好で向かい合い覗き込んだ。
お月様が泣いている。
なんて綺麗なんだろう。
そんな夢見がちなことを思う傍ら、両手で包み込むようにアランの頬に触れて涙を払う。
「アラン様、泣かないでくださ―――」
言い終わらない内に腕を引かれ、正面から抱きすくめられて息が止まった。アランの温もりと匂いを感じて心臓が大きく高鳴るが、今はどきどきしている場合ではないと自身に強く言い聞かせる。
ひきこもりをやめて外に出るようになってからやたらと人に心配される機会が増えた。
でもまさか男の人を泣かせてしまうほどだなんて。
寝起きのまわらない頭でどうしたらいいだろうかと考えて、思い切ってアランの背に腕を回して抱きしめ返した。いつしかやってもらったように優しくとんとんとしながら涙が止まることを願ってさすってみる。
「.....私、こう見えてかなり丈夫です。一度も病気をしたことがありませんし、筋肉がなくてひ弱に見えるかもしれませんが......どんな令嬢より元気で健康です。今だってどこも痛くありません。だからどうか、そんなに心配しないでください」
そう言って体を離そうとしたが離してくれそうにないので素直に諦める。そのまましばらく抱きしめ合い、いつまでこうしているのだろうかとライラがまたどきどきとし始めた頃、ぽつりとアランが呟いた。
「初めてだな」
「......?なにがですか」
「いや、なんでもない」
なんだろうと思いはしたが、アランの声が涙声でもなくいつもの調子だったためほっとした。無事に泣き止んでくれたらしい。
それにしても、ちょっと寝ただけでだいぶ調子がよくなった気がする。傷は深いと言われたけれど、意外とそうでもなかったに違いない。
この時、約三ヶ月ぶりに稼働したライラの脳はまだ目覚め切っていなかった。
そのためほんの少しうたた寝をしただけだと思い込んで話をし始める。
「リリー様、大丈夫でしょうか」
「ああ。元気に動き回っている」
「.........へっ」
もう?
ものすごく軽傷だったのだろうか。
「でもあまり動かれるのは心配と言いますか」
「大丈夫だ。君のお陰だと感謝していた。彼女がギルの世話を担当している」
「えっ」
世話?
脱皮期間で屋敷に寝かせているはずなのに?
「え.....と......ギルは王宮にいるのでしょうか」
「ああ。リリーが週に一度食事をさせている」
「............週に一度」
ここにきてなにかがおかしいとライラの脳は気づき始める。
「今朝は手合わせをするそうで稽古場に行っている」
「......手合わせって」
「怪我には気をつけるようにと伝えているし、相手はナインだから安心していい」
「..........。」
少し寝たというわけではないらしい。
目を覚ました時、寝落ちる前と同じ様にアランがいたためほんの少し寝ただけだと思っていたのだが。
寝ぼけている脳に直ちに起きろと働きかけて、はたと気がつく。
先程彼の涙を拭った時、紫色の袖口が目に留まらなかっただろうか。
着替えてる?
いつのまに?
様々な状況を理解するのと反比例してライラの思考は着実に混乱していく。アランの背にまわしていた腕を解き、ぐいと体を押して身を離した。依然腕の中に捕らえられてはいるものの離れた身の隙間から自身の服装を見て狼狽する。
部屋着。
ここはどこ?
きょろきょろと周囲を見渡して、以前一度泊まったことのある東の離宮のようだと思い至る。
驚いて体を更に離そうとするとどこにも行くなと言いたげに抱き寄せられて叶わず、互いの体温がはっきりとわかるほどに密着した二人の体の下ではギシ、と軋む音が上がって―――。
「......えっ?」
脚に絡む布の感触。
ふかふかとしながらもしっかりとした座り心地。
二人が動くたびに微かに聞こえる軋む音。
自分のいる場所と置かれた状況とをやっと理解し飲み込んだ時、ライラの真っ白だった面差しは一転、茹でたエビカニの如く真っ赤になる。
そうここは―――
「ベッドの、うえ?」
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